先週の日曜日、穏やかな秋空のもと行われた祝賀御列の儀。テレビで見ていましたが華やかでありながら整然としたパレード。なかなかよかったですね。天皇皇后両陛下の表情もとても印象的でした。
 
やっぱり生で見たかったかなぁ〜 とは思いますが、仙台から行くのはやっぱりちょっとしんどいです。

で、テレビを見ながら思い出したのが、26年前、天皇陛下が皇太子時代に行われたご成婚のパレード。

この日は、「即位礼正殿の儀」の時と同様に祝日となり、この時もテレビで式典を見ていたのですが、パレードの時間が近づくにつれ、「どうせなら生で見てみたい」という衝動にかられ、急遽、四谷へと向かいました。
 
パレードは、皇居から赤坂御用地までというのは今回と一緒ですが、途中はちょっと違っていて内堀通りを半蔵門まで行って新宿通り、四谷見附を左に赤坂御用地へ、というルートでした。

当時は東京の国分寺市に住んでいましたので、中央線の快速電車で1本。四ッ谷駅に着いたのがパレードの30分ぐらい前だったと思います。

今回のような持ち物検査などはありませんでしたが、駅前は既に人、人、人。人の流れに乗って、見れそうな場所を探しながら移動しますが、「やっぱりおとなしくテレビで見てるんだった」と後悔するような状況。

ところが…

警備の人たちが待機していたと思われる道路沿いの一画から、何故かその人たちが退去。って何だかよくわかりませんが、突然、目の前に大きな空間が現れました。

結果、直前に行ったにも関わらず、ほとんど一番前の場所を確保! 日頃の行いに感謝したのは言うまでもありません(笑)

ただ、落ち着いてから気づいたのですが、こっち側って皇太子側じゃん、雅子様側がよかったなぁ〜、などと不埒にも思ってしまうところが、なんとも…です。

警備のお巡りさんの間から狙いますが、なかなか難しい。てか、そもそも写真がヘタ。

皇太子旗とロールスロイスの特徴的なライトが何とか見えます。で、ガラス越しですが雅子様のお顔も見えました。

助手席の方の目線をいただき、若干イラっとする(笑)

こちらが最接近の1枚。皇太子様のアップ、雅子様は後方気味の横顔でした。
てか、ピントが甘いし…

成婚だからでしょうか、警護の白バイの運転は今回と違い赤い制服の婦警さんで、ちょっと派手。

あっという間に目の前を通り過ぎて行きました。

思い出話は以上ですが、何にしても、令和の御世があの秋空のように穏やかなものであることを祈ります。

選挙権を得てからそこそこ長い年月が過ぎています。ここまで、何回選挙があったのかは判りかねますが、私が投票しなかったのは2回だけです。

1回目は、二十歳の誕生日の少し前に金沢に行きまして、3週間ほど滞在したのですが、その間に二十歳になり、かつ、(国政ではない)選挙があったようなのです。帰ったら投票所入場券が郵便受けに入っていて、そこで初めて気づいたという次第。という訳で初めての選挙は行けませんでした。

2回目は盛岡に引っ越しして住民票を移した直後に衆議院選があり、これは投票する権利自体がなかったということで(厳密には旧住所で出来なくはないようですが…)、いずれにしても不可抗力。この2回以外は100%投票しています。

で、今日は、宮城県議会議員選挙の投票日でした。
 
が、すっかり忘れてた。

一昨日までは覚えていたのですが… 今日は朝から出かけていて、帰る途中、たまたまどこぞの投票所の看板を見かけて、それで思い出しました。家に帰ってから投票所に行ってきましたが、結構あぶないところでした。

にしても、争点がなんだか全然わからないし、そもそも7月に参議院選挙、8月には仙台市議会選挙があって、10月に宮城県議会選挙って… ちょっと続きすぎ。全然、盛り上がってなかったのもしょうがない気がします。

ちなみに、行ったのは17時少し前だったのですが、投票所に貼りだしていた15時現在の投票率は18.0%でした。

出来れば、投票は1回で済ませられるよう、もう少しスケジュールの調整とかできないのかな?

