前回は、平成3年4月に南海電鉄貴志川線(現和歌山電鉄貴志川線)に乗りに行ったときの事を書きましたが、今回はその続き、というか、その前々日と前日のことを書きたいと思います。

前々日と言いながら、さらにその前日、懐かしの165系大垣夜行で東京駅を出発。切符は青春18きっぷを使っていますので、日付が変わる横浜駅までは普通の乗車券を使ったものと思われます。

大垣駅到着は6時57分。ここからは樽見鉄道で最初の目的地、谷汲口駅へと向かいます。

前回書いたように、この時は桜がテーマだったのですが、結果はイマイチ。どんよりした曇り空の上に、肝心の桜は5分から7分咲きというところ。それでも少しずつ天気が回復して、比較的マシな桜の木をいれて、当時の主力車両、ハイモ230。
開業当初に導入したレールバスの輸送力不足を補うために登場した車両です。

こちらはDE10タイプが牽引する客車列車。
この頃は、レールバスや比較的小型の気動車の輸送力を補うためか、多客時には客車列車も運転されていました。

しばし適当に撮りますが、11時18分発の上り列車で撤収。乗ったのは元12系客車とトロッコタイプ?の客車をつないだ列車でした。

貨車改造の客車、うすずみ1形の車内。
明るい車内。床は12系客車よりも高いハイデッカーでした。

大垣駅に戻る途中、「うすずみ1」から撮った貨物列車です。貨物列車もそこそこ運転されていました。というか、客車列車を牽いているディーゼル機関車も本来は貨物牽引用です。

大垣駅からは311系新快速で名古屋駅まで行き、ここからはキハ65+キハ58の快速「みえ」で四日市駅まで行きます。ここまで全く勝負にならなかった名古屋〜伊勢方面で、初めて近鉄に一矢報いた列車です。
 
四日市駅で降りたときに撮影したと思われる快速「みえ」。

この後は関西本線の213系、キハ58系、211系を乗り継いで、宿泊地となる奈良まで行きます。とりあえず途中、笠置駅の桜が満開なのを確認して、1日目はこれで終了です。

2日目の天気は小雨が降ったり止んだりの繰り返し。今ひとつテンションは上がりませんが、ともかく奈良駅から関西本線を戻り笠置駅へ行きます。

この頃の関西本線非電化区間は、数年後にはキハ120型が入ってくるという時期で、キハ58系が最後の活躍をしていました。

笠置駅の近くで。

笠置山では200円払ったとメモにあります。入山料でしょうか? ともかく山道を登って途中からの俯瞰です。

さらに登ってまたまた俯瞰。

だいぶ高く上がりましたが、一番上までは行っていないようです。とりあえず、登っていく途中にあった磨崖仏をみて、「なんか、思ってたのと違う」と思った記憶はあります(笑)

再び笠置駅で。
安定のキハ58系です。

笠置からは、鉄道とバスを乗り継いで長谷寺へ。旅行雑誌で見たお寺の建物と桜の写真がきれいで、行ってみたいと思っていたのですが、着いた頃には雨は本降り。雨に煙る桜の風情がよかったかどうかは微妙ですが、ともかく境内の石段に屋根がついていたのがありがたかったのは確かです。

長谷寺を出る頃には少し小降りになったのかもしれません。近鉄の長谷寺駅まで歩いていますが、思ったよりも遠くて、住宅地の坂道をひたすら登り、やっぱり素直にバスで桜井駅まで行ったほうがよかったかも…でした。

この日の宿泊地は和歌山だったので、桜井駅から桜井線で高田駅まで行き、そこからは和歌山線で、と思ったら、天王寺駅経由でした。改めて時刻表を見てみたら和歌山線経由の方が1時間ぐらい早く着くのですが、どうやら天王寺駅から和歌山駅まで381系の「はんわライナー」に乗りたかったようです。

ということで、ここからは前回の記事に続きます(笑)

昨年の11月に和歌山県の和歌山電鐵貴志川線に行ってきましたが、ここを初めて訪れたのは平成3年4月のこと。当時は和歌山電鐵ではなく南海電鉄の貴志川線でした。

そもそもこの時の旅は“桜”がテーマで、樽見鉄道の谷汲口駅、関西本線の笠置駅と廻り、3日目だったのですが、谷汲口駅の桜は5〜7分咲き、笠置駅はほぼ満開ながら雨降り、ついで“鉄抜き”ですが長谷寺もそこそこの雨と、今ひとつ不本意な内容がつづき、そして最終日にして3日目もまた雨。

この日は桜は捨てて南海の乗りつぶしということで、朝から和歌山港線の秘境駅、水軒まで行くつもり、だったはずなのですが… なぜか謎の行動。

水軒駅までは行かずに和歌山港駅で引き返しています。最初は寝坊でもして1日に2本しかない水軒行きの電車に乗り遅れたのかな、と思ったのですが、当時のメモや時刻表を見ると、乗ったのは和歌山市駅7時31分発の電車。水軒行きは和歌山港駅9時24分発。余裕じゃん。

てか、余裕がありすぎて、そこまで待っていられなかったのかな〜?

