昨年の7月ごろ「ちょっと前の鉄道写真」ということで津軽地方の旅について3回に分けて書きました。ただ、書いた時には当時のメモが見つからずネガと記憶が頼りの記事だったのですが、ブログにアップして間もなくメモが見つかりました。

 

改めて見てみると、…ん〜、あちこちに結構な記憶違い。このままでは、ちょっとなぁ〜というとで一度削除し、訂正版を載せるつもりだったのですが、そのまま忘れ去られていました。とはいいつつ、せっかくスキャンしたのに少しばかりもったいない。

 

で、3本の記事を一つにまとめて、メモを基にいろいろと検証してみました。まぁ、アホだなぁ〜とみていただければ幸いです(笑)

 

では、ここから本文。まずは1回目の投稿分です。

 

以前読んだ宮脇俊三さんの本の中に、ご夫婦でJR東日本の豪華寝台車「夢空間」に乗ったその日に湾岸戦争が勃発し、「こんな日に戦争を始めなくても…」とこぼされるシーンがあったのですが、私も似たような経験があります。
 
宮脇俊三さんの場合は平成3年1月17日のことでしたが、私はその1ヶ月ちょっと後となる2月14日でした。
 
その日、品川発の夜行バス「ノクターン号」でやって来たのは青森県の弘前駅。そして駅の待合室のテレビから流れてきた2つのニュース。
 
1つ目は東名高速道路(だったかな?)での夜行の高速バスの事故。乗客の中に亡くなった方もいらしたということで、同じ夜行高速バスでやって来た身にはそれも十分に衝撃的でしたが、もう1つのニュースが、湾岸戦争でとうとう地上戦が始まったというものでした。
 
1月17日の湾岸戦争勃発後、多国籍軍の航空機や巡航ミサイルによる一方的な攻撃が続いていましたが、イラクもイスラエルに対するミサイル攻撃を行い、やはり次は地上戦に突入するのか? という状況ではありましたが、いざ本当に始まってみると、このまま長期戦になるのだろうか? これまでのアウトレンジの攻撃とは違い(というか、やられる方はたまったもんじゃありませんが…)、地上戦ともなると多国籍軍側にもそれ相応の戦死者もでて、お互いにいよいよ抜き差しならない事態になるのではないか、さらに場所が場所だけに日本経済にも大きな影響が出るだろうか、とか、それなりにいろいろと考えてしまいます。
 
「こんな日に始めなくたって…」
と、弘前駅の待合室でやはり思ってしまいました。

 
といっても、いつまでも待合室でテレビを見てるわけにもいかないので、いつも持ち歩いているラジオで戦争の実況中継を聴きながら、奥羽本線で川部駅に移動。弘南鉄道の黒石線に乗りにいきます。
 
ここで最初の、かつ重大な間違い。この2つのニュースに接するのはもう少し後のことです。この時点ではまだ発生していません。

というわけで、改めて今回の古い鉄道写真は、平成3年2月の弘南鉄道です。
 
かつては国鉄線だった黒石線は、昭和56年に第1次特定地方交通線に指定されますが、(多分)唯一の既存私鉄へ転換路線として、昭和59年に弘南鉄道に移管されました。
 
弘南鉄道となっても非電化のままだったので、車両はJRから引き継いだキハ22がベージュとエンジの(ちょっと違うかも…)の渋い弘南カラーをまとい走っていました。
 
この色は元々好きでしたが、キハ22にもなかなか似合います。
 
▼前田屋敷付近(と思われます)H3.3.24
2月の津軽ということで周辺は真っ白です。

この場所は晴れていればバックに岩木山が入るのですが、この天気ではどうにもなりません。
 
終点の黒石駅は国鉄だったころは弘南鉄道の黒石駅とはちょっと離れたところにありましたが、黒石線の転換時に弘南鉄道の黒石駅に移転統合されました。その黒石駅で弘南線に乗り継ぎます。
 
弘南鉄道は国鉄や首都圏の大手私鉄のお古、さらには元阪和電鉄など、由緒ある?旧型電車がたむろする(趣味的には)実に魅力ある鉄道だったのですが、なかな訪れる機会がなく、初めて来たこの頃は、東急から来たステンレスの7000系の運用も始まっており、既に元阪和のクハ20形など多くの旧型電車が一線を退いた後だったのは残念なことでした。て、いうか、それ以前に一度、行こうとしたのですが、元阪和が3両編成の中間に入ったという記事を何かで見て、「それじゃ行ってもしょうがねぇよなぁ〜」と、止めちゃったんですよね。あ〜、アホだ(泣)
 