連日、台風の被災状況が報道されていますが、改めてその被害の大きさに驚いています。
  
被災された方には心よりお見舞い申し上げます。

私のところは地形的に水の心配はほとんどありませんが、むしろ風の方が気になっていまた。結果、仙台の風速は最大で19.2m/sと思っていたほどではなく、被害らしい被害はありませんでした。

ただ、今回の台風は事前からちょっと異様な雰囲気が漂っていましたね。

最悪、停電もあるかもしれないと、当日の午前中、近所のスーパーに食料や雑貨の買出しに行ったのですが、思うことは皆同じで、土曜日の午前中とは思えない混みよう。駐車場はいっぱいだし、レジは長蛇の列。比較的回転がよいはずのセルフレジでも10分近く並びました。さらに途中でよったコンビには品不足状態で、パンの棚はほとんど空。

なんだか、あの震災の時を思い出してしまいました。

翌朝、テレビに映し出されたのは、泥水につかる家々、田畑。このところ毎年のように繰り返される光景ではありますが、発生箇所の多さが衝撃でした。

やっぱり地球がおかしいんでしょうかねぇ。

頻発する災害に対する備え、いろいろと見直す時期なのかもしれません。

具体的に、というと、まぁ、よくわからないのですが、例えば避難所。いまだかつて避難所というところに行ったことはありません。どこぞの体育館とか、寒々とした空間、固い床、プライバシーもなく、食べるものもままならない、そしてろくに情報もない場所に押し込められる、などというマイナスのイメージ。

行きたいかと問われれば「行きたくない」です。家で過ごせるならば家にいたい、というのが本音。もちろん尻に火がつくような状況になれば別ですが、今回、そのようなタイミングで避難所に向かい、その途中で被災された方が多数いらしたようです。

非常事態なんだからしょうがない、ではなく、自宅のように、とまでは言いませんが、ある程度快適に過ごせることがわかっていれば、安全な時間帯に、「じゃぁ避難所に行ってみるかな」となるのではないでしょうか。それだけでずいぶん助かる命があったのかも…

一応、先進国なんだし、災害大国でもある日本。費用とか大変かとは思いますが、工夫次第でなんとかなるような気がします。体育館にしても、設計の段階でそのような使用を想定して作るとか…

どうなんでしょうね、ここ数日間、報道を見ながらそんなことを考えてしまいました。

とりあえず、台風一過の下、広瀬川を渡る地下鉄東西線です。この日、県内のJR線は全滅でしたが、地下鉄は南北線、東西線とも平常運転でした。
一時期は1番上の「きわめて危険」なレベルまでいった広瀬川ですが、この時間帯は下から2番目の「注意」の状態まで下がっていました。それでもこんな感じ。

ちなみに普段の様子はこんな感じです。

まだまだ不自由な生活をされている方がたくさんいらっしゃいます。1日でも早く“普通な”日々が戻ることをお祈りいたします。

令和になって1ヶ月が過ぎました。

その間、そこそこ大変なことはありましたが、令和だからということではなく、それ以外は淡々といつもどおり過ぎている感じでしょうか?

まぁ、1ヶ月が過ぎたということで、とりあえず、令和の3日目に買った「令和カップヌードル」を食べました(笑)

“だるま”をモチーフとした、なかなかよいデザインです。

なんでも、当初は「カレー」や「シーフード」バージョンも出るはずだったそうですが、諸事情によりノーマルなしょうゆ味のみの発売になったと、何かで読んだ気がします。

で、ふたを開けてみれば… 見た目は変われど中身はいつもと同じ。

時代は変わったといいつつ、そんなものかも知れません。

と思ったら、カップヌードル、6月から値上げなんですね。やっぱり密かに少しずつ変わっていくんですかねぇ〜

てか、デフレの時代は完全に終わり?

令和が二桁になる前に、ささやかな年金生活者を目指す身としては、インフレは困るんですが… なりそだな〜
 
6月4日追記
ささやかな年金生活を夢見ていたんですが、今朝の新聞をみたら、金融庁曰く、「年金だけじゃ足りないんで二千万円の貯えが必要」だそうです。""ささやかな年金生活を夢見ることにします。。。

ついに令和時代の幕が上がりました。

昨夜は時代が変わるまでは起きているつもりだったのですが、11時過ぎにはウトウトしてしまい、ハッと気づけば11時50分。ここで寝たらいかんと、頑張ってなんとかその瞬間を迎えました。

で、何の抱負を思うでもなく、その数十秒後には爆睡でした(笑)