結局、8時2分発の電車で和歌山港駅から折り返し、当初の予定には無かった貴志川線に向かったみたいです。てか、それなら最初から貴志川線に行ってよ!という気がします。相も変わらずの計画性のなさが垣間見えます。

こちらは和歌山港駅に進入する1521形。

旧塗装の10000系特急サザンと並びます。

和歌山港駅から和歌山市駅まで戻り、JR和歌山線で和歌山駅へ。8時29分発の貴志川行きに間に合いました。

で、特に予備知識も無く訪れた貴志川線ですが、結果、よかったです。

今でこそ、水戸岡イズムあふれる電車たちが走っていますが、当時、貴志川線の主は戦前生まれの1201形。古色蒼然たるその姿、緑の濃淡の南海旧塗装がよく似合っています。

当時の印象としても“渋い!”でした。

途中、伊太祁曽駅のホームから、隣接する車庫で休む1201形を撮影。
ちょっと薄日が差してきましたね。

乗り潰しが目的ですので、終点の貴志を目指しますが、車窓に突然、桜、桜、桜。薄ピンク色が広がります。すぐに短い鉄橋を渡りますが、川ではなく大きな池みたいです。何、ここ?

で、次の駅が大池遊園駅。

思わず降りてしまいました。

天気は再び曇り空ですが、桜がいい感じ。駅から歩いて数分のポイントがこちら。

鉄橋を中心にいろいろと撮ってみました。

天気がよければ最高でしたが、まぁ、これはこれでいいかな。

この日は日曜日でしたが、人出はあまりなかったように記憶しています。同業者の姿はなく、行楽客が若干、というところでした。

撤収は大池遊園駅10時40分過ぎの上り列車(メモの“分”のところが不明瞭でよく判りませんが…)。貴志川線の乗り潰しもせずに、なんか早々の撤収という気がします。

この後は、和歌山駅から特急「スーパーくろしお8号」で新大阪駅まで直行し、13時40分発の「ひかり12号」で帰京しています。これだと寮には18時前には着いてしまいます。翌日の仕事を考えて、早めに帰ったのかもしれませんが、まだ若いんだから、もう少し現地でがんばってほしいところです。

で、時刻表をよく見ると「ひかり12号」の記事欄に「グランドひかり」とあります。

コレかな?

グランドひかりとは100系新幹線電車のJR西日本版で、2階建車両が4両つながっているのが特徴です。登場はこの2年前ですが、まだ乗ってなかったので乗ってみたかったのでしょうか? ちなみにこの「ひかり12号」がグランドひかりとしては東京行きの最終でした。

ん〜、乗りたかったんですかねぇ。今考えると、力を入れるところが違っている気がしますけど(笑)

蛇足ながら、このとき半端に残してしまった貴志川線と和歌山港線の完乗は5年後の平成8年でした。

仙台市電最後の生き残り長崎電気軌道の1051号(元仙台市電117号)が、今年の3月、とうとう引退することとなりました。という記事を書きましたが、関連の写真を少しスキャンしてみました。

昭和51年の仙台市電廃止により、5両の100形電車が長崎電気軌道に譲渡され1050形となったのですが、その姿を見たくて現地を初めて訪れたのは昭和55年3月のことでした。

門司港駅から夜行鈍行の「ながさき号」に揺られ、長崎駅に着いたのは翌朝の7時前。すぐに駅前から路面電車に乗っていますが、直後にすれ違ったのが1055号。早くも元仙台市電との出会いでした。

絶対数が5両だけですので、そう頻繁に出くわす訳ではありませんが、そこそこの頻度で見ることができ、着いた日と翌日の朝までに1052号をのぞく4両を撮ることができました。

その中から、今回引退となる1051号の写真ですが、この時はまだ長崎電気軌道の標準塗装でした。「まぁ、しょうがないよね」とは思っていましたが、色調が仙台市電と微妙に似ているのが救いでした。

1054号の車内からみた1051号
蛍茶屋〜新中川町

翌日の朝、雨の中を走る1051号
諏訪神社前〜公会堂前

実際に乗れたのは1054号だけでしたが、市内を元気に走り回る元仙台市電の姿を見てうれしく感じたものです。

次に長崎に行ったのは昭和58年でしたが、滞在時間はわずかに2時間程度で、駅前から公会堂前付近で少し撮ったものの、1050形とは出会えずじまい。少しずつ稼働率が落ち始めてはいましたが、元仙台市電がまだまだ活躍していた頃で、今考えると惜しいことをしました。