それはともかく、この時、動いていた旧型電車は元東急の3600系2編成でしたが、日中帯は3600系と7000系が交互に走っていたように記憶しています。
 
▼弘南黒石駅H3.3.24
渋すぎる側面
 

 

 

▼田舎館駅H3.3.24

隣にステンレスの7000系
 


雪の中での撮影ですが、耳は戦争の中継に集中。といっても戦局に関する直接的な情報は少なく、解説的な話が大半だったように思います。しかも出てくる地名には全くなじみもなく、ただただ緊張感だけを感じていたような気がします。しかも時折り吹雪いてひたすら寒いし…

 

湾岸戦争の地上戦が始まったというニュースはこのあたりで初めて聞いたようです。この頃は普通にラジオをもって歩いていました。
 

 

▼柏農高校前〜津軽尾上H3.3.24

▼柏農高校前〜津軽尾上?H3.3.24
一応、7000系も撮っていました。ネガの前後のコマからみて柏農高校前〜津軽尾上だと思うのですが、Googleの地図で見ても場所が特定できません。
 

▼柏農高校前〜津軽尾上H3.3.24

この後は、弘前駅に3時ぐらいまでに戻り、次の目的地、五所川原へ向かいました。というか、今考えれば、むしろこの時に大鰐線も乗っとくべきだったかなぁ。

 

弘前駅に戻ったのはお昼過ぎでした。思ったよりも早いです。

 

ちなみにラジオから聞こえてくる戦争の方は、よく判らながらも多国籍軍優勢ということで推移しているようでした。というか、結果的には長期戦どころか地上戦の開始からわずか数日で暫定停戦協定が結ばれました。まぁ、その後が長かったし、今なお、あらゆるところでその影響が続いているのですが…

 

この先は2回目の投稿分になります。

 

前回の続きです。

 

遠い中東で戦争が始まった日(正しくは「地上戦が始まった日」)、私は一人、雪の津軽で弘南鉄道を撮っていたわけですが、寒いしお腹は空くしで、午後3時ぐらいには弘前に撤収。

 

くどいようですが、弘前にはお昼過ぎに着いています。お昼は780円のかつ丼セットを食べたことになっていますが、記憶はないです。ただ、メモには予想とは違う味だったと書いてあります。おいしかったのかどうかは定かではないのですが… 

 

朝、湾岸戦争のテレビを見たという記憶は、実際にはこの頃の事だったと思われます。

 

今にして思えば大鰐線に行っておくべきでしたが、中央弘前駅までちょっと遠いのと少し疲れたこともあって、その日の宿泊地の五所川原に移動しました。

 

その時、五所川原駅で何枚か撮っていましたので、こちらもご紹介します。

 

▼下りの「ノスタルジックビュートレイン」

 

ノスタルジックビュートレインは、この前年の平成2年に登場した五能線の観光列車です。50系客車の改造車で、最後部の展望室が特徴でした。

 

▼津軽鉄道のラッセル車

このタイプのラッセル車は、今は弘南鉄道に残るのみですが、この時は津軽鉄道のこの車両もバリバリの現役でした。

 

▼ストーブ列車

津軽鉄道の冬の看板列車です。が、わずか1両の客車はいささか寂しい。そして真っ赤な客車はちょっと…ヤダ(笑)

 

 

 

 

このネガはここでおしまい。で、次のネガの先頭に写っていたのはコレ。

 

▼キハ100(奥羽本線・横手駅)

当時は最新鋭だったキハ100系です。登場時はこんな感じのブラックフェイスでした。初めて見た時はそこそこの違和感がありましたが、今改めて見るとなかなか締まってよい顔だったように思えます。

 

…なんですが、それはそれとして、224日夕方の五所川原駅から横手駅のキハ100系気動車まで、流れ的にいささか唐突感があります。五所川原から横手まで何も撮らない訳はない。ということでしばし考えてようやく思い出しました。

 

24日は五所川原に宿泊し、翌日は津軽鉄道で金木まで往復。その後は五能線でノスタルジックビュートレインに乗っています。そして、津軽鉄道は少し気合を入れてポジフィルムを使ったのでネガのファイルには入っていない、ということのようです。

 

う〜ん、スライドにして保存してあるはずだけど・・・ どこに行ったかな〜? 週末に探してみよ。

 