そして、令和の初日の出、見たいなぁ〜と思ったのですが、予報は普通に雨。それでも奇跡がないかと日の出の時間にあわせて起きてみますが、こんな感じでした。

ん~、朝感ゼロ。
 
そういえば、平成の初日も雨でした。

午前中はちょっと用事があって街中へ出かけまして、その帰りに勾当台公園の八重桜を撮ってみます。小雨の中ですが、わりとキレイです。

仙台市役所はすぐ近く。庁舎に「令和」の看板でも出てないかな、と思い、行ってみたら、こんな看板が出てました。その下の方に小さく「令和元年」の文字。

近くまで行ってみると、「天皇陛下御即位 祝意記帳所」の張り紙がありました。

天皇陛下への祝意と上皇陛下への感謝の記帳です。

せっかくなので記帳することにしましたが、記帳簿(っていうのかな?)を開いたら、まだ誰も書いていない。記入例もないしなぁ〜 一応、書きましたけど、下手すぎ。そもそも字が汚いうえにバランスも悪い。書かなきゃよかった。と思うレベル。次に書く人は、絶対に何のプレッシャーも感じないだろうなぁ〜(泣) 
 
まぁ、気持ちだけでも…

気を取り直して(笑)、新緑の定禅寺通りへ。

令和時代、良い時代になるとよいですね。

それはそれとして、昨日も今日も夕刊が来ました。休みなので来ないと思っていたのですが… 新聞屋さんもたいへんです。

平成最後の日です。もうじき、皇居では退位の儀式「退位礼正殿の儀」が始まります。

NHKでも朝から特番をやっていますが、テレビで平成を振り返りつつ、何となく昭和最後の日を思い出しています。

そう遠くはないんだろうと内心思いつつも、突然にやって来た昭和最後の日。その日の朝、起きてすぐテレビを付けて昭和天皇の崩御を知りました。

当時は東京の国分寺市に住んでいましたので、中央線で小一時間、急ぎ皇居前広場へ行ってみることに。気分としては、時代の変わり目をその中心で見てみたかった、という感じでしたが、行ってみると、既にたくさんの人が集まっていました。

広場内をウロウロしていると、一般の人たちに混じり、なぜか昔の軍服を着た人が来て最敬礼をしていたり、宗教関係と思われる一団が旗を揚げて鐘を叩いていたりして、そこそこ異様な雰囲気を醸し出していたように思います。

警察官警備の中、誰が乗っているのかはわかりませんが、黒い車列が皇居の中に入って行きます。

もちろんマスコミの方もたくさんいて、私も朝日新聞の記者からインタビューを受けたけど、採用はされなかったみたいです(笑)

午後になって、新元号の発表があるということで、新宿駅東口に移動。アルタのモニターで「平成」を知りました。まぁ、最初は普通に馴染みませんでしたが…

その後は、また皇居前広場へ行き、これが昭和時代最後の夕焼けです。

東京駅には弔旗。もちろん両端のドームは三角屋根だった時代です。

帰宅後、友人が来たので、車でもう一度、深夜の皇居前広場に行き、結局、友人宅で「平成時代」を迎えるという、なかなかせわしい一日でした。

で、今回の改元では、どこへ行くでもなく家でテレビを見ているという… 我ながらちょっと物足りないかぁ。

何しても、今回は特例法での譲位でしたが、天皇崩御という沈んだ雰囲気での改元よりも、今回のように素直にお祝い気分で新しい時代を迎えるほうが良いのではないかと思います。天皇陛下にも譲位後は、穏やかな日々をおくっていただきたいものです。

平成時代、いろいろなことがあったけど、総じてみれば良い時代だったのではないでしょうか。

先日、朝食後に歯磨きをしていた時、それは突然起きました。何となく直前にくしゃみが出たよう気がするけど定かではありません。とにかく腰のあたりに今まで経験のない感覚が走り、腰の力が全部抜けたような感じ。辛うじて体勢は保ったものの、何が起きたのかわからない。

しばし呆然としていましたが、恐る恐る足を動かしてみると動くけど何とも言えない違和感。助けを求めるにも既に家の中には誰もいない。

これがいわゆる“ぎっくり腰”ってやつなんでしょうか? 初めての経験です。

どうしてよいのかわからず、とりあえずだましだまし歩いてベッドまで行って横になります。その時に激痛!