その次は、ずっと下って平成10年。この時は割としっかりと長崎電軌を撮っていますが、残念ながら既に1050形の運用は大幅に縮小され、平日朝のみの運転だったようです。しかも廃車が進み、残っていたのは1051号と1053号の2両のみ。動いている姿を見ることはできませんでした。

ともかく、浦上車庫に行ってみると、仙台市電色に塗り替えられた1051号は不在でしたが、中に入れていただき車庫内で休む1053号を見ることができました。

浦上車庫内の1053号

車内に入ってみると、車両の清掃をしているおばさまたちの休憩所となっていました。

そして、本命の1051号ですが、朝の仕事を終えて蛍茶屋の車庫にいるということで、そちらでも撮らせていただきました。

やっぱり動いているところを見たかったなぁ〜

長崎で見た元仙台市電は以上ですが、今回、引退する1051号の仙台時代の写真がわずかながらありました。

仙台市電廃止直前の117号。

こちらは廃止から数日後。長町車庫の片隅に留置されていた117号です。
プリントの状態も悪いのですが、侘しさが漂っています。これが長崎に行く車両とは知らずに撮ったのですが…

最後にスキャンしたものではありませんが、去年、仙台市秋保温泉で撮った119号。
平成14年に長崎から仙台に帰って来た1053号です。保存された当初は長崎時代の塗装でしたが、平成27年に仙台市電色に塗り替えられ、昨年、車両番号も追記され、一段と仙台時代に近づきました。行先だけは「長崎駅前」ですけど。

先日、仙台市営地下鉄南北線の新型車両導入について書きましたが、ついでと言っては何ですが、初めて南北線の現行車両1000系に乗った時のことなど、つらつらと書いてみます。

といっても、それほど詳細に覚えてるわけでもないので、思い出しながら…

南北線の開業は昭和62年7月15日ですが、乗ったのはその約2ヶ月前に実施された「仙台市地下鉄市民試乗会」でした。

当時は東京の国分寺市に住んでいて仙台市民ではありませんでしたが、母親が応募してくれていました(感謝)

この時の案内がこちら。

これによると試乗会の定員は2万人! 東西線の時はどうだったかと調べてみたら3日間で各2000人で都合6000人。これでも結構多いとは思いますが(当たらなかったけど…)、南北線はその3倍以上。さすがは東北初の地下鉄だけあって仙台市も気合いが入っていたのでしょうか。

乗ったのは5月4日。指定された時刻に合わせて地下鉄仙台駅に行きます。

まず券売機で切符を購入(もちろん試乗会は無料ですので、入れたお金は戻ってきます)。わざわざ切符を買わせるのは、恐らく東北で始めて導入された自動改札機を通る練習を兼ねていたのだと思います。実際、開業初日には自動改札機のゲートが閉まったのにパニクったお客さんが、強行突破して改札機を壊した、なんてこともあったように記憶しています。

そしてその切符が少し変わっていました。

試乗会整理券と当日使った乗車券。

券売機から出てきた時には160円の金額は書いてありますが乗車駅は書いありません。で、自動改札機を通った時に「地下鉄 仙台」と追記されます。つまり仙台駅で買った切符を別の駅からでも使うことができるという珍しい方式でした。まぁ、これは今も変更されていないはずです。最近、切符を買って乗ることがないのでよくわかりませんが…

ともかく改札を抜けたら長いエスカレーターでホームに降りると北側から1000系電車が入ってきます。

エンゼルホワイト(というか、薄いクリーム色)の車体にライトグリーンとエメラルドグリーンと濃淡の緑の細帯を巻いたデザインは、あの宮脇俊三さんには「格別のデザインではない(車窓はテレビより面白い)」と書かれてしまいましたが、ワタシ的にはすっきりしたケレンのない感じで割とお気に入りでした。

とはいえ、それなりに特徴はあります。

まず、当初からワンマン運転となっており、運転席は通常と異なり進行方向右側だったり、先頭車両と中間車両の定員を一緒にするため先頭車両が2mほど長く、狭軌の平屋の電車としては日本最大の床面積でした。

さらにATOの制御にファジィ制御が初めて採用された電車でもあります。まぁ、なんのこっちゃよくわかりませんが、当時は「あいまい制御」なんて言い方を言っていました。

そんなこんなで翌年のローレル賞を受賞した名車です。が、乗ってしまえばロングシートが並ぶ通勤形電車。

電車の行き先表示は「試運転」でしたが、まずは南のターミナル富沢駅に向かいます。

車内は比較的空いていて余裕のある感じ。ゆったりと試乗を楽しめます。

とは言っても地下鉄ですから、走ってしまえばひたすら暗闇の中を走ります。途中駅には停車しますが、富沢駅以外ではドアの扱いはなかったと思います。てか、開けちゃったらお客さんが降りちゃうかもしれませんので…(笑)