記事の通り、弘前から五所川原に移動していますがそのまま宿泊ではなく、その日のうちに五所川原駅から津軽鉄道で金木駅まで行っていました。

 

この先は3回目の投稿分となります。

 

少々時間が経ってしまいましたが、前々回の続き、平成3年の津軽への旅です。
 
この時のスライドは無事に発見しました(笑)
 
まずは朝イチで、五所川原から津軽鉄道で金木まで行き、その周辺で撮影。
 
というわけで、朝イチではなく、弘南鉄道に乗ったその日の午後です。
 
▼金木駅〜嘉瀬駅
弘南鉄道と同様にJRから来たキハ22が雪の中、鉄橋を行きます。

 

元国鉄の除雪車キ100もやってきました。このタイプの黒いラッセル車が動いているのを見たのはこれが最初で最後。できればもう少しよい角度で見たかったところです。
 
この日の写真はここで終わり。この後、五所川原に戻り駅近くのビジネスホテルに宿泊しています。ちなみに夕食はモスバーガー。なんでここまで来てモスなんだと、メモの中で愚痴っています(笑)
 
▼撮影場所不明
ストーブ列車です。前日見たのとは違い2両編成で、落ち着いた津鉄色がうれしいところ。にしてもここはどこでしょう? 雰囲気的に金木駅ではなさそうです。後ろに見えるスノーシェッドらしき物がヒントかも… ということで、Googleの航空写真でみてみたら津軽飯詰駅に似たのがありますね。ここかな?
 
この写真は翌日の午前中。それこそ朝イチで出かけて下りのストーブ列車を撮るつもりだったのに寝坊して思ったところで撮れなかったようです。この写真はやはり津軽飯詰駅で撮った上りのストーブ列車でした。この列車に乗って五所川原駅に戻っています。
 
ちなみに高速バスの事故があったのはこの日の朝でした。朝の五所川原駅のテレビで見ていました。
 
▼五所川原駅
凍てついたキハ22
 
五所川原に戻り、続いてノスタルジックビュートレインで東能代へ向かいます。前回もちょっと書きましたが、平成2年に登場した50系の改造車両を使用した観光列車で、今のリゾートしらかみの前身にあたる列車です。当時は1日2往復運転されていました。
 
列車は専用のDE10牽引の3両編成で、うち2両は自由席で外観は展望車と共通の塗装に塗り直されていましたが車内は従来と同じだったように記憶しています。一方の展望車は最後尾の展望室の他、側窓も拡大されるなど気合いの入った改造が行われ、車内もそこそこ豪華な造りとなっていました。
 
乗ったのは午後の便の展望車でしたが、残念ながら車内は空いていました。それでも車内販売の方がいて、丸ごとのりんごが付いたお弁当を買い、冬の日本海を堪能しながら、おいしくいただいた記憶があります。
 
この弁当の名前は「まいたけ風味ネハァー弁当」。鶏の炊き込みご飯とフキ、舞茸、厚焼き玉子、胡瓜の味噌漬け、さらに別の小箱に鮭の和風マリネ?、そしてリンゴとなかなか詳しくメモっています。本当においしかったようです。ちなみにお値段は1000円でした。当時の感覚だと少し高めかな?
 
▼深浦駅でノスタルジックビュートレイン同士が行き違い
後方の展望室は入ることができましたが、寒さ避けに張られたビニール?が凍りついて何も見えませんでした。って、これでも十分に寒いし…
 
ちなみに展望車は必ず編成の後ろに付けるため、終着駅に着くたびにターンテーブルで廻していたように記憶しているのですが… どうでしたっけ?
 
▼冬の日本海
寒々とした絶景です。
この後は東能代駅から奥羽本線で鷹巣駅へ行き、秋田内陸鉄道の急行「もりよし」号で角館駅へという予定だったのですが、写真を見ているうちに思い出しました。
 
ノスタルジックビュートレインは東能代駅の手前、能代駅で大雪のため足止め。全く動かなくなってしまいました。このままでは「もりよし」号に間に合わない。
 
ノスタルジックビュートレインについてはだいたい合っていましたが、ここは間違い。東能代駅までは行きましたが、この先、奥羽本線のダイヤが乱れまくって東能代駅で足止めでした。乗り換えるはずだった奥羽本線の下り普通列車は秋田駅から出れない状態。ただ特急は来るというので待っていたけど一向に来ず、ついには東能代駅で運転打ち切りと、どうにもならない状況でした。
 
