先日、仙台市営地下鉄南北線の新型車両導入について書きましたが、ついでと言っては何ですが、初めて南北線の現行車両1000系に乗った時のことなど、つらつらと書いてみます。

といっても、それほど詳細に覚えてるわけでもないので、思い出しながら…

南北線の開業は昭和62年7月15日ですが、乗ったのはその約2ヶ月前に実施された「仙台市地下鉄市民試乗会」でした。

当時は東京の国分寺市に住んでいて仙台市民ではありませんでしたが、母親が応募してくれていました(感謝)

この時の案内がこちら。

これによると試乗会の定員は2万人! 東西線の時はどうだったかと調べてみたら3日間で各2000人で都合6000人。これでも結構多いとは思いますが(当たらなかったけど…)、南北線はその3倍以上。さすがは東北初の地下鉄だけあって仙台市も気合いが入っていたのでしょうか。

乗ったのは5月4日。指定された時刻に合わせて地下鉄仙台駅に行きます。

まず券売機で切符を購入(もちろん試乗会は無料ですので、入れたお金は戻ってきます)。わざわざ切符を買わせるのは、恐らく東北で始めて導入された自動改札機を通る練習を兼ねていたのだと思います。実際、開業初日には自動改札機のゲートが閉まったのにパニクったお客さんが、強行突破して改札機を壊した、なんてこともあったように記憶しています。

そしてその切符が少し変わっていました。

試乗会整理券と当日使った乗車券。

券売機から出てきた時には160円の金額は書いてありますが乗車駅は書いありません。で、自動改札機を通った時に「地下鉄 仙台」と追記されます。つまり仙台駅で買った切符を別の駅からでも使うことができるという珍しい方式でした。まぁ、これは今も変更されていないはずです。最近、切符を買って乗ることがないのでよくわかりませんが…

ともかく改札を抜けたら長いエスカレーターでホームに降りると北側から1000系電車が入ってきます。

エンゼルホワイト(というか、薄いクリーム色)の車体にライトグリーンとエメラルドグリーンと濃淡の緑の細帯を巻いたデザインは、あの宮脇俊三さんには「格別のデザインではない(車窓はテレビより面白い)」と書かれてしまいましたが、ワタシ的にはすっきりしたケレンのない感じで割とお気に入りでした。

とはいえ、それなりに特徴はあります。

まず、当初からワンマン運転となっており、運転席は通常と異なり進行方向右側だったり、先頭車両と中間車両の定員を一緒にするため先頭車両が2mほど長く、狭軌の平屋の電車としては日本最大の床面積でした。

さらにATOの制御にファジィ制御が初めて採用された電車でもあります。まぁ、なんのこっちゃよくわかりませんが、当時は「あいまい制御」なんて言い方を言っていました。

そんなこんなで翌年のローレル賞を受賞した名車です。が、乗ってしまえばロングシートが並ぶ通勤形電車。

電車の行き先表示は「試運転」でしたが、まずは南のターミナル富沢駅に向かいます。

車内は比較的空いていて余裕のある感じ。ゆったりと試乗を楽しめます。

とは言っても地下鉄ですから、走ってしまえばひたすら暗闇の中を走ります。途中駅には停車しますが、富沢駅以外ではドアの扱いはなかったと思います。てか、開けちゃったらお客さんが降りちゃうかもしれませんので…(笑)

一番前で運転士さんの様子も観察します。

一番の特徴はこれかも。発車する時は目の前にある白いボタンを押すと電車が走り出します。駅が近づくと自動的にブレーキがかかってホームに静かに停車。運転士さんは運転席のモニターに映し出されたホームの様子を確認、一応立ち上がって直接ホームを確認して再び白いボタンを押して発車。予備知識はありましたが、実際に見てみるとなかなかの感動ものでした(笑)

富沢駅で折り返し、北のターミナル八乙女駅まで行き、再び折り返し勾当台駅で下車。ここまで約1時間の旅でした。

こちらは翌日に黒松駅前から撮った試乗列車。

あれから30年以上の時が過ぎましたが、ここの風景はほとんど変わっていません。杜の都の地下鉄です。4年後、ここをどんな電車が走るのでしょうか。楽しみです。

東北初の地下鉄として、仙台市営地下鉄南北線が開業したのは昭和62年7月15日でした。当時は東京に住んでいましたが、仙台人としてはやっぱり初日に乗りたいと、前日から休みを取っての帰省でした。で、帰省初日に仙台駅で偶然にC56と出会ったことについては、前回の記事で書いたとおりです。