一番前で運転士さんの様子も観察します。

一番の特徴はこれかも。発車する時は目の前にある白いボタンを押すと電車が走り出します。駅が近づくと自動的にブレーキがかかってホームに静かに停車。運転士さんは運転席のモニターに映し出されたホームの様子を確認、一応立ち上がって直接ホームを確認して再び白いボタンを押して発車。予備知識はありましたが、実際に見てみるとなかなかの感動ものでした(笑)

富沢駅で折り返し、北のターミナル八乙女駅まで行き、再び折り返し勾当台駅で下車。ここまで約1時間の旅でした。

こちらは翌日に黒松駅前から撮った試乗列車。

あれから30年以上の時が過ぎましたが、ここの風景はほとんど変わっていません。杜の都の地下鉄です。4年後、ここをどんな電車が走るのでしょうか。楽しみです。

東北初の地下鉄として、仙台市営地下鉄南北線が開業したのは昭和62年7月15日でした。当時は東京に住んでいましたが、仙台人としてはやっぱり初日に乗りたいと、前日から休みを取っての帰省でした。で、帰省初日に仙台駅で偶然にC56と出会ったことについては、前回の記事で書いたとおりです。

そして、肝心の地下鉄ですが、意外とあっさりしていました。

まずは、前日に撮った地下鉄仙台駅の改札口の様子です。一応、祝開業の看板は立っていますが、開業前ということで、改札口に張られたロープには「関係者以外立入禁止」の紙が貼られていました。

で、当日。もちろん地下鉄開業のセレモニーはあったと思いますが、撮っているのは何故かJR仙台駅と地下鉄仙台駅を結ぶ地下鉄連絡通路の開通式典。

う〜ん、地味だ(笑) でも司会のお姉さんは別のカットで見ると、満島ひかりさんに似た感じのなかなかの美人さんでした。

そして肝心の地下鉄ですが、仙台駅では何も撮ることなく開業時の北のターミナル八乙女駅まで乗っています。実はこの時が初乗りではなく、GW中に行われた試乗会で全線乗っていましたが、それでも営業初日ですからそれなりにテンションは上がっていたと思うのですが、特に撮るものがなかったのか、写真は低調です。

次の写真は八乙女駅で撮った1000系ですが、電車にもこれといった装飾はなかったようです。

八乙女駅前から南の富沢駅に向かう電車。雨空に取材のヘリが低空を飛んでいて、かろうじて開業初日の雰囲気を出しています。

地下鉄の電車には何もありませんでしたが、駅に出入りするバスには「祝 開業」が付いていました。

その後は南のターミナル富沢駅へ。八乙女駅同様にここも地上駅です。

八乙女駅へと去っていく電車。天気のせいでしょうか、今ひとつ盛り上がらない感じかな〜

雨に濡れた電車の行先は、今は見られない「八乙女」行きです。

ネガの最後の方は、この翌日に開業した会津鉄道が写っていましたが、まさか開業日には行っていないと思います。日付がなかったのではっきりはしませんが、火曜・水曜と休みを取ってしまいましたので、この日は素直にこのまま東京に戻ったものと思われます。

にしても、今回の写真。「八乙女」行きの表示以外は、今日撮ってもあまり変わり映えのない感じですね。

登場時からの1000系電車も更新工事を経て1000N系となりましたので、新車の登場もしばらくはなさそうです。

引退が間近に迫ったJR西日本のC56 160号機。ラストランは今月の27日に北陸本線の米原駅から木ノ本駅で運転される「SL北びわこ号」となり、その後は京都鉄道博物館で余生を過ごすことになりそうです。


西のカマですのでそれほどのご縁はなく、撮りに行ったのは昭和60年に水郡線で運転された「SL奥久慈号」ぐらいなんですが、よくよく考えてみたら仙台駅でも一度撮影していました。
 

ネガを探してみると、撮ったのは昭和62714日。ネガの前後を見てみると、元々の目的は仙台市営地下鉄の開業にあわせての帰省だったようです。ただ、この日は火曜日。地下鉄の開業が翌715日なので、仙台の地下鉄は水曜日に開業したんですね。火曜日と水曜日に休みを取っての帰省ということは… 地元の地下鉄開業がよっぽどうれしかったのだと思われます()


そんなこんなで、この日の最初の撮影は開業前日の地下鉄仙台駅の改札前。自動改札機の前に張られたタイガーロープには、まだ「関係者以外立入禁止」の紙が貼られていました。

一応、これだけ確認したら後は明日の事ということで、家に帰るため仙山線のホームに行くと、側線にいたのがコレ! C56形蒸気機関車。多分、想定外だったと思います。

ヘッドマークには「SL東北100年号」とありますが、この列車が仙台港付近で開催された「未来の東北博覧会」にあわせて運転されたのは、この4日後の7月18日から8月2日までと9月12日から9月23日までですので、この日は試運転だったようです。

牽いている客車も本番での12系ではなく50系です。蒸気機関車が赤い50系客車を牽いている姿は、割と珍しいのではないのでしょうか?