で、気づいたのが駅前のバス停。時刻表を見たら間もなく鷹巣駅前を通るバスが来るという絶妙なタイミング。列車に荷物を取りに戻り、あわててバス停へ。
 
バスについては駅員に聞いたみたいで、その後、バス会社に電話して状況を聞くもののかなり混乱したやりとりがそのままメモに残っていました。
 
ちょうどやって来たバスは雪道を快調に走り、鷹巣駅前バス停に到着。ギリ間に合ったかと下車したら、そのバスは鷹巣駅へ直行。降りなきゃ鷹巣駅にそのまま行けたじゃん、ぼやきつつ雪道を走りました、というしょうもない思い出です(笑)
 
ここも微妙に違う。快調に走っていたのは二ツ井駅付近までで、この後は旧道に入り集落ごとにこまめに停まり結構イライラしていたみたいです。さらに鷹ノ巣駅前付近はだいぶ違っていて、駅近くの松葉というバス停を過ぎ次ぐらいかと思ったら駅前の通りを逆に曲がり、駅とは逆の方向へ。次の鷹巣営業所前で下車し駅まで走ったと書いてありました。結局、「走った」というところは同じですが…(笑)
 
▼秋田内陸鉄道 急行「もりよし」号 鷹巣駅
乗務員さんが車両の雪を落としてます。女性の姿も見えますが、秋田内陸鉄道は女性車掌、そして女性運転手のハシリの鉄道でした。
 
▼AN8800型とのすれ違い

かくして予定通り、角館に到着。この日は横手まで行って駅前のビジネスホテルに宿泊。翌日はキハ100系で北上線で北上に抜け、仙台の実家に寄ってから東京に戻ったはずですが、北上駅でお目当ての駅弁を買い損ねたのが記憶に残っています。けど、何の駅弁だったかな〜?
 
秋田内陸線は途中、レールも見えない状況で走っていたようですが、角館には定刻に到着しています。が、ここからまたいろいろと間違いがありました。まず、泊まったのは横手ではなく大曲。そして仙台の実家に寄ってから東京に戻ったのは合ってましたが、経由地は北上ではなく新庄でした。大曲から普通列車2本(40系気動車と50系客車)を乗り継ぎ新庄へ行き、そこから仙山線へ直通する快速仙山5号で仙台へ向かっていました。現在では直通不可能なルートで、なかなか貴重な体験でした(全く覚えてなかったけど…)
 
北上駅の駅弁については、別の記憶とごっちゃになってるんでしょうね。
 
以上、四半世紀前のこととはいえ、記憶なんていい加減なものです、というお話でした(爆) 
前回の続きです。

紀州鉄道に乗った翌日は有田鉄道に乗ってきました。

有田鉄道は、先日、石油工場での大規模な火災が発生した有田市の南隣、有田川町の紀勢本線藤並駅から東へ5.6km、金屋口駅まで伸びる小さな私鉄でした。といっても前日に訪れた紀州鉄道の倍はありますけど…(笑)

ただ、紀州鉄道は未だに生き残っていますが、有田鉄道は訪れた5年後の2002年に廃止されてしまいました。

廃止直前には1日の運転本数がわずか2往復という状態でしたが、行った時は午前中に4往復、午後に1往復で合計5往復。2往復という数字を見た後は「意外と多い」という気もしますが、学校が休みとなる日はバスに振り替えだったようで、実質、高校生の輸送のためだけに延命していたという感じなのでしょう。

訪れた日は月曜日でしたが、恐らくこの旅行のスケジュールのキモは、この有田鉄道だったと思われます。

乗ったのは、藤並駅からの2番列車となる8時8分発(1番に乗ろうとしたのに御坊で寝坊した気がする…イヤ、洒落じゃなくて…)。車両は数年前に樽見鉄道から来たレールバス「ハイモ180」でした。当時のメモを見ると、通学時間帯で、かつ小さなレールバスということもあるのでしょうが、車内は高校生でなかなかの盛況だったようです。

もっとも2駅目の下津野駅で全員降りてしまい、その後は終点の金屋口駅まで空っぽのレールバスで行きました。下津野駅のそばには有田中央高校がありますのでここの生徒たちだったのでしょう。

金屋口駅に到着後、当初予定では次の1往復をどこか近くで撮るつもりだったのですが、当日は前日から続くあいにくの雨。それもそこそこの雨脚で、走っているのもレールバス。これで富士急から来た両運転台のキハ58003が動いていたら多少無理をしても撮ったと思うのですが…

