前にも書きましたが、古い文庫本が結構たまっています。時々、本棚から引っ張り出して読み直したりするのですが、たまにしおり代わりに何やら挟んであったりすることがあります。

前に書いたときは、撮影地の略地図を書いたメモでしたが、今回出てきたのはこれです。

Room Confirmationと書かれたちょっと古びた安っぽい紙片ですが、一番下にはTOKYO STATION HOTELの文字。

これは東京駅の丸の内駅舎内にある東京ステーションホテルのことですね。そういえば、一度だけ泊まった事がありました。紙片には私の苗字(消しました)と料金などが書いてありますが、肝心の日付がありません。

いつだっけかな〜、と少し調べてみたら当時撮った写真が出てきました。更に探してみたらネガも出てきて日付も判りました。それによると、泊まったのは1998年(平成10年)の6月4日。レンガ駅舎の復元と同時に今風の高級ホテルへと生まれ変わった東京ステーションホテルですが、この時はまだ改装工事が行われる前のことです。

で、だんだん思い出してきました。この時は盛岡に住んでいたころで、東京には研修のために来ていました。その最終日、木曜日でしたが、その日の昼頃に電話で予約して、翌日の休みを取って、半ば衝動的に泊まった気がします(以前に何度か満室で泊まれなかったことがあるので運がよかったのかも…)。

今の東京ステーションホテルはとてもお気楽に泊まれる値段ではありませんが、当時はこの紙片によると税別で1万5000円となっています。まぁ、これでも普段泊まっていたビジネスホテルの倍ぐらいのお値段ですが、鉄道好きにとって東京ステーションホテルという響きには何とも言えない憧れのようなものがあり、やはり一度ぐらいは泊まってみたいと思っていました。

実際に泊まってみると、良く言えば重厚なイメージ、普通に言えば薄暗くて古臭い感じ…でした(笑) でも、ヨーロッパの古いホテルってこんな感じなのかな、などと思ったものです(この時はまだヨーロッパなんて行ったことなかったけど… この後も1回しか行ってないけど…)。

この時に撮った写真を何枚かご紹介します。

2階へ上がる階段のシャンデリアとなんかそれっぽい絵

 

室内は暗くて狭い。まぁ、雰囲気があると言って言えなくはないですが(笑)

 


テレビが分厚いのは時代ですね。

そして窓の外には…

今と比べるととてもシンプルなドームと向かいの部屋が見えます。今の東京ステーションホテルだと「ドームサイドなんちゃら」みたいなしゃれた名前がついています。

そして下を見ると丸の内南口改札が見えます。特にドーム側の部屋を希望したわけではなかったのですが、この光景は素直にうれしかったです(笑)

こちらは2階の通路(だったかな?)から見た丸の内南口です。

歴史と一緒にやっぱりちょっと古さを感じましたが、念願の東京ステーションホテルのしかもドーム側の部屋に泊まれて満足ではありました。

ところで、例の紙片の真ん中あたりに、JRカード10%offとあります。

JRカードを使うとJR系のホテルは1割引きとなるのですが、ついでですのでJRカードについてちょっと説明すると、その名のとおりJR系のクレジットカードで、元々は国鉄が発行したJNRカードがその前身です。国鉄の最末期となる1985年に初めて発行されたのですが、当初は駅のみどりの窓口で使える唯一のクレジットカードでした。

既に国鉄民営化の動きが見えていた頃ということもあって、とりあえず「JNRマークの付いたカードが欲しい」、という理由だけで作ってしまいました。
このカードはJCBと提携したものですが、これ以外にも各主要クレジットカード会社と提携しており全部で8パターンありました。JCBを選んだのは、デザインが比較的シンプルだったというだけの理由でした。

今はJR各社がそれぞれのクレジットカードを出していますし、そもそも他のクレジットカードでも普通に駅の窓口で使うことができますので、今となってはこれを持つ理由はあまりないのですが(JR系のホテルは今でも1割引きのはずです)、実は今でもJRカードを使っていたりします。とりあえず、変えるのがなんか面倒くさいので(爆)