それにしても仙台駅の東側、広いですねぇ。今は仙山線の7番線(現8番線)の向こうには側線が1本あるだけですが、写真を見ると10本ぐらいはあります。さらにその向こうにチラリと見える車両はサシ581です。2両置いてあって、走ることはできませんがカフェとラーメン屋として営業していました。これも懐かしいです。

見ていたら乗務員の方が降りてきて…

ハンマーで点検をしていました。

仙山線のホームにはまだ急行色をまとった455系の普通列車。
多分、これに乗って帰ったんでしょうね。

で、C56はこれでお終い。走行写真は全く撮っていません。地元で、めったに旅客列車が走らない仙台臨海鉄道での運転で、運転期間もそこそこ長かったんだから(しかも1日2往復していたみたいだし…)、「ちょっとは撮っておいて欲しかったなぁ〜」というか、「もう少し真面目にやってくれ!」と、つくづく思う今日この頃です(爆)

古い文庫本を読み返していると、時々、何やら妙なものや懐かしいものが挟んであったりします。なんてネタをこれまで2度ほど書きましたが、今回はその第3弾です。

出てきたのはコレ。

今はなき鹿島鉄道の車内補充券と整理券。日付は平成19年2月10日。鹿島鉄道は平成19年3月31日を最後に廃止されていますので、廃止前のお名残り訪問でした。当時はもう仙台に住んでおり、少し行きにくい感じはあったのですが「あまり混む前に」ということで、ほとんど衝動的に出かけた気がします。

朝イチのスーパーひたちと普通電車を乗り継いで石岡駅まで行き、桃浦駅界隈で夕方まで撮って、普通列車を乗り継いで帰るという、日帰りのそこそこせわしい日程でした。

この時の写真は、ウチの本館の方に載せていましたので、よかったらご覧ください。

車内補充券と直接の関係はありませんが、ちょっと思い出しちゃったので、そのはるか以前に鹿島鉄道を訪れたときの写真をUPしたいと思います。が、詳細についてはほとんど何の記憶もありませんし、特にメモ等も残っていません。とりあえずアルバムに貼ってある順番から昭和62年とわかるだけです。詳細の月日は不明。撮った順番と貼ってある順番が合わないことも多いので、どのように移動しながら撮っていたのかも不明です。

そこでネガを探してみたら…、ありました。この時期のネガは比較的よく管理されています。それによると訪問したのは昭和62年5月9日。当時は東京に住んでいましたが、GWに帰省したあとすぐの出撃だったようです。

ネガは2本ありましたが、1本目はカビだらけで変色がかなりひどい状態。なのに2本目は若干の変色はあるものの、まずまず使える感じ。同じように保管していたはずなのにこの差は何なんでしょうか?

まぁ、それはそれとして、この日の行動がけっこう判明しました。まずは桃浦駅で下車し、乗ってきた列車と行き違いの列車を撮ったあとは、小川高校下駅方向へ移動。その時に来たのがコレ。この頃はまだ百里基地へのジェット燃料輸送の貨物列車が運転されていました。
平成13年にこの貨物列車が廃止になったのが、結果的に鹿島鉄道線にとっての命取りとなってしまいました。

続いて下り列車のキハ713+キハ712。バックは霞ヶ浦です。

桃浦駅に戻って上りのキハ601+キハ602。貫通ドアが付いていますが、平成19年の訪問時には非貫通に改造されていました。
この日の2両編成の列車は同型の車両でコンビを組んでいました。いつもそうだったのかはわかりませんが…

こちらはネガからのスキャン。上の写真の次のカットです。いろいろと頑張って補正してみましたがこれが精一杯。車体にはカビのボツボツ変色が残っています。

続いてやってきた上りの貨物。機関車はDD13タイプのDD902。この時期にはまだDD901というとんでもなく古くて渋すぎる機関車もいたはずですが、見ることは出来なかったようです。

続いてはこの写真。
最初は桃浦駅と八木蒔駅の間かと思っていたのですが、Googleでみるとなんか違う。ネガをたどってみると、どうやら列車で玉造駅まで行って、そこから撮りながら歩き、この写真は玉造駅と浜駅の間のようです。奥の方には玉造駅らしき建物も見えます。

上の列車の後姿です。国道の陸橋の上から霞ヶ浦を入れてみました。

2枚上の写真のちょっと角度違いです。田植え直後の田んぼにツートンの車体が映ります。

浜駅で下り列車。この写真は2本目のネガからのスキャンです。

浜駅で撮ったら再び列車で桃浦駅に戻ります。

桃浦駅〜小川高校下駅で霞ヶ浦をバックに上りの貨物列車。

次第に日も傾いてきました。

最後は夕日と霞ヶ浦とキハ714。

コレを見ると穏やかな1日だった感じですね。満足して引き上げたんじゃないかと思います。特に記憶はないのですが…(笑)