結局、駅に停まっているレールバスを撮って次の藤並行きで戻ることにしました。
キハ58003は車庫の中にいました。この写真だと両運転台かどうかはわかりませんが…
殺風景な金屋口駅ですが、構内には手書きの運賃表といっしょにレポート用紙に手書きされた沿線案内が貼られていました。更にポエムらしきものも… 残念ながら余命いくばくもない小さな鉄道でしたが、大切に思っている人が確実にいたのだなぁ、と今更のように思います。
前々回、紀州鉄道キハ603の鉄コレについて書きましたが、今回は実物に乗った時のことを書きます。

乗ったのは平成9年6月。そんな昔のことだとは思ってなかったのですが、もう20年も前になるんですね。

当時は盛岡に住んでいて、東北新幹線と上越新幹線を乗り継ぎ、越後湯沢から北越急行の特急「はくたか」に乗り直江津、信越本線で長野へ行き、翌日、「しなの」「南紀」「オーシャンアロー」と3本の特急を乗り継いで紀勢本線の御坊駅にやって来ました。

こんななかなかのルートで来たので御坊に着いたのは既に15時過ぎ。まぁ、日の長い時期ですし、なにしろ路線が短いので、あっという間に乗りつぶしができて、そこそこ楽しむことができます。

延長2.7劼竜州鉄道は当時、日本一短い鉄道でした。現在は千葉県の芝山鉄道(2.2)ですが、芝山は全列車が京成電鉄へと直通しているため、実質的には今でも紀州鉄道が日本最短の鉄道かもしれませんね。

ともかくオーシャンアローを降りると紀州鉄道に乗り換え。すぐの発車だったように思います。御坊駅を出るとしばらくは農地も目立ちますが、学門駅ぐらいからは古い住宅街という感じで、どうということのない車窓が続くなか、御坊駅を出てからわずかに8分で終点の西御坊駅に到着しちゃいます。

結局どこで撮ったらよいかもわからず、時間もないし天気もいまいちだし(梅雨時ですからしょうがないですが)、西御坊駅界隈で軽く撮ります。

▼西御坊駅から御坊駅方面を望む。
西御坊駅からはさらに日高川駅まで0.7劼寮路が伸びていましたが、乗りに行った8年ほど前に廃止になってしまいました。西御坊駅から先へとまだレールが伸びていました(今もあるようです)。

▼手前が旧日高川駅方面になります。

▼キハ603の御坊駅側 車両番号のペンキが垂れてます。

このあと紀伊御坊駅に移動。ここはなかなか立派な駅舎があります。

▼駅の端にキハ605がいました。

岡山臨海鉄道から来たこの車両は紀州鉄道では一度も営業運転されたことがなかったそうです。廃車後は有田鉄道の金屋口駅跡にある有田川町鉄道公園に保管されていましたが、今は伏木ヤードというところで復元作業をされているとのこと… 状況がよくわかりません。きれいになった姿を見てみたいものですが… と、いろいろネットで見ていたらジェイアール貨物・北陸ロジスティクスという会社からきれいな姿で販売されていました。販売価格は「お問い合わせください」とのことです(笑)

何はともあれ、雨は強くなるし暗くなるしで御坊駅に引き上げます。

▼走行中の車内。白熱灯の明かりがいい感じ。

▼御坊駅に着きました。バス窓越しに阪和色の113系。

▼御坊駅の0番ホーム。1番線に到着したのは元急行用の165系。

紀州鉄道の写真はこれでおしまい。この日は御坊に泊まって、翌日、有田鉄道に乗って、そのあと南海や大阪の地下鉄の未乗区間をいくつかやっつけて、伊丹空港から飛行機で引き上げたのでした。てか、有田鉄道ぐらいまではそれなりにメモが残っていたのですが、その先がいい加減で詳細がわからない… 困ったもんだ。
どうもこのところ飛行機ネタが続いています。なんか鉄道ネタを、ということで例によって古いネガを見ていたら、街中を行く南海電車の写真が出てきました。
 
しかも単行! なんだっけ、これ?
 