そして、肝心の地下鉄ですが、意外とあっさりしていました。

まずは、前日に撮った地下鉄仙台駅の改札口の様子です。一応、祝開業の看板は立っていますが、開業前ということで、改札口に張られたロープには「関係者以外立入禁止」の紙が貼られていました。

で、当日。もちろん地下鉄開業のセレモニーはあったと思いますが、撮っているのは何故かJR仙台駅と地下鉄仙台駅を結ぶ地下鉄連絡通路の開通式典。

う〜ん、地味だ(笑) でも司会のお姉さんは別のカットで見ると、満島ひかりさんに似た感じのなかなかの美人さんでした。

そして肝心の地下鉄ですが、仙台駅では何も撮ることなく開業時の北のターミナル八乙女駅まで乗っています。実はこの時が初乗りではなく、GW中に行われた試乗会で全線乗っていましたが、それでも営業初日ですからそれなりにテンションは上がっていたと思うのですが、特に撮るものがなかったのか、写真は低調です。

次の写真は八乙女駅で撮った1000系ですが、電車にもこれといった装飾はなかったようです。

八乙女駅前から南の富沢駅に向かう電車。雨空に取材のヘリが低空を飛んでいて、かろうじて開業初日の雰囲気を出しています。

地下鉄の電車には何もありませんでしたが、駅に出入りするバスには「祝 開業」が付いていました。

その後は南のターミナル富沢駅へ。八乙女駅同様にここも地上駅です。

八乙女駅へと去っていく電車。天気のせいでしょうか、今ひとつ盛り上がらない感じかな〜

雨に濡れた電車の行先は、今は見られない「八乙女」行きです。

ネガの最後の方は、この翌日に開業した会津鉄道が写っていましたが、まさか開業日には行っていないと思います。日付がなかったのではっきりはしませんが、火曜・水曜と休みを取ってしまいましたので、この日は素直にこのまま東京に戻ったものと思われます。

にしても、今回の写真。「八乙女」行きの表示以外は、今日撮ってもあまり変わり映えのない感じですね。

登場時からの1000系電車も更新工事を経て1000N系となりましたので、新車の登場もしばらくはなさそうです。

引退が間近に迫ったJR西日本のC56 160号機。ラストランは今月の27日に北陸本線の米原駅から木ノ本駅で運転される「SL北びわこ号」となり、その後は京都鉄道博物館で余生を過ごすことになりそうです。


西のカマですのでそれほどのご縁はなく、撮りに行ったのは昭和60年に水郡線で運転された「SL奥久慈号」ぐらいなんですが、よくよく考えてみたら仙台駅でも一度撮影していました。
 

ネガを探してみると、撮ったのは昭和62714日。ネガの前後を見てみると、元々の目的は仙台市営地下鉄の開業にあわせての帰省だったようです。ただ、この日は火曜日。地下鉄の開業が翌715日なので、仙台の地下鉄は水曜日に開業したんですね。火曜日と水曜日に休みを取っての帰省ということは… 地元の地下鉄開業がよっぽどうれしかったのだと思われます()


そんなこんなで、この日の最初の撮影は開業前日の地下鉄仙台駅の改札前。自動改札機の前に張られたタイガーロープには、まだ「関係者以外立入禁止」の紙が貼られていました。

一応、これだけ確認したら後は明日の事ということで、家に帰るため仙山線のホームに行くと、側線にいたのがコレ! C56形蒸気機関車。多分、想定外だったと思います。

ヘッドマークには「SL東北100年号」とありますが、この列車が仙台港付近で開催された「未来の東北博覧会」にあわせて運転されたのは、この4日後の7月18日から8月2日までと9月12日から9月23日までですので、この日は試運転だったようです。

牽いている客車も本番での12系ではなく50系です。蒸気機関車が赤い50系客車を牽いている姿は、割と珍しいのではないのでしょうか?