前回、「古い写真をスキャン☆1996年 とある雪の日」という記事の中で、東日本に残った最後の旧型国電クモハ12の写真をチラリと載せましたが、その後にも鶴見線でクモハ12を撮っていたので、ついでにこちらも載せてみます。

撮った日がはっきりしないのですが、あの雪の日の後で、かつクモハ12が引退する3月16日のダイヤ改正の前日までの間ということになります。

既に週末は沿線にかなり人が出ているということで、休みを取って平日に行ったという記憶があります。現地に行ってみたら日テレの朝の情報番組「ズームイン朝」の中継をやっていたような気もするのですが… う〜ん、どうだったんでしょう。

大川駅に到着したクモハ12。小さな電車からたくさんのお客さんが降りてきました。

大川駅で待機中の折り返しの電車。クモハ12は大川支線の武蔵白石駅と大川駅の間を行ったり来たりしていました。

大川駅を出発したクモハ12。大川支線はわずか1kmの路線で、撮れる場所が少ないのが悩みでした。

午前中のお仕事が終わると、夕方からのお仕事までクモハ12は弁天橋の車庫で休憩。夕方、武蔵白石駅に戻るクモハ12を浅野駅で撮ります。
逆光でフレアが入ってしまいましたが、偶然ヘッドライトに重なって、まぁ、これはこれで良いかと…

上の写真の後姿。

武蔵白石駅で発車待ちのクモハ12。

せっかくなので、もう少しクモハ12で引っ張ります。

3月15日を最後に引退したクモハ12でしたが、3月24日にさよなら運転が行われました。時にJRも粋なことをしてくれます。

で、行くことは行ったのですが、少し遅かったみたいです。人混みが嫌でどうしようか悩んでいる間に遅くなったような気がします。朝はせっかく2両編成で走ったのに撮り損ねてしまいました。

とりあえず鶴見駅で撮影。ここで切り離しこの後は単行での運行になってしまいました。ホームではセレモニーをやっていたようです。

弁天橋駅の近くで撮影。
クモハ12は2両いて、リベットボツボツがクモハ12052、比較的あっさりしているのがクモハ12053でした。

鶴見駅に戻るクモハ12。これもクモハ12052ですね。写真は縦位置にトリミングしていますが、この左右には人と三脚でいっぱいでした。

この後は、2両とも弁天橋の車庫に入って、撮影会をやっていました。

係りの方が時々サボを交換してくれていたようです。

この後、この2両は車籍を残したまま保存されましたが、wikipediaによると、残念ながらクモハ12053は2006年に除籍され2010年に解体されてしまったようです。残るクモハ12052は東京総合車両センタで保存されているようですが、いつか機会があればまた見てみたいものです。

にしても、味わいのある電車、本当に少なくなりました。…なんて言っていると「年寄りの繰り言」とか言われそうですけどね(笑)

休日に雪が降ると、ついつい写真を撮りに出かけたくなります。ましてやあまり雪が降らない東京ならば尚のこと。

ということで、東京に住んでいた頃(国分寺市ですけど…)に撮った写真がアルバムに入っていたのでスキャンしてみました。

まぁ、例によってたいした写真じゃありませんが、撮ったのは1996年(平成8年)の冬。前々回の記事でご紹介した桜咲く京津線蹴上駅付近の約2ヶ月前、東京近辺の雪景色です。

で、この年、冬の東京の天気を調べてみたら、2月17日土曜日から翌18日の日曜日まで、ほぼ終日「雪」となっています。1月から3月にかけて他に雪降りの日はないので、多分、このどちらか(もしかしたら両方)の日に出かけたものと思われます。

残念ながらこの時のネガが見つからないのでどの順番に撮ったかは判りませんが、アルバムに貼ってある順番でご紹介します。

まずは中央線のE351系「スーパーあずさ」。
場所はどこなんでしょうか? 線路の按配からして西荻窪方向から見た荻窪駅方面…かな? ただ、西荻窪駅からだとこうは見えない気がするので、下り電車の最後尾から撮っているかも… 確認にも行けないのでよく判りませんが…