どうやら南海電鉄の天王寺支線のようです。
 
そ〜いえば乗ったことありました。ネガのメモによると乗ったのは平成2年1月。天王寺支線は、南海の天下茶屋駅から国鉄天王寺駅を結ぶ2.4kmの短い路線でしたが、訪れた時は地下鉄堺筋線の天下茶屋駅への延伸工事の影響で、天下茶屋駅から今池町駅間が廃止され(現在はこの下を地下鉄が走っています)、今池町駅から天王寺駅までわずか1.3kmの孤立路線となっていました。
 
この時の記憶はかなりあいまいだったのですが、前後のネガを見ているうちに少し記憶がよみがえって来ました。
 
天王寺支線に乗った前日は同じ南海の高野線に乗っていました。おそらく和歌山線の橋本駅で乗り換え、30000系の特急「こうや」や21000系ズームカーの急行等を撮りながら高野線の終点極楽橋駅まで乗っているようです。

ということで、まずは高野線から…

 
▼21000系ズームカー[場所不明] H2.1.27

▼30000系特急「こうや」[場所不明] H2.1.27

▼22000系角ズームカー[極楽橋駅] H2.1.27

この赤い橋が極楽橋でしょうか?

▼21000系ズームカー[極楽橋駅〜紀伊神谷駅] H2.1.27
結構、山深いです。
 
何故か、一駅戻り紀伊神谷駅でも撮っていました。
 
▼21000系ズームカー[紀伊神谷駅] H2.1.27

▼30000系特急「こうや」と21000系ズームカー[紀伊神谷駅] H2.1.27

この後は極楽橋駅に戻り、ケーブルカーで山に上り高野山をお参りしています。さらにバスで奥の院まで行ったのですが、ロケットを模した新明和工業の慰霊碑があってびっくりしたのを思い出しました。
 
翌朝、大阪市内のビジネスホテルから歩いて天王寺駅に向かう途中に四天王寺を見つけて参拝。その後、天王寺駅前から住吉まで阪堺電車に乗り、住吉大社もお参りと、我ながらなかなか信心深いことです(笑)
 
▼阪堺電車[住吉〜住吉鳥居前] H2.1.28
大阪市電1601型60年記念の臨時電車です。たまたまやって来たところを撮影しました。
 
住吉周辺で阪堺電車を撮影し、その後は天王寺支線に乗りに行きます。そのまま阪堺電車で恵美須町行きに乗り今池乗換えが簡単なのですが、ネガには南海本線の住吉大社駅の高架ホームから住吉大社を撮った写真があったので、どうやら住吉大社駅から萩ノ茶屋駅まで行き、徒歩で今池町駅へ行ったようです。
 
当時は萩ノ茶屋駅が今池町駅への乗換駅になっており、切符も通しで買うことができたので、阪堺電車で行くよりは安かったのだと思います。まぁ、この辺の治安についてもよく知りませんでしたし…
 
南海本線の電車に乗ったら、萩ノ茶屋駅が無い!とか慌てつつも(覚えてないけど、多分そうだったのではないかと…(笑))、仏の加護?もあって無事に今宮町駅に到着。今宮町付近で撮影したのですが、大都市の中を走る大手私鉄の電車が単行だったことに驚きでした。
 
▼1521系[今宮町駅〜飛田本通駅] H2.1.28

▼今宮町駅 H2.1.28

今宮町駅や1521系の車内については、あまり記憶がありませんが、終点の天王寺駅は薄暗い工事現場のような駅で、妙に印象に残っています。今は天王寺駅の駅ビル「天王寺MIO」となっている場所で、駅ビルの工事の真っ最中だったのかもしれません。
 
▼天王寺駅 H2.1.28

天王寺支線の沿線についての記憶はほとんどありませんが、改めてGoogleの航空写真で見ると線路跡がくっきりと残っているのがわかります。先にご紹介した長野電鉄河東線や京福電鉄の永平寺線もそうでしたが、鉄道の跡ってなかなかしぶといですね(単に再利用しづらいだけなのでしょうが…)。
 
というわけで、今回はここまでです。
先週末はG7財務相・中央銀行総裁会議がらみで、ドイツとアメリカの要人輸送機を仙台空港で撮ることができましたが、今週はサミットでエアフォースワンとしてVC-25も来たみたいですね。いずれはあれも撮ってみたいものです。

で、オバマ大統領の広島での演説。謝罪が無いとか、ただの理想論だとか、いろいろな意見もあるようですが、やっぱり現職のアメリカ大統領が広島を訪れた、ということに意味があるんでしょうね。ただ、大統領自身が言っているように核廃絶の道はあまりにも遠そうですが…