それにしても仙台駅の東側、広いですねぇ。今は仙山線の7番線(現8番線)の向こうには側線が1本あるだけですが、写真を見ると10本ぐらいはあります。さらにその向こうにチラリと見える車両はサシ581です。2両置いてあって、走ることはできませんがカフェとラーメン屋として営業していました。これも懐かしいです。

見ていたら乗務員の方が降りてきて…

ハンマーで点検をしていました。

仙山線のホームにはまだ急行色をまとった455系の普通列車。
多分、これに乗って帰ったんでしょうね。

で、C56はこれでお終い。走行写真は全く撮っていません。地元で、めったに旅客列車が走らない仙台臨海鉄道での運転で、運転期間もそこそこ長かったんだから(しかも1日2往復していたみたいだし…)、「ちょっとは撮っておいて欲しかったなぁ〜」というか、「もう少し真面目にやってくれ!」と、つくづく思う今日この頃です(爆)

古い文庫本を読み返していると、時々、何やら妙なものや懐かしいものが挟んであったりします。なんてネタをこれまで2度ほど書きましたが、今回はその第3弾です。

出てきたのはコレ。

今はなき鹿島鉄道の車内補充券と整理券。日付は平成19年2月10日。鹿島鉄道は平成19年3月31日を最後に廃止されていますので、廃止前のお名残り訪問でした。当時はもう仙台に住んでおり、少し行きにくい感じはあったのですが「あまり混む前に」ということで、ほとんど衝動的に出かけた気がします。

朝イチのスーパーひたちと普通電車を乗り継いで石岡駅まで行き、桃浦駅界隈で夕方まで撮って、普通列車を乗り継いで帰るという、日帰りのそこそこせわしい日程でした。

この時の写真は、ウチの本館の方に載せていましたので、よかったらご覧ください。

社内補充券と直接の関係はありませんが、ちょっと思い出しちゃったので、そのはるか以前に鹿島鉄道を訪れたときの写真をUPしたいと思います。が、詳細についてはほとんど何の記憶もありませんし、特にメモ等も残っていません。とりあえずアルバムに貼ってある順番から昭和62年とわかるだけです。詳細の月日は不明。撮った順番と貼ってある順番が合わないことも多いので、どのように移動しながら撮っていたのかも不明です。

そこでネガを探してみたら…、ありました。この時期のネガは比較的よく管理されています。それによると訪問したのは昭和62年5月9日。当時は東京に住んでいましたが、GWに帰省したあとすぐの出撃だったようです。

ネガは2本ありましたが、1本目はカビだらけで変色がかなりひどい状態。なのに2本目は若干の変色はあるものの、まずまず使える感じ。同じように保管していたはずなのにこの差は何なんでしょうか?

まぁ、それはそれとして、この日の行動がけっこう判明しました。まずは桃浦駅で下車し、乗ってきた列車と行き違いの列車を撮ったあとは、小川高校下駅方向へ移動。その時に来たのがコレ。この頃はまだ百里基地へのジェット燃料輸送の貨物列車が運転されていました。
平成13年にこの貨物列車が廃止になったのが、結果的に鹿島鉄道線にとっての命取りとなってしまいました。

続いて下り列車のキハ713+キハ712。バックは霞ヶ浦です。

桃浦駅に戻って上りのキハ601+キハ602。貫通ドアが付いていますが、平成19年の訪問時には非貫通に改造されていました。
この日の2両編成の列車は同型の車両でコンビを組んでいました。いつもそうだったのかはわかりませんが…

こちらはネガからのスキャン。上の写真の次のカットです。いろいろと頑張って補正してみましたがこれが精一杯。車体にはカビのボツボツ変色が残っています。

続いてやってきた上りの貨物。機関車はDD13タイプのDD902。この時期にはまだDD901というとんでもなく古くて渋すぎる機関車もいたはずですが、見ることは出来なかったようです。

続いてはこの写真。
最初は桃浦駅と八木蒔駅の間かと思っていたのですが、Googleでみるとなんか違う。ネガをたどってみると、どうやら列車で玉造駅まで行って、そこから撮りながら歩き、この写真は玉造駅と浜駅の間のようです。奥の方には玉造駅らしき建物も見えます。

上の列車の後姿です。国道の陸橋の上から霞ヶ浦を入れてみました。

2枚上の写真のちょっと角度違いです。田植え直後の田んぼにツートンの車体が映ります。

浜駅で下り列車。この写真は2本目のネガからのスキャンです。

浜駅で撮ったら再び列車で桃浦駅に戻ります。

桃浦駅〜小川高校下駅で霞ヶ浦をバックに上りの貨物列車。

次第に日も傾いてきました。

最後は夕日と霞ヶ浦とキハ714。

コレを見ると穏やかな1日だった感じですね。満足して引き上げたんじゃないかと思います。特に記憶はないのですが…(笑)