こちらは中野駅ですね。東西線の5000系が地上に出てきたところです。

この後は、総武線の市ヶ谷付近で黄色い電車を撮っています。

お堀端を西へ向かう103系と、

東へ向かう201系です。

黄色い電車つながり?なのか、次の写真は鶴見線。

まずは鶴見駅の鶴見線ホームに入ってくる103系。

武蔵白石駅。

恐らく弁天橋駅付近。

そして、この年の3月に引退したクモハ12も最後の活躍。というか、午前中のお仕事を終えて弁天橋の車庫に帰るところのようです。

またまた場所を変えて浜松町駅の小便小僧。後ろを行くのは、やはりこの年の3月に引退となった165系急行の「東海」です。大きな目玉がキュートです(笑)

最後は田町駅かな? 近年「THE ROYAL EXPRESS」に改造された伊豆急の2100系第5編成「アルファリゾート21」です。
後ろには何気に100系新幹線が見えます。

以上、こうして見るとそれほどの雪ではありませんが、やっぱりうれしくて出かけちゃったんでしょうね。なんて呑気にやってる場合ではないかも。今日の北陸は大雪で凄いことになっています。すみません、とって付けたようにようになってしまいましたが、心からお見舞い申し上げます。

前回書いたようにインフルエンザに罹ってしまいましたが、若干だるさは残るものの概ね復旧したみたいです。

とは言うものの、本来なら今日まで北海道旅行だったんだよなぁ。体調もそれほどひどい状態になることもなく「ムリすれば行けんじゃね?」程度でしたし、現地の天気もこの時期には珍しくまずまずだったようで…、「はぁ〜 行きたかったなぁ〜」と、むなしく青空を仰ぎ見ておりました。凹む〜(泣)

まぁ、泣いててもしょうがないので(笑)、気分転換に昔の写真を少しスキャンしてみました。

今回取り上げたのは、1996年(平成8年)の春。桜の時期の京都でした。

午前中は大覚寺と嵐山で桜の景色を楽しんだ後、満を持して?訪問したのは、地下化を翌年に控えた京阪電鉄京津線の蹴上駅付近。

京津三条駅からこの駅(というか電停ですが…)までは併用軌道で道路上を電車が走っていました。そして周辺は桜の名所でもあります。行ってみたら必然的に人でいっぱいでした。

特徴的な丸っこいデザインの80形も地下化まで活躍していました。ただ運用区間は京津三条駅と四宮駅間に限定されていたようです。

こちらは今も石山坂本線で健在の600系。
どうでもよいですが、石山坂本線って、昔は「いしやまざかほんせん」だと思っていました(笑)

蹴上駅の先から専用軌道となります。山を下りてくる80形。

京津三条から来た80形。両側はなかなかの交通量です。

この後は、京津線で浜大津駅へ移動し石山坂本線の乗り潰しをしていますが、その間に撮ったと思われる1枚。貨物電車みたいです。左側に見えるのは線路用のバラストでしょうか?

最後に、午前中に撮った嵐山の一枚です。

穏やか春の風景を見て、少しは心も穏やかになったでしょうか? ん〜、そうでもないな〜(爆)

はぁ、どっか行きたい(泣)

3つ前の記事関連でひっぱります(笑)

50系や417系の登場時の写真(プリント)と一緒に出てきたボンネット特急電車の写真は、仙台駅に北側から進入する485系のL特急「ひばり号」。しかもよく見ると先頭車はグリーン車のクロ481。次は中間車のグリーン車サロ481。ということで一編成に2両のグリーン車をつないだ、通称「クロサロ編成」です。

最初はいつ撮ったものか判らなかったのですが、50系や417系と同じネガにこの写真も入っていました。ということは昭和53年の7月から8月上旬の間に撮った写真ということになります。

