- 2021.03.13 Saturday
あれから10年、あの日の新聞で思い出す
あの震災から10年目となる令和3年3月11日、地元紙河北新報の朝刊の見開きです。
平成23年3月12日、地震翌日の朝刊がそのまま掲載されていました。
思い出しますね。
地震の時は会社にいましたが、近所の公園に一時避難したあと、「帰りたい人は自己責任でかえって良し」となり、そのまま、雪が舞う中、歩いて家まで帰りました。着いてみれば、家に大きな被害はありませんでしたが、電気、ガス、水道は完全にストップ。こんな時のためにと買っておいた石油ストーブで寒さはしのげましたが、繰り返し来る余震に眠れぬ夜を過ごしました。
そして明け方、外でカタンと音がして続いてバイクのエンジン音。外に出てみると、新聞が届いていました。
「まさか、こんな日に新聞が来るなんて!」というのが率直な思いでした。
2枚だけの新聞でしたが、新潟日報の協力で作られたとあります。なんというか、まさにプロの意地。有事の中でも"いつも"が続いている、なんか力付けられた気がしました。
この時から1ヶ月分ぐらいの新聞は保存していますが、段ボール箱の奥深く、引っ張り出すことは困難な状況です。改めて見てみたい気はしますけど…
夜が明けたので、2階に上がってみるとベランダからは仙台港の大火災から上る真っ黒な煙が見えます。そして、その煙の中から上がる朝日がなんとも言えず印象的でした。思わず写真を撮りましたが、改めて見ると太陽がなんだか禍々しい感じもします。
電気が来たのは、2日後の夜遅く。リビングで寝ていたら、突然テレビがつきました。地震の時にテレビはついてたんですね。照明もつけて、「こんな時間でも作業している人がいるんだな」と感謝して、ようやく一息ついた感じでした。
あれから10年、自分の気持ちもずいぶん緩んでました。この間の地震で少しは思い出して、水やら保存食やら補給しましたけど、改めて災害への備え、必要ですね。
- その他、雑感
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- by P〜介