前回、改装前の東京ステーションホテルに泊まった時のことを書きましたが、今回はその翌日の行動について書きます。と言っても、この日は、ちょっと寄り道をしてから仙台の実家へ帰っただけです。

で、まず寄り道した先が、仙台とは逆の方向ですが前の年に開通した東京アクアライン(笑) 

川崎駅前からバスに乗って「海ほたる」を目指します。残念ながら当時のメモは見つかりませんでしたので、1998年3月の時刻表と後々の行動と照らし合わせて考えてみると、「海ほたる」に停まる最初のバス、9:40発に乗っているはずです。

川崎側の海底トンネルの入口をバスの一番前の席から。
Googleのストリートビューで見ると今もあまり変わっていないようです。

トンネルを出ると海に浮かぶパーキングエリア「海ほたる」に停車。ここで下車します。

当時からここは観光地化していましたが、う〜ん、グルメ系とかショッピング系にはそれほど興味がなくて… ただ、木更津方向の橋梁が印象的ではあります。川崎側に戻るUターン用の道路も見えますね。

そして、上を見ると羽田空港に降りる飛行機が次々と飛んできます。その中の1機。ボーイング747ですが、これは!
政府専用機です。実はこの日は、天皇陛下がイギリスとデンマーク訪問から帰られる日でした。この飛行機に天皇陛下が乗ってらっしゃるのか、それとも前後して飛んでいる予備機の方なのかはわかりませんが…

時刻表を見てみると次のバスまで1時間40分ほど。長いです。お昼ご飯でも食べていたんでしょうか? 政府専用機を見た以外の記憶はほとんどないです(笑)

木更津駅前に着いたのはたぶん12:30頃。ここから12:53発の快速逗子行きに乗って錦糸町駅着13:58。総武線緩行線、山手線か京浜東北線に乗り換えて上野駅に着くのが14:18ぐらいでしょうか?

なぜ上野駅に行ったかというと、次の目的地が、今は「ひたちなか海浜鉄道」と名を変えた茨城交通でした。なぜ唐突に茨城交通なのかはわからないのですが、ともかく勝田駅まで行きます。できれば前の年に登場したE653系に乗りたかったのですが、乗るためには15:30発の「フレッシュひたち37号」まで待たなければなりません。

14:30発の485系「ひたち33号」には間に合いますが、なんかこの時、651系に乗った記憶があるんですよね。

「ひたち33号」に乗ったとすると勝田駅到着は15:56。ただ、茨城交通の勝田駅発車時刻があまり良くないです。「ひたち33号」が勝田駅に着く直前の15:53に出てしまい、その次は16:44。これだと「ひたち33号」の次の上野駅15:00発、勝田駅16:14着の「スーパーひたち35号」でも間に合いますね。記憶を信じればこっちかもしれません。

茨城交通では終点の阿字ヶ浦駅ではなく車庫のある那珂湊駅まで乗っています。というか、車庫で撮るのが目的だったようです。

新型のキハ3710形も見えますが、旧型の気動車もまだまだ多数健在の頃です。
左端には日本初のステンレス気動車ケハ600形も見えていますが、こちらは既に台車は外され倉庫状態となっていました。

ケハ600形と一般色のキハ11形

羽幌炭鉱鉄道色のキハ22形

蔵の中にいる一般色はキハ200形かな

そんなに長居もできず、17:36頃の勝田行きに乗ったと思われます。勝田駅着は17:50頃。

勝田駅の側線に停まっていた特急電車たち。
この485系の塗装は、「ちょっとなぁ〜」でした。特にボンネットが… もったいない(悲)

さて、ここからは仙台に帰るだけですが、仙台行きの特急としては最終となる「スーパーひたち39号」は既に出ちゃっています。というか、そもそも勝田には停まりません。それでも普通列車を乗り継いでいけば、22:59には仙台駅に着くことができます。

ん〜、これで決まりだと思ったんだけどなぁ〜 この先にとんだ落とし穴がありました。

ネガを改めて見直したら、勝田駅で撮った特急電車の次に夜ノ森駅の駅名標とツツジのカット。

空には白さが残っています。日の長い時期ですので日没は19時少し前。夜ノ森駅発19:09の電車に乗れれば“ギリギリあり”かもですが、ここまで見てきた日程では夜ノ森駅発が21:04発。これは完全に無理です。