当時「ひばり」は13往復で、そのうち3往復がこの「クロサロ編成」でした。当時の時刻表が手元に無く、代わりに昭和50年11月の時刻表(この直後の昭和53年10月のダイヤ改正まで大きな動きはないはず)で見てみると、13時20分発上野行きのL特急「ひばり8号」のようです。

「クロサロ編成」は13両編成で、他の485系「ひばり」よりも1両分長い編成だったのですが、この年の6月に途中のサハを1両抜いて12両編成に変更されたと、何かで見た記憶があります。ただ、この写真ではその辺がわかりません。欲を言えばきれいな編成写真も撮っていて欲しかったところです。

当時は仙台駅に行けば、普通に「ひばり」がいた時代ですからね。それに油断してどうも真面目に撮っている気配がないのが悲しい。

一応「ひばり8号」の後姿は撮っていました。こちらもボンネットですね。右に停まっているのは13時24分発上野行きの急行「まつしま4号」です。

特急「ひばり」、急行「まつしま」に続いて、13時29分発の417系普通列車が相次いで出発していたんですね。ホントに夢のようです(笑)

改めてネガを見てみると他にも485系「はつかり」や8月3日の仙台駅ペデストリアンデッキの開通式?の写真もありました。こちらも見ていただきたいのは山々なのですが、ネガの状態が甚だ悪く(417系の別角度からの写真もあったのですが、電車の顔がカビでべっとり緑色)とてもUPできるようなものではありませんでした。

そんな中、比較的被害が軽微で、スキャンした後に悪戦苦闘の末ここまで修正できたのがこちらの写真。12系客車の急行「くりこま」青森行きです。臨時の「くりこま51号」かな? 昭和53年10月の時刻表には該当列車はなく、昭和50年11月の時刻表だと「くりこま51号」は気動車で一関行きでした。まぁ、いいんですけどね…

便利な鉄道だったかどうかはおいといて、趣味的にはいい時代でした。この時に今の機材があったら腕と金の無さを補って余りある成果を残せたはずなんですが… 残念です(爆)

かつて仙台駅に出入りする鈍行(普通列車)は、電気機関車が引く旧型客車、あるいはキハ10系などの古い気動車ばかり。直流電化の仙石線を別にすれば電車なんて特急や急行で乗るものでした。

そんな旧態依然とした状況に、突然近代化の風が吹いたのが昭和53年のこと。青や茶色の旧型客車に替わるレッドトレイン50系客車、仙台地区初の近郊型電車417系が登場。同時期に登場したキハ40系と合わせて、国鉄の普通列車用の新鋭車両が勢ぞろいしました。

当時は高校生でしたが、ぶっちゃけ、これは結構うれしかったです。なにしろ全部新車ですからね(笑) 実際に走り出した時には喜び勇んで仙台駅に撮りに出かけたものです。

 

50系が登場したのは7月でした。最初は常磐線に投入され、仙台〜原ノ町間に1往復の設定でした。

 

こちらは50系に切り替わる直前(前日か前週かは忘れましたが…)の旧型客車の編成です。

手動の扉を開けて、走行中にも関わらず乗客が身を乗り出しています。これが当たり前の姿で、私も乗った時は結構こんな感じでした。当然、危険なわけで、実際に私が高校生の頃でしたが、市内の高校に通う生徒が列車から転落して足を切断した、なんてニュースも記憶にあります。

そして、50系の初日。もちろんドアは自動ですから安全性は問題なしです。これだけでも50系にした甲斐があったというものでしょう。

その後は東北本線でもその姿を見れるようになりましたが、機関車が牽引する客車ゆえに短編成列車による頻発運転に対応できず、また、セミクロスシートながらデッキ付きの構造でラッシュ時の使い勝手の悪さもあって、50系の時代は極めて短命に終わってしまいました。

 

一方の417系の登場時期ははっきりとはわからないのですが、たぶん10月のダイヤ改正、いわゆるゴーサントウの時ではないかと思います。当時の時刻表を見てみたら利府〜白石間で2往復の電車の運用があるので、たぶん、これが417系だと思います。