30分ほど横になっていましたが、既に会社に間に合う時間ではありません。まずは会社に電話を入れて休みを取ります。で、やっぱり病院に行った方がいいのかな? 一応、ネットで調べてみると、整形外科に行けと書いてあります。ん〜、整形外科だったら以前、親が通っていた病院が近所にあります。行ってみるか。

問題は車の運転できるだろうか?

その前に服装を何とかしなければ、と、シャツを着て、ジーパンをなんとか履いて、靴下は… 病院でスリッパを履くとき素足はちょっとなぁ〜と頑張って履きますが、結構な激痛。10分ぐらいかけて何とか履きます。

車には腕で体を支えることで何とか乗って、乗ってしまえば運転は何とかなりました。

約5分で到着。ただ地元では評判の病院と言うことで、待ち時間が長くて辛い。座ったり立ったりしながら待つこと2時間弱。ようやく名前を呼ばれ、最初に言われたのが、短パンを渡され「靴下脱いで、ズボンもこれに履き替えてください」

「えっ〜」と思わず声が出てしまいました。さっきの苦労は何? あ〜、無意味な努力をした(泣)

お医者さんに状況を説明したら、いろいろと痛いところとかをチェックされ、「とりあえずレントゲンを撮りましょう」と言われるけど、ポーズが結構辛い。

で、「骨は問題ないです。きれいに並んでますね」と褒められ?、「まぁ、(レントゲン写真を指差して)ここら辺の筋を痛めましたね。痛みが取れるまで1週間から10日間ぐらいですね」

「あまり前かがみにならないようにしてください」と注意され、痛み止めの薬と湿布の処方箋を出してもらって終了。いつの間にかお昼を過ぎていたので、途中で昼食を買って帰ります。うむ〜、朝よりは歩けてるかなぁ〜 力の加減がわからんが…

翌日になったら、そこそこ動けたので、動いたら… 今日の午後になって再び痛み復活。無理したらアカンみたいです(アホだ)

てか、久しぶりの記事がこんなので申し訳ないです。

最近、「もっと歩け!」とお医者さんに言われ、会社帰りに時々一駅分歩くことがあります。と言っても、週に1〜2回程度ですが…(^^ゞ

今日も本来の下車駅である北山駅の一つ手前、北仙台駅で下車。ここから家を目指して歩きます。まぁ、約30分程度の距離です。

で、線路際の道を歩いていると、日没直後の空がきれいです。

飛行機もたくさん飛んでいるようで、空には幾筋もの飛行機雲がみえます。そして新たに南から北へ飛ぶ飛行機が… Flightradar24によるとJALの252便、羽田発札幌行きのB777のようです。

何気に飛行機雲を追っていると、その下の雲がうっすらと虹色に光っています。

少しアップで。
写真だと今一つはっきりしませんが、肉眼だともう少しきれいに見えました。

まぁ、彩雲の定義がよくわからないのでアレなんですが、良いものが見れました。犬も歩けば…です(笑)

もちろん褒められたことではないのですが、インフルエンザの予防接種を最後に受けたのは小学生の頃。それも高学年では何かしら理由を付けて受けてなかったような気がします。以来、1度も受けたことはありませんでした。

でも、半世紀以上生きていますが、とりあえずインフルエンザに罹った記憶がありません。世の中にどんなにインフルエンザが蔓延しても罹ったことなし。仮に熱がでても病院で検査を受けると結果は常に「白」。

「どうやら俺はインフルエンザには罹らないみたいだ」という何の根拠もない自信があったのですが…

今週の月曜日の朝、なんかのどが痛いし、ちょっと熱っぽい。で、測ってみたら6度ちょっと。普段が5度5分ぐらいしかないので微熱といえば微熱なのですが、とりあえず普通に会社に行きました。

ところが午後になったら体がやたらだるい感じ。結局、早退して家で体温を測ってみたら8度オーバー。

ヤバイかな? 近所の病院で検査をしてもらうと、反応はないものの発熱してからの時間が短くてまだ何とも言えないとのこと。

翌朝、熱は7度前後でしたが、念のため再度病院で見てもらったら…

「あら、出ましたよ♪」

「へっ?」

A型でした。で、熱が下がっても人にうつしてしまう可能性があるので、金曜日までは人のいるところには行かないように、というお達し。

イナビルという薬を処方されました。タミフルとかリレンザとかは聞いたことがありましたが、これは初めて聞く名前です。薬剤師さんのご指導の下、ボトル2本分の粉薬を吸い込んで、治療はこれで終わりだそうです。