ここまで読んでくださった方、すみません。はぁ、判んないわ。

とは言うのものの、どうにも収まりが悪いです。ということで、この先は、いよいよ無駄なつぶやきになります。

改めて考えると、仙台駅着の22:59はちょっと遅すぎ。実家に着くのは日が変わる直前になってしまいます。親は午後9時過ぎには寝てしまう人たちでしたので、当時は一応、起きている時間帯には着くようにしていました。

とはいえ、鉄道のダイヤはこの時刻表から変わっているとは思えないし、ルート的にも問題はない気がします。途中、どこかに泊まったとも思えません(泊まっていたらもっと他の写真もあるはず。夜ノ森駅のカットの次は、鉄道とは無関係の仙台近郊で撮ったものでした)。

鉄道のダイヤが変わっていないとしたら、唯一考えられるのが川崎駅前から海ほたるを経て木更津駅前に向かうバスのダイヤ。今回のバスや鉄道の運行時刻については、前述のとおり1998年3月の時刻表を参考にしていますが、実際に行った6月までの間にダイヤの見直しがあったんでしょうか。アクアラインが開通して数ヶ月という時期ですが、予想以上の人気でゴールデンウィーク前に改正、なんてことがあった可能性は否定できない… かな〜?

手持ちの時刻表で1998年3月号の次を探してみたら出てきたのは2001年1月号でした。どうやら21世紀最初の時刻表、ということで取っておいたみたいです。それはそれとして、3年弱経っていますね。参考にしてよいものかどうか悩みますが、一応見てみると…

だいぶ、いい感じになりました。

海ほたるに停車する一番最初のバスの川崎駅前発車時刻が8:20となり、ここで1時間20分の前倒、更に次のバスも川崎駅前8:45発で、海ほたるの滞在時間も1時間20分から25分に短縮と、大幅に時間が稼げました。

この後は、再び1998年3月号の時刻表で検証しますが、木更津駅から9:55発の電車に乗り、千葉駅で乗り換え錦糸町駅に着くのが11:20分。ここから上野駅までは20分程度ですが、着くのは11:30発のE653系「フレッシュひたち21号」が発車した約10分後。残念な思いで次の651系(「スーパーひたち23号」12:00発)に乗ったという記憶とも違和感なく合致します。

13:11に勝田駅に到着。13:41発の茨城交通で那珂湊駅に行くと、40分弱ほど写真を撮る時間があって、勝田駅に戻ってくるのは14:46。15:02発の常磐線普通列車に乗り、いわき駅で仙台行きに乗り換え。この電車の夜ノ森駅発は17:25。日没の1時間半前なので、完全に余裕です。

そして仙台駅着は19:20で、家に着くのは8時前。親もさすがに起きています(笑)

完璧です。疑う余地なし♪ 

まぁ、あくまでもバスのダイヤが変わっていたら…という前提ですけどね。実際のところ、どうなんだろうなぁ?

 

一つ、書き忘れました。あの夜ノ森駅にはまだ電車が来ていません。ツツジも除染のため切られてしまったとのこと。それでも将来、また花を咲かせてくれるよう根本は残したという報道をみました。いつかまたツツジの花に囲まれた駅を見てみたいものです。

前にも書きましたが、古い文庫本が結構たまっています。時々、本棚から引っ張り出して読み直したりするのですが、たまにしおり代わりに何やら挟んであったりすることがあります。

前に書いたときは、撮影地の略地図を書いたメモでしたが、今回出てきたのはこれです。

Room Confirmationと書かれたちょっと古びた安っぽい紙片ですが、一番下にはTOKYO STATION HOTELの文字。

これは東京駅の丸の内駅舎内にある東京ステーションホテルのことですね。そういえば、一度だけ泊まった事がありました。紙片には私の苗字(消しました)と料金などが書いてありますが、肝心の日付がありません。

いつだっけかな〜、と少し調べてみたら当時撮った写真が出てきました。更に探してみたらネガも出てきて日付も判りました。それによると、泊まったのは1998年(平成10年)の6月4日。レンガ駅舎の復元と同時に今風の高級ホテルへと生まれ変わった東京ステーションホテルですが、この時はまだ改装工事が行われる前のことです。