 


2017.11.29追記

417系の登場時期について上のように推測したのですが、なんか違うかも… 実はこの記事を書いた後に該当のネガを見つけたのですが、417系の写真の後に七夕飾りが写っています。しかも「ひばり」のクロサロ編成も同じネガに入っています。クロサロ編成はゴーサントウの改正で姿を消していますので、どうもゴーサントウの前に417系は運用を開始しているようです。う~ん、もうちょっと調べてみますか。



 


2017.12.02追記

417系の登場時期について県立図書館で調べてきました。当時の新聞を見れば載っていると思ったのですが、地元紙である河北新報は縮刷版は発行していないためマイクロフィルムで保存しているとのこと。う~ん、初めてマイクロフィルムにさわりました(笑)

 

結果、運転開始日は昭和53年8月4日からでした。白石駅で始発式が行われたとのことでその時の写真が載っていました。当初は白石駅〜仙台駅間の1往復のみの運転で、10月のダイヤ改正で上記のように利府駅〜白石駅間で1日2往復となったようです。

 

ちなみに50系の運転開始日も調べようとしたのですが、こちらは記事を見つけることが出来ませんでした。単に見つけ損ねたのか、車両が替わっただけなので記事にならなかったのか? 417系の記事は10分ぐらいで見つけたのですが、50系についてはそのあと1時間半ぐらい探してそこであきらめました(泣)


 

仙台駅の5番線ホームにピカピカの417系が入線してきました。

正面のデザインはスカートが少しごついけど415系とほぼ同じ。サイドを見ると2扉なのが特徴です。ボックスシートが多いのはよかったのですが、50系ほどではないにしても乗り降りに時間がかかることで後にはやや使いづらい車両になってしまいました。それと登場時は準備車といいつつも非冷房。これは少し残念なポイントでした。

右奥には40系気動車の姿も見えますね。

417系は国鉄の財政難から増備が行われることなく当初の5編成15両と小世帯のままでしたが、2007年に運用を離れるまでの30年間一貫して仙台圏で活躍を続けました。

50系と比べると恵まれていましたね。う〜ん、人生いろいろです(しみじみ)

たまたま出てきた1枚の写真。

写っているのはキハ55系気動車、仙山線の普通列車、山形行きです。撮った時期ははっきりしませんが、多分、中学生の頃で昭和50年代の前半。当時住んでいた家の近くに北山霊園という市営の墓地があるのですが、そこの敷地内から撮っています。何で撮ったのかは全く不明(笑)

仙山線は今でこそ、「単線で輸送力がどうの」「動物とぶつかってどうの」「枯れ葉がどうのこうの」などと言われつつも、仙台の都市内交通の一翼を担う鉄道となっていますが、当時は、1時間に1本あるかないかのローカル線。沿線に住んではいましたが、とても普段使いできるような代物ではありませんでした。

そもそも北山駅もまだ存在していません(ちなみに上の写真は現在の北山駅からわずかに北仙台駅寄りのポイントです)。仙台駅と愛子駅の間の駅数はわずかに2駅。北仙台駅を出ると次は遥か向こう(失礼!)の陸前落合駅でした。それが今では7駅。実に3.5倍です。

運転本数も仙台駅発の下り列車ベースで、1日12本でした(以下、運転本数は全て仙台駅発の下り列車ベース)。内5本が急行列車でしたから、普通列車はたったの7本。最終の作並行きを除けば全て山形駅まで行く列車(急行は山形行きの他に新潟行き、酒田行きがありました)。そもそも仙台の都市内交通であるという概念もありませんでした。

状況が変わったのが昭和59年2月のダイヤ改正時で、仙台駅と愛子駅間の区間列車が7本設定されました。そして北山駅、国見駅も新規開業。その後は前述のように駅も増え、運転本数も今では1日46本。そこそこ立派な仙台圏の都市内交通機関として成長しました(もっとも、仙台市と山形市を結ぶ都市間交通期間としては高速バスに大苦戦ですけど…)。