結果、(記憶にある限り)初のインフルエンザはさして重くもならず、熱は8度4分を最高に、8度台に上がっても解熱剤を飲むと7度台に下がり、これを数回繰り返して、今朝以降は解熱剤なしでも6度台まで下がりました。とりあえずお達し通り明日までは家でおとなしくしていますけど… 

にしてもなぁ〜、ホントだったら今日から北海道旅行の予定だったんですよね〜 インフルでなければ強硬出撃も考えちゃいますが、「人にうつすかも」と言われれば、さすがにあきらめるしかありません。あと2日早く発症してれば行けたかなぁ、とも思いますが、行った先で発症するよりはマシ。ですよね(と、思いこむ)。

ちなみに乗るはずだった飛行機は、先ほどほぼ予定通りに新千歳に到着しました。はぁ、悲しすぎる(爆)

てか、次からはちゃんと予防接種を受けろ!

2つ前の記事で417系の運用開始時期が気になったものの、ネットで調べてもはっきりした月日はわからず、結局、図書館の古い新聞で調べてきたと“追記”に書いたのですが、せっかく行って来たので改めてその時のことを書くことにしました(笑)

まず会社帰りに近くの図書館に立ち寄ったものの新聞の縮刷版は朝日新聞のみ。地元紙の河北新報はデータベースで閲覧できるとのことでしたが、実際にパソコンで見てみたら表示できるのは平成3年以降のデータのみでした。調べたいのは昭和53年ですから残念ながらこれでは用が足りません。

しょうがないので先週の土曜日に宮城県立図書館に行って来ました。が、ここでも河北新報の縮刷版は見当たりません。係りの人に聞いてみたら、そもそも河北新報は縮尺版は発行していないとのこと。「秋田や福島の地元紙は出してるのに〜」と思いますが、出してないものは仕方がありません。係りの人からは「マイクロフィルムでご覧いただくようになります」と言われました。

縮刷版を探しているときにマイクロフィルムのコーナーを見つけてはいたのですが、“マイクロフィルム”という響きからは昭和のスパイ映画しか思い浮かばない(笑) 大丈夫だろうか(爆)

使い方は係りのお姉さんが丁寧に教えてくれました。

フィルム自体は思ってたのと違って(というか、昔のスパイ映画に出てきたのとは違って)、普通のカメラで使っていた35mmフィルムの長いやつ、って感じのロール式でした。1巻で半月分の朝刊と夕刊が収録されており、これを専用の機械にセットすると目の前のモニターに紙面が表示されます。

もちろんデジタル的要素は全く無く、先を見たければフィルムを巻き取り、前を見たければフィルムを巻き戻すのですが、ダイヤルを回すと結構な勢いでフィルムが回って記事なんて見えやしません。スピードを調整しながら目的の記事を探すのですが、意外とこれが大変でした。油断するとあっという間に数日分が通り過ぎてしまいますし、ゆっくりにするとちっとも先に進まない。その間に関係ないけど面白そうな記事があったりして、いよいよ先に進まない(笑)

それでも段々慣れてきました。目的の記事を見つけたのは8月前半のフィルムをセットして約10分後。

417系の運転開始日は昭和53年8月4日からでした。白石駅で始発式が行われたとのことで、その時の写真が載っていました。記事によると白石7時00分発の仙台行きと、仙台13時29分発白石行きの1往復のみの運転。既存のスジを電車で置き換えたのか、増発したのかまでは判りませんでした(気動車や客車の列車を同じスジで電車化するとは考えにくいのですが…)。それと9両編成での運転だったようです。この頃は普通列車もそこそこの長編成が普通でしたね。

とりあえず417系の記事があっさり見つかったので、ついでに50系の運転開始日も調べようと思います。フィルムを取り替えて、そこから1時間半かけて7月一ヶ月分の記事を見たのですが、こちらは結局関連記事を見つけることは出来ませんでした。そもそも客車の種類が替わっただけなので記事にならなかったのか、普通に記事を見落としただけなのかは判りませんが、なにはともあれ結構疲れました(笑)

とは言いつつ、昭和の新聞を読んでいるとあの頃の世情が伝わってきます。広告を見ているだけでも面白いです。使い方も覚えたことだし、今度は自分が生まれた日の新聞でも読んで見ましょうか。


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