で、だんだん思い出してきました。この時は盛岡に住んでいたころで、東京には研修のために来ていました。その最終日、木曜日でしたが、その日の昼頃に電話で予約して、翌日の休みを取って、半ば衝動的に泊まった気がします(以前に何度か満室で泊まれなかったことがあるので運がよかったのかも…)。

今の東京ステーションホテルはとてもお気楽に泊まれる値段ではありませんが、当時はこの紙片によると税別で1万5000円となっています。まぁ、これでも普段泊まっていたビジネスホテルの倍ぐらいのお値段ですが、鉄道好きにとって東京ステーションホテルという響きには何とも言えない憧れのようなものがあり、やはり一度ぐらいは泊まってみたいと思っていました。

実際に泊まってみると、良く言えば重厚なイメージ、普通に言えば薄暗くて古臭い感じ…でした(笑) でも、ヨーロッパの古いホテルってこんな感じなのかな、などと思ったものです(この時はまだヨーロッパなんて行ったことなかったけど… この後も1回しか行ってないけど…)。

この時に撮った写真を何枚かご紹介します。

2階へ上がる階段のシャンデリアとなんかそれっぽい絵

 

室内は暗くて狭い。まぁ、雰囲気があると言って言えなくはないですが(笑)

 


テレビが分厚いのは時代ですね。

そして窓の外には…

今と比べるととてもシンプルなドームと向かいの部屋が見えます。今の東京ステーションホテルだと「ドームサイドなんちゃら」みたいなしゃれた名前が付いている場所です。

そして下を見ると丸の内南口改札が見えます。特にドーム側の部屋を希望したわけではなかったのですが、この光景は素直にうれしかったです(笑)

こちらは2階の通路(だったかな?)から見た丸の内南口です。

歴史と一緒にやっぱりちょっと古さを感じましたが、念願の東京ステーションホテルのしかもドーム側の部屋に泊まれて満足ではありました。

ところで、例の紙片の真ん中あたりに、JRカード10%offとあります。

JRカードを使うとJR系のホテルは1割引きとなるのですが、ついでですのでJRカードについてちょっと説明すると、その名のとおりJR系のクレジットカードで、元々は国鉄が発行したJNRカードがその前身です。国鉄の最末期となる1985年に初めて発行されたのですが、当初は駅のみどりの窓口で使える唯一のクレジットカードでした。

既に国鉄民営化の動きが見えていた頃ということもあって、とりあえず「JNRマークの付いたカードが欲しい」、という想いだけで作ってしまいました。
このカードはJCBと提携したものですが、これ以外にも各主要クレジットカード会社と提携しており全部で8パターンありました。JCBを選んだのは、デザインが比較的シンプルだったというだけの理由でした。

今はJR各社がそれぞれのクレジットカードを出していますし、そもそも他のクレジットカードでも普通に駅の窓口で使うことができますので、今となってはこれを持つ理由はあまりないのですが(JR系のホテルは今でも1割引きのはずです)、実は今でもJRカードを使っていたりします。とりあえず、変えるのがなんか面倒くさいので(爆)

前回、「古い写真をスキャン☆1996年 とある雪の日」という記事の中で、東日本に残った最後の旧型国電クモハ12の写真をチラリと載せましたが、その後にも鶴見線でクモハ12を撮っていたので、ついでにこちらも載せてみます。

撮った日がはっきりしないのですが、あの雪の日の後で、かつクモハ12が引退する3月16日のダイヤ改正の前日までの間ということになります。

既に週末は沿線にかなり人が出ているということで、休みを取って平日に行ったという記憶があります。現地に行ってみたら日テレの朝の情報番組「ズームイン朝」の中継をやっていたような気もするのですが… う〜ん、どうだったんでしょう。

大川駅に到着したクモハ12。小さな電車からたくさんのお客さんが降りてきました。

大川駅で待機中の折り返しの電車。クモハ12は大川支線の武蔵白石駅と大川駅の間を行ったり来たりしていました。

大川駅を出発したクモハ12。大川支線はわずか1kmの路線で、撮れる場所が少ないのが悩みでした。

午前中のお仕事が終わると、夕方からのお仕事までクモハ12は弁天橋の車庫で休憩。夕方、武蔵白石駅に戻るクモハ12を浅野駅で撮ります。
逆光でフレアが入ってしまいましたが、偶然ヘッドライトに重なって、まぁ、これはこれで良いかと…