前回、改装前の東京ステーションホテルに泊まった時のことを書きましたが、今回はその翌日の行動について書きます。と言っても、この日は、ちょっと寄り道をしてから仙台の実家へ帰っただけです。

で、まず寄り道した先が、仙台とは逆の方向ですが前の年に開通した東京アクアライン(笑) 

川崎駅前からバスに乗って「海ほたる」を目指します。残念ながら当時のメモは見つかりませんでしたので、1998年3月の時刻表と後々の行動と照らし合わせて考えてみると、「海ほたる」に停まる最初のバス、9:40発に乗っているはずです。

川崎側の海底トンネルの入口をバスの一番前の席から。
Googleのストリートビューで見ると今もあまり変わっていないようです。

トンネルを出ると海に浮かぶパーキングエリア「海ほたる」に停車。ここで下車します。

当時からここは観光地化していましたが、う〜ん、グルメ系とかショッピング系にはそれほど興味がなくて… ただ、木更津方向の橋梁が印象的ではあります。川崎側に戻るUターン用の道路も見えますね。

そして、上を見ると羽田空港に降りる飛行機が次々と飛んできます。その中の1機。ボーイング747ですが、これは!
政府専用機です。実はこの日は、天皇陛下がイギリスとデンマーク訪問から帰られる日でした。この飛行機に天皇陛下が乗ってらっしゃるのか、それとも前後して飛んでいる予備機の方なのかはわかりませんが…

時刻表を見てみると次のバスまで1時間40分ほど。長いです。お昼ご飯でも食べていたんでしょうか? 政府専用機を見た以外の記憶はほとんどないです(笑)

木更津駅前に着いたのはたぶん12:30頃。ここから12:53発の快速逗子行きに乗って錦糸町駅着13:58。総武線緩行線、山手線か京浜東北線に乗り換えて上野駅に着くのが14:18ぐらいでしょうか?

なぜ上野駅に行ったかというと、次の目的地が、今は「ひたちなか海浜鉄道」と名を変えた茨城交通でした。なぜ唐突に茨城交通なのかはわからないのですが、ともかく勝田駅まで行きます。できれば前の年に登場したE653系に乗りたかったのですが、乗るためには15:30発の「フレッシュひたち37号」まで待たなければなりません。

14:30発の485系「ひたち33号」には間に合いますが、なんかこの時、651系に乗った記憶があるんですよね。

「ひたち33号」に乗ったとすると勝田駅到着は15:56。ただ、茨城交通の勝田駅発車時刻があまり良くないです。「ひたち33号」が勝田駅に着く直前の15:53に出てしまい、その次は16:44。これだと「ひたち33号」の次の上野駅15:00発、勝田駅16:14着の「スーパーひたち35号」でも間に合いますね。記憶を信じればこっちかもしれません。

茨城交通では終点の阿字ヶ浦駅ではなく車庫のある那珂湊駅まで乗っています。というか、車庫で撮るのが目的だったようです。

新型のキハ3710形も見えますが、旧型の気動車もまだまだ多数健在の頃です。
左端には日本初のステンレス気動車ケハ600形も見えていますが、こちらは既に台車は外され倉庫状態となっていました。

ケハ600形と一般色のキハ11形

羽幌炭鉱鉄道色のキハ22形

蔵の中にいる一般色はキハ200形かな

そんなに長居もできず、17:36頃の勝田行きに乗ったと思われます。勝田駅着は17:50頃。

勝田駅の側線に停まっていた特急電車たち。
この485系の塗装は、「ちょっとなぁ〜」でした。特にボンネットが… もったいない(悲)

さて、ここからは仙台に帰るだけですが、仙台行きの特急としては最終となる「スーパーひたち39号」は既に出ちゃっています。というか、そもそも勝田には停まりません。それでも普通列車を乗り継いでいけば、22:59には仙台駅に着くことができます。

ん〜、これで決まりだと思ったんだけどなぁ〜 この先にとんだ落とし穴がありました。

ネガを改めて見直したら、勝田駅で撮った特急電車の次に夜ノ森駅の駅名標とツツジのカット。

空には白さが残っています。日の長い時期ですので日没は19時少し前。夜ノ森駅発19:09の電車に乗れれば“ギリギリあり”かもですが、ここまで見てきた日程では夜ノ森駅発が21:04発。これは完全に無理です。

ここまで読んでくださった方、すみません。はぁ、判んないわ。

とは言うのものの、どうにも収まりが悪いです。ということで、この先は、いよいよ無駄なつぶやきになります。

改めて考えると、仙台駅着の22:59はちょっと遅すぎ。実家に着くのは日が変わる直前になってしまいます。親は午後9時過ぎには寝てしまう人たちでしたので、当時は一応、起きている時間帯には着くようにしていました。