でもなぁ〜、あの頃走っていたのは実にバリエーション豊かでした。この気動車だけでなく、急行列車は455系電車、キハ58系気動車。普通列車はED78牽引の旧型客車(あの頃は“雑客”なんて呼んでましたが、客車自体が多種多様でした)、さらに貨物列車と、E721系電車だけの今と違い、趣味的には面白かったですよね。と言いつつ、身近すぎてほとんど撮ってないというパターン。上の写真が数少ない1枚です(泣)

あれから約40年後、ほぼ同じ場所からの風景です。
残念、ちょっと角度が違ってました。もう少し線路より寄りに行ければよかったかな。

何はともあれ、車両は最新のE721系1000番台。周辺は住宅地ということは変わりませんが、見渡したところ確認できた同じ建物は荒巻小学校の鉄筋校舎だけですね。

昭和は遠くになりにけり…  そりゃまぁ、歳もとるわな(爆)

いつの間にやら8月に入りました。ようやく梅雨も明けたと思ったら、長寿台風がやってきて相変わらずグスグズの天気です。気温もさして上がらず夏っぽさはイマイチ。

ということで、どこにも出かけていませんでしたので、久方ぶりに昔の鉄道写真を引っ張り出してきました。今回はかつて新潟市と燕市を結んでいた新潟交通です。

当時のメモ帳は見つからず詳しい行程は判りませんでしたが、ネガのケースには撮った日付と場所がメモってありました。それによると、撮ったのは1991年12月21日。新潟交通はこの時が2回目でかつ最後の訪問となりました。

新潟駅までは、恐らくですが165系にグリーン車のシートを並べた専用車両を使った夜行快速「ムーンライト」で行ったような気がします。新潟交通の新潟市側の起点となる白山前駅に着いたのは午前8時ごろ。ムーンライトで行ったにしては少し遅いかな? 新潟駅で休んでいたものと思われますが、もう少し真面目にやれ、と言う感じです(笑)

まずは白山前駅から少し西側で撮影。狭い道路から顔を出したのはモハ19形。日車の標準車体ですが、普通の電車が道路を走ってくる姿はなかなか楽しいものがあります。白山前駅から2kmぐらいが軌道、いわゆる路面電車でした。

振り返ると後ろは古風なクハ45形。その向こうに白山前駅が見えます。

歩道橋の上から見た白山前駅。交差点の真ん中(正確には3本の道路に挟まれた場所)にあります。タイル張りの駅舎はなかなか風格のあるデザイン。停まっているのは元小田急のモハ2200形です。

駅の中です。ここだけみると普通に昭和の田舎の私鉄駅という感じです。残念ながら記憶にはないのですが、ウィキペディアによると中には喫茶店や立ち食いそばなどもあったそうです。

ホームでモハ2200形。場所が場所だけにちょっと狭いホームです。

この電車で新大野駅まで乗り、ここから隣の木場駅まで歩きながら何枚か撮影しています。

木場駅で行き違うモハ10形。

ついでにミラーに写った電車。

木場駅から新飯田駅まで移動。再びここから隣の小中川駅まで歩きながら撮影ですが、期待したほど撮りやすくはなかったようです。とりあえずバックに弥彦山と上越新幹線の高架橋が見えます。

小中川駅から終点の燕駅へ。

こちらは燕駅に入ってくる弥彦線の115系。向こう側には新潟交通の古い車両が見えます。

さてと、この後ですが、どうしたんだろう? ネガの写真は白山前駅の夜景が写っていますが、新潟交通で素直に戻ったのかなぁ? 何となく越後線で新潟に戻った気がします。と思ったら次のカットはこの写真。駅のサイズからみて吉田駅のようです。ということは越後線経由で正解みたいです。

と言うわけで、再び白山前駅。

多重露光を試みています。が、三脚は無く、歩道の欄干にカメラを乗っけての撮影。う〜ん、微妙にズレちゃってます(泣)