上の写真の後姿。

武蔵白石駅で発車待ちのクモハ12。

せっかくなので、もう少しクモハ12で引っ張ります。

3月15日を最後に引退したクモハ12でしたが、3月24日にさよなら運転が行われました。時にJRも粋なことをしてくれます。

で、行くことは行ったのですが、少し遅かったみたいです。人混みが嫌でどうしようか悩んでいる間に遅くなったような気がします。朝はせっかく2両編成で走ったのに撮り損ねてしまいました。

とりあえず鶴見駅で撮影。ここで切り離しこの後は単行での運行になってしまいました。ホームではセレモニーをやっていたようです。

弁天橋駅の近くで撮影。
クモハ12は2両いて、リベットボツボツがクモハ12052、比較的あっさりしているのがクモハ12053でした。

鶴見駅に戻るクモハ12。これもクモハ12052ですね。写真は縦位置にトリミングしていますが、この左右には人と三脚でいっぱいでした。

この後は、2両とも弁天橋の車庫に入って、撮影会をやっていました。

係りの方が時々サボを交換してくれていたようです。

この後、この2両は車籍を残したまま保存されましたが、wikipediaによると、残念ながらクモハ12053は2006年に除籍され2010年に解体されてしまったようです。残るクモハ12052は東京総合車両センタで保存されているようですが、いつか機会があればまた見てみたいものです。

にしても、味わいのある電車、本当に少なくなりました。…なんて言っていると「年寄りの繰り言」とか言われそうですけどね(笑)

休日に雪が降ると、ついつい写真を撮りに出かけたくなります。ましてやあまり雪が降らない東京ならば尚のこと。

ということで、東京に住んでいた頃(国分寺市ですけど…)に撮った写真がアルバムに入っていたのでスキャンしてみました。

まぁ、例によってたいした写真じゃありませんが、撮ったのは1996年(平成8年)の冬。前々回の記事でご紹介した桜咲く京津線蹴上駅付近の約2ヶ月前、東京近辺の雪景色です。

で、この年、冬の東京の天気を調べてみたら、2月17日土曜日から翌18日の日曜日まで、ほぼ終日「雪」となっています。1月から3月にかけて他に雪降りの日はないので、多分、このどちらか(もしかしたら両方)の日に出かけたものと思われます。

残念ながらこの時のネガが見つからないのでどの順番に撮ったかは判りませんが、アルバムに貼ってある順番でご紹介します。

まずは中央線のE351系「スーパーあずさ」。
場所はどこなんでしょうか? 線路の按配からして西荻窪方向から見た荻窪駅方面…かな? ただ、西荻窪駅からだとこうは見えない気がするので、下り電車の最後尾から撮っているかも… 確認にも行けないのでよく判りませんが…

こちらは中野駅ですね。東西線の5000系が地上に出てきたところです。

この後は、総武線の市ヶ谷付近で黄色い電車を撮っています。

お堀端を西へ向かう103系と、

東へ向かう201系です。

黄色い電車つながり?なのか、次の写真は鶴見線。

まずは鶴見駅の鶴見線ホームに入ってくる103系。

武蔵白石駅。

恐らく弁天橋駅付近。

そして、この年の3月に引退したクモハ12も最後の活躍。というか、午前中のお仕事を終えて弁天橋の車庫に帰るところのようです。

またまた場所を変えて浜松町駅の小便小僧。後ろを行くのは、やはりこの年の3月に引退となった165系急行の「東海」です。大きな目玉がキュートです(笑)

最後は田町駅かな? 近年「THE ROYAL EXPRESS」に改造された伊豆急の2100系第5編成「アルファリゾート21」です。
後ろには何気に100系新幹線が見えます。

以上、こうして見るとそれほどの雪ではありませんが、やっぱりうれしくて出かけちゃったんでしょうね。なんて呑気にやってる場合ではないかも。今日の北陸は大雪で凄いことになっています。すみません、とって付けたようにようになってしまいましたが、心からお見舞い申し上げます。