 
えっと、話を戻します。

今回、古いネガからスキャンしたのは、飛行機つながりということで、
平成2年3月に撮影した羽田空港。
 
ネガの状態は、以前ご紹介した京福電鉄・福井鉄道や長野電鉄と比べるいささか悪いのですが、それなりに懐かしい機体が写っていたので、よろしければご覧くださいませ。
 
当時は国分寺市に住んでいたのですが、車で小湊鉄道を撮りに行く途中、ちょっと回り道をして立ち寄ったという記憶があります。

羽田空港に隣接する京浜島から海越しに撮影したのですが、当時の羽田空港は沖合い展開工事の真っ最中で、空港周辺の海には杭が立ち、敷地内を大型のダンプ等が行きかっていました。その時は、飛行機の写真に極力ダンプが入り込まないように撮ったのですが、今考えれば、一緒に写っていた方がそれっぽい臨場感があって良かったかも知れませんね。

 
ちなみにこの時に撮ったのはわずかに4カットでした。ちゃっちゃと撮って主目的地の小湊鉄道へ急いだものと思われます。
 
▼ロッキードL1011[全日空] H2.3.17

トライスターの愛称を持つ3発機ですが、所謂ロッキード事件で名を上げた?機体でもあります。

▼ボーイング727[全日空] H2.3.17

機体後部にまとめられた3発エンジンとT字型尾翼が特徴のスマートな機体で、当時一番好きな飛行機でしたが、これを撮ってほどなく姿を消してしまいました。これと比べるといかにも平凡に感じたボーイング737が、今なお、バージョンを上げながら作り続けられているんですよね。わからんものです。

 
で、多分この場所が気に入ったのでしょう。その翌週、もう一度訪れています。この時はここが主目的地で、わりとじっくりと撮っています。
 
▼ダグラスDC-10[日本航空] H2.3.24

生まれて初めて乗った飛行機がこれでした。日本航空の尾翼の鶴丸と窓のところの赤と濃紺の帯が、いかにも「日本のナショナルフラッグ」というイメージ!、だったんですけどねぇ。

 
▼エアバスA300(日本エアシステム) H2.3.24

これは2番目に乗った機種。長崎から羽田まで乗りましたが、上がってから降りるまでひたすらガタガタと揺れ続けたという記憶しかないです(笑) あっ、初めて飛行機のトイレを使ったのがこの機体でした。トイレのドアの開け方に戸惑っていたらスチュワーデスさん(今でいうところのCAさん)がさっと開けてくれました(恥)
 
▼ボーイング767[日本航空] H2.3.24
これってB767ですよね? この塗装のB767があったって、全く覚えていませんでした。近年の塗装と比べるとなんか、フォーマルって感じがするのは私だけ?
 
▼ボーイング747[日本航空] H2.3.24

ついに日本の航空会社からは姿を消してしまったジャンボジェットですが、この頃は羽田や伊丹に行って見ると飛行機の大半がこれで、ローカル路線のみ中型、小型機で運行されていたという印象です。その重量感あふれるフォルムとあわせて、まさに日本の空の王者と言う風格でした。

▼ボーイング727[全日空] H2.3.24

移動中に来てしまった本命のB727。変なところで撮っちゃった、という感じでしたが、今見れば、それなりに面白いかも。


ボーイング737[南西航空]
 H2.3.24

現在の日本トランスオーシャン航空です。オレンジ色が印象的ですが、この塗装は昨年の沖縄旅行の際に那覇空港でリバイバル塗装のB737で見ました。
当時の羽田空港は台湾への中華航空を除けば国内線のみの運行でしたが、成田空港で何かトラブルが発生すると、まれに国際線の飛行機が羽田に飛来することがありました。この時も、途中から海外の航空会社が次々と飛来して、一気に華やかになりました。
 
▼ボーイング747[中華航空] H2.3.24
これはいつも通り。
 
▼ボーイング747[ユナイテッド航空] H2.3.24
これは前の前の塗装でしょうか? すみません、よくわかりません。
 
▼ボーイング747[アメリカン航空] H2.3.24
アメリカン航空は長らくこの塗装のイメージだったのですが、いつの間にかデザインが変わってましたね。知らんかった。
 
▼ボーイング747[ノースウエスト航空] H2.3.24
今はデルタ航空に経営統合されたノースウエスト航空です。当時の新塗装とその前の旧塗装とそろってやって来ました。赤い垂直尾翼が特徴でした。

▼ダグラスDC-10[フィンエア]
 H2.3.24
もちろんアメリカ以外の航空会社も来ていました。
 
というわけで、汽車Poppoと言っておきながら、どうも最近は飛行機ネタが多すぎるような気もするので、最後に、この時に大井で撮った新幹線300系の試作車です。たぶん、登場したばかりの時です。
▼ H2.3.24