とはいえ、鉄道のダイヤはこの時刻表から変わっているとは思えないし、ルート的にも問題はない気がします。途中、どこかに泊まったとも思えません(泊まっていたらもっと他の写真もあるはず。夜ノ森駅のカットの次は、鉄道とは無関係の仙台近郊で撮ったものでした)。

鉄道のダイヤが変わっていないとしたら、唯一考えられるのが川崎駅前から海ほたるを経て木更津駅前に向かうバスのダイヤ。今回のバスや鉄道の運行時刻については、前述のとおり1998年3月の時刻表を参考にしていますが、実際に行った6月までの間にダイヤの見直しがあったんでしょうか。アクアラインが開通して数ヶ月という時期ですが、予想以上の人気でゴールデンウィーク前に改正、なんてことがあった可能性は否定できない… かな〜?

手持ちの時刻表で1998年3月号の次を探してみたら出てきたのは2001年1月号でした。どうやら21世紀最初の時刻表、ということで取っておいたみたいです。それはそれとして、3年弱経っていますね。参考にしてよいものかどうか悩みますが、一応見てみると…

だいぶ、いい感じになりました。

海ほたるに停車する一番最初のバスの川崎駅前発車時刻が8:20となり、ここで1時間20分の前倒、更に次のバスも川崎駅前8:45発で、海ほたるの滞在時間も1時間20分から25分に短縮と、大幅に時間が稼げました。

この後は、再び1998年3月号の時刻表で検証しますが、木更津駅から9:55発の電車に乗り、千葉駅で乗り換え錦糸町駅に着くのが11:20分。ここから上野駅までは20分程度ですが、着くのは11:30発のE653系「フレッシュひたち21号」が発車した約10分後。残念な思いで次の651系(「スーパーひたち23号」12:00発)に乗ったという記憶とも違和感なく合致します。

13:11に勝田駅に到着。13:41発の茨城交通で那珂湊駅に行くと、40分弱ほど写真を撮る時間があって、勝田駅に戻ってくるのは14:46。15:02発の常磐線普通列車に乗り、いわき駅で仙台行きに乗り換え。この電車の夜ノ森駅発は17:25。日没の1時間半前なので、完全に余裕です。

そして仙台駅着は19:20で、家に着くのは8時前。親もさすがに起きています(笑)

完璧です。疑う余地なし♪ 

まぁ、あくまでもバスのダイヤが変わっていたら…という前提ですけどね。実際のところ、どうなんだろうなぁ?

 

一つ、書き忘れました。あの夜ノ森駅にはまだ電車が来ていません。ツツジも除染のため切られてしまったとのこと。それでも将来、また花を咲かせてくれるよう根本は残したという報道をみました。いつかまたツツジの花に囲まれた駅を見てみたいものです。

前にも書きましたが、古い文庫本が結構たまっています。時々、本棚から引っ張り出して読み直したりするのですが、たまにしおり代わりに何やら挟んであったりすることがあります。

前に書いたときは、撮影地の略地図を書いたメモでしたが、今回出てきたのはこれです。

Room Confirmationと書かれたちょっと古びた安っぽい紙片ですが、一番下にはTOKYO STATION HOTELの文字。

これは東京駅の丸の内駅舎内にある東京ステーションホテルのことですね。そういえば、一度だけ泊まった事がありました。紙片には私の苗字(消しました)と料金などが書いてありますが、肝心の日付がありません。

いつだっけかな〜、と少し調べてみたら当時撮った写真が出てきました。更に探してみたらネガも出てきて日付も判りました。それによると、泊まったのは1998年(平成10年)の6月4日。レンガ駅舎の復元と同時に今風の高級ホテルへと生まれ変わった東京ステーションホテルですが、この時はまだ改装工事が行われる前のことです。

で、だんだん思い出してきました。この時は盛岡に住んでいたころで、東京には研修のために来ていました。その最終日、木曜日でしたが、その日の昼頃に電話で予約して、翌日の休みを取って、半ば衝動的に泊まった気がします(以前に何度か満室で泊まれなかったことがあるので運がよかったのかも…)。

今の東京ステーションホテルはとてもお気楽に泊まれる値段ではありませんが、当時はこの紙片によると税別で1万5000円となっています。まぁ、これでも普段泊まっていたビジネスホテルの倍ぐらいのお値段ですが、鉄道好きにとって東京ステーションホテルという響きには何とも言えない憧れのようなものがあり、やはり一度ぐらいは泊まってみたいと思っていました。

実際に泊まってみると、良く言えば重厚なイメージ、普通に言えば薄暗くて古臭い感じ…でした(笑) でも、ヨーロッパの古いホテルってこんな感じなのかな、などと思ったものです(この時はまだヨーロッパなんて行ったことなかったけど… この後も1回しか行ってないけど…)。