前回書いたようにインフルエンザに罹ってしまいましたが、若干だるさは残るものの概ね復旧したみたいです。

とは言うものの、本来なら今日まで北海道旅行だったんだよなぁ。体調もそれほどひどい状態になることもなく「ムリすれば行けんじゃね?」程度でしたし、現地の天気もこの時期には珍しくまずまずだったようで…、「はぁ〜 行きたかったなぁ〜」と、むなしく青空を仰ぎ見ておりました。凹む〜(泣)

まぁ、泣いててもしょうがないので(笑)、気分転換に昔の写真を少しスキャンしてみました。

今回取り上げたのは、1996年(平成8年)の春。桜の時期の京都でした。

午前中は大覚寺と嵐山で桜の景色を楽しんだ後、満を持して?訪問したのは、地下化を翌年に控えた京阪電鉄京津線の蹴上駅付近。

京津三条駅からこの駅(というか電停ですが…)までは併用軌道で道路上を電車が走っていました。そして周辺は桜の名所でもあります。行ってみたら必然的に人でいっぱいでした。

特徴的な丸っこいデザインの80形も地下化まで活躍していました。ただ運用区間は京津三条駅と四宮駅間に限定されていたようです。

こちらは今も石山坂本線で健在の600系。
どうでもよいですが、石山坂本線って、昔は「いしやまざかほんせん」だと思っていました(笑)

蹴上駅の先から専用軌道となります。山を下りてくる80形。

京津三条から来た80形。両側はなかなかの交通量です。

この後は、京津線で浜大津駅へ移動し石山坂本線の乗り潰しをしていますが、その間に撮ったと思われる1枚。貨物電車みたいです。左側に見えるのは線路用のバラストでしょうか?

最後に、午前中に撮った嵐山の一枚です。

穏やか春の風景を見て、少しは心も穏やかになったでしょうか? ん〜、そうでもないな〜(爆)

はぁ、どっか行きたい(泣)

3つ前の記事関連でひっぱります(笑)

50系や417系の登場時の写真(プリント)と一緒に出てきたボンネット特急電車の写真は、仙台駅に北側から進入する485系のL特急「ひばり号」。しかもよく見ると先頭車はグリーン車のクロ481。次は中間車のグリーン車サロ481。ということで一編成に2両のグリーン車をつないだ、通称「クロサロ編成」です。

最初はいつ撮ったものか判らなかったのですが、50系や417系と同じネガにこの写真も入っていました。ということは昭和53年の7月から8月上旬の間に撮った写真ということになります。

当時「ひばり」は13往復で、そのうち3往復がこの「クロサロ編成」でした。当時の時刻表が手元に無く、代わりに昭和50年11月の時刻表(この直後の昭和53年10月のダイヤ改正まで大きな動きはないはず)で見てみると、13時20分発上野行きのL特急「ひばり8号」のようです。

「クロサロ編成」は13両編成で、他の485系「ひばり」よりも1両分長い編成だったのですが、この年の6月に途中のサハを1両抜いて12両編成に変更されたと、何かで見た記憶があります。ただ、この写真ではその辺がわかりません。欲を言えばきれいな編成写真も撮っていて欲しかったところです。

当時は仙台駅に行けば、普通に「ひばり」がいた時代ですからね。それに油断してどうも真面目に撮っている気配がないのが悲しい。

一応「ひばり8号」の後姿は撮っていました。こちらもボンネットですね。右に停まっているのは13時24分発上野行きの急行「まつしま4号」です。

特急「ひばり」、急行「まつしま」に続いて、13時29分発の417系普通列車が相次いで出発していたんですね。ホントに夢のようです(笑)

改めてネガを見てみると他にも485系「はつかり」や8月3日の仙台駅ペデストリアンデッキの開通式?の写真もありました。こちらも見ていただきたいのは山々なのですが、ネガの状態が甚だ悪く(417系の別角度からの写真もあったのですが、電車の顔がカビでべっとり緑色)とてもUPできるようなものではありませんでした。

そんな中、比較的被害が軽微で、スキャンした後に悪戦苦闘の末ここまで修正できたのがこちらの写真。12系客車の急行「くりこま」青森行きです。臨時の「くりこま51号」かな? 昭和53年10月の時刻表には該当列車はなく、昭和50年11月の時刻表だと「くりこま51号」は気動車で一関行きでした。まぁ、いいんですけどね…

便利な鉄道だったかどうかはおいといて、趣味的にはいい時代でした。この時に今の機材があったら腕と金の無さを補って余りある成果を残せたはずなんですが… 残念です(爆)


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