去り行く電車を見送って終了ですが、このわずか3ヶ月後には白山前駅から東関屋駅間が廃止となり、その後、段階的に廃止され、1999年には全廃となってしまいました。

道路の真ん中を堂々と走る大型の電車。こんな姿を見れる鉄道もすっかり減ってしまいました。福井も時間の問題でしょうね。残るのは江ノ電と京津線ぐらいかな〜。

5月ももう半ばだというのに何故か雪の日の写真です。

ちょっと前に「1984年に函館に行った時の写真をスキャンしました」という記事を書きましたが、その時のネガが入ったファイルが出しっぱなしになっていまして、さすがに仕舞わなきゃと思ったのですが、その前に一番手前に入っていたネガからのスキャンです(笑)

時に1984年の2月ですが、日にちは不明。東京では珍しい本格的な雪景色です。

当時は中央線沿線の国分寺市に住んでいたのですが、写真は西国分寺駅を中心にその周辺での駅撮りです。

まずは西国分寺駅で撮った上りの165系。種別の表示が「急行」に見えます。この頃はまだ普通に急行列車が走っていました。

またまた165系です。種別はよくわかりません。「急行」の表示ではないような… ただ、なんか房総急行タイプのヘッドマークが付いているようにも見えます。

既に中央線の主力となっていた201系。種別表示器が付く前の姿です。

こちらは日野駅。たぶん私が中央線で撮った最後の101系の写真ですが、後姿なのが残念なところ。高尾行きなのだから、待てばいずれ戻ってくるはずなのに撮ってないんだよなぁ(泣)

ここはどこでしょう? たぶん武蔵小金井駅だと思うのですが… 

最後は三鷹駅。向こうに見える総武線も201系ですね。

いずれ大した写真ではないですが、ちょっと懐かしい(笑) にしても、101系や103系を追い落とした201系も既に今はなく… 時の流れは速いものです。

今月の8日、最後の583系電車が最後の営業運転を終えました。

その時に583系の思い出話を書きましたが、今回は過去に撮った583系の写真です。と言ってもただの汚くて古い写真ですが…(笑)

まずは臨時特急「ふるさと」。東北新幹線の大宮暫定開業から上野開業までの間、多客時に新幹線の補完列車として上野〜青森間で運転されました。前の記事でも書きましたが、私が乗ったときはいつもガラガラでした。やっぱり一度新幹線に乗っちゃうと在来線特急では物足りなくなっちゃうんでしょうね。撮影時期は今ひとつ判らないのですが、昭和57年から59年の間だと思われます。

仙台駅で下り列車。

藤田駅〜貝田駅(だと思うのですが…)

東北新幹線開業前、上野駅にはたくさんの特急列車が行きかっていました。485系「白鳥」と並ぶ583系「みちのく」です。というのは冗談で、上野駅に着いた485系がヘッドマークの幕を回して「白鳥」が出た瞬間です。

上野駅を後に青森を目指す「はつかり」。

次は583系「ひばり」。485系のイメージが強い「ひばり」ですがゴーサントウ(昭和53年10月ダイヤ改正)前までは、583系の運用が1本だけありました。絵入りのヘッドマークはゴーサントウからですが、実際にはその少し前から使われ始めていました。と言うことで、この時期にだけ見れた583系「ひばり」の絵入りヘッドマークです。

上の写真の少し前の時期。赤い「ひばり」と青い「ひばり」。と言いつつ“色”が悪い(悲)

撮影時期は不明ですが、たぶん昭和52年ぐらいと思われます。仙台駅を後にする上りの「みちのく」です。現在、線路右手にある新幹線高架橋はまだその全容を見せていません。

最後は昭和51年の船岡駅〜大河原駅の一目千本桜を行く583系「ひばり」です。

古ぼけた写真で少しずつ遡ってみましたが、写真の出来はおいといて…その存在感、やっぱり名車でしたよね。


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