この時に撮った写真を何枚かご紹介します。

2階へ上がる階段のシャンデリアとなんかそれっぽい絵

 

室内は暗くて狭い。まぁ、雰囲気があると言って言えなくはないですが(笑)

 


テレビが分厚いのは時代ですね。

そして窓の外には…

今と比べるととてもシンプルなドームと向かいの部屋が見えます。今の東京ステーションホテルだと「ドームサイドなんちゃら」みたいなしゃれた名前が付いている場所です。

そして下を見ると丸の内南口改札が見えます。特にドーム側の部屋を希望したわけではなかったのですが、この光景は素直にうれしかったです(笑)

こちらは2階の通路(だったかな?)から見た丸の内南口です。

歴史と一緒にやっぱりちょっと古さを感じましたが、念願の東京ステーションホテルのしかもドーム側の部屋に泊まれて満足ではありました。

ところで、例の紙片の真ん中あたりに、JRカード10%offとあります。

JRカードを使うとJR系のホテルは1割引きとなるのですが、ついでですのでJRカードについてちょっと説明すると、その名のとおりJR系のクレジットカードで、元々は国鉄が発行したJNRカードがその前身です。国鉄の最末期となる1985年に初めて発行されたのですが、当初は駅のみどりの窓口で使える唯一のクレジットカードでした。

既に国鉄民営化の動きが見えていた頃ということもあって、とりあえず「JNRマークの付いたカードが欲しい」、という想いだけで作ってしまいました。
このカードはJCBと提携したものですが、これ以外にも各主要クレジットカード会社と提携しており全部で8パターンありました。JCBを選んだのは、デザインが比較的シンプルだったというだけの理由でした。

今はJR各社がそれぞれのクレジットカードを出していますし、そもそも他のクレジットカードでも普通に駅の窓口で使うことができますので、今となってはこれを持つ理由はあまりないのですが(JR系のホテルは今でも1割引きのはずです)、実は今でもJRカードを使っていたりします。とりあえず、変えるのがなんか面倒くさいので(爆)

前回、「古い写真をスキャン☆1996年 とある雪の日」という記事の中で、東日本に残った最後の旧型国電クモハ12の写真をチラリと載せましたが、その後にも鶴見線でクモハ12を撮っていたので、ついでにこちらも載せてみます。

撮った日がはっきりしないのですが、あの雪の日の後で、かつクモハ12が引退する3月16日のダイヤ改正の前日までの間ということになります。

既に週末は沿線にかなり人が出ているということで、休みを取って平日に行ったという記憶があります。現地に行ってみたら日テレの朝の情報番組「ズームイン朝」の中継をやっていたような気もするのですが… う〜ん、どうだったんでしょう。

大川駅に到着したクモハ12。小さな電車からたくさんのお客さんが降りてきました。

大川駅で待機中の折り返しの電車。クモハ12は大川支線の武蔵白石駅と大川駅の間を行ったり来たりしていました。

大川駅を出発したクモハ12。大川支線はわずか1kmの路線で、撮れる場所が少ないのが悩みでした。

午前中のお仕事が終わると、夕方からのお仕事までクモハ12は弁天橋の車庫で休憩。夕方、武蔵白石駅に戻るクモハ12を浅野駅で撮ります。
逆光でフレアが入ってしまいましたが、偶然ヘッドライトに重なって、まぁ、これはこれで良いかと…

上の写真の後姿。

武蔵白石駅で発車待ちのクモハ12。

せっかくなので、もう少しクモハ12で引っ張ります。

3月15日を最後に引退したクモハ12でしたが、3月24日にさよなら運転が行われました。時にJRも粋なことをしてくれます。

で、行くことは行ったのですが、少し遅かったみたいです。人混みが嫌でどうしようか悩んでいる間に遅くなったような気がします。朝はせっかく2両編成で走ったのに撮り損ねてしまいました。

とりあえず鶴見駅で撮影。ここで切り離しこの後は単行での運行になってしまいました。ホームではセレモニーをやっていたようです。

弁天橋駅の近くで撮影。
クモハ12は2両いて、リベットボツボツがクモハ12052、比較的あっさりしているのがクモハ12053でした。

鶴見駅に戻るクモハ12。これもクモハ12052ですね。写真は縦位置にトリミングしていますが、この左右には人と三脚でいっぱいでした。

この後は、2両とも弁天橋の車庫に入って、撮影会をやっていました。

係りの方が時々サボを交換してくれていたようです。

この後、この2両は車籍を残したまま保存されましたが、wikipediaによると、残念ながらクモハ12053は2006年に除籍され2010年に解体されてしまったようです。残るクモハ12052は東京総合車両センタで保存されているようですが、いつか機会があればまた見てみたいものです。

にしても、味わいのある電車、本当に少なくなりました。…なんて言っていると「年寄りの繰り言」とか言われそうですけどね(笑)


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