「平成5年の長野電鉄の写真」第3弾です。

 

岩野駅と雨宮駅の間でED5000+営団3000系の回送列車を撮った後は、岩野駅から河東線で信濃川田駅に移動。ここで駅撮りをしています。

 

木造の駅舎は路線が廃止された今も健在で、構内にはかつての特急電車2000系や営団3000系改め3500系が静態保存というか放置されているようですが、この頃はもちろん現役で、日中帯は単行で行き来する1500形がこの駅で交換し、穏やかな天気のもと、何とも“ゆる〜い”雰囲気を醸し出していました。

 

▼信濃川田駅  [H5.5.16]



 

夕方の通学通勤の時間帯になると、さすがに単行では辛いのか2両編成の元東急5000系の「赤ガエル」こと2500系と交代。

 

▼信濃川田駅  [H5.5.16]


 

最後は須坂駅でみた0OSカー。

 

▼須坂駅  [H5.5.16]

地方私鉄らしかぬ近代的なデザインの電車でしたが、この電車も1500形、2500系と一緒に3500系に追われ引退してしまいました。

 

以上、古きよき時代の長野電鉄でした。

 

この後は、素直に長野駅から特急「あさま」で帰ったと思いますが、・・・写真はありませんでした。

前回の続きです。
 
屋代駅でED5001と営団3000系を撮って、その後は須坂への回送列車を撮ろうと河東線で移動。と言っても初めてきた場所で撮る場所もわかりませんので、車窓をみながら適当な駅で降ります。ネガに付いていたメモによると岩野で降りて雨宮方向に歩いたようです。
 
廃止されて久しい河東線ですが、Google地図の航空写真で見ると線路跡がはっきりとわかります。なんと地図には旧駅名も表示されています(なんでだろ?)。
 
結局、撮った場所は完全には確認できませんでしたが、それっぽいところはありました。
 
▼屋代行き  [H5.5.16]
岩野駅から雨宮駅方面に歩き出してすぐぐらいの場所(と思われます)

▼須坂行き  [H5.5.16]
先ほどの電車が戻ってきました。
 
▼ED5001+営団3000系  [H5.5.16]
ネギ畑で撮ってます。光線が微妙です。なんだかヘタっぴです。個人的にはネギは苦手です(^^ゞ 場所は岩野駅と雨宮駅の中間地点付近と推定されます。
 
▼屋代行き  [H5.5.16]
岩野駅に戻る途中のトンネルです。雨宮駅に行かずに岩野駅に行ったのは、たぶんこのトンネルで撮ろうと思ったんでしょうね。ちなみにここはGoogleのストリートビューでも確認できました。
 
当初は乗りつぶし目的だったと思うのですが、思いがけず珍しい回送列車と、この直後に姿を消すことになる1500形の最後の活躍を撮ることができました。この後も少し1500形を撮っていますので、それはこの次にご紹介したいと思います。

週末はそこそこの天気でしたが、体調がイマイチ。お出かけは控えてしまいましたので、また昔の鉄道写真ネタです。

 

前回は平成5年2月の京福電鉄と福井鉄道でしたが、今回はその3ヶ月後、平成5年5月の長野電鉄です。

 

この時は前日に上田交通に行き、当初はそのまま日帰りのつもりだったのですが、何となく気が変わり上田に宿泊し、翌日信越本線で屋代に来た、ような気がします。前回の福井は行程のメモがありましたが、今回はなし(同じメモ帳に上田交通や長野電鉄の電車の時刻のメモはありましたので、単に記録をとっていなかったようです)。

 

まだ乗っていなかった長野電鉄河東線の屋代〜須坂間の乗りつぶしが目的だったと思われますが、屋島駅に来てみると…

そこには武骨な電気機関車。

そして丸っこいステンレスの電車。

そして、そこそこの数の同業者()

 

本当に偶然だったのですが、営団地下鉄(現在の東京メトロ)から長野電鉄に売却された日比谷線の3000系電車の搬送が行われた日でした。


▼ED5001  [H5.5.16]

向こうから1500形が接近。そしてホームの反対側には営団3000系が待機中。

▼ED5001と並ぶ1502
  [H5.5.16]

1500形は昭和26年生まれ。見た目よりは新しいかも…

▼1502
  [H5.5.16]

上の写真の反対側。窓枠がHゴム化され、ちょっと雰囲気が違っています。この顔もわりと好きです。

▼営団3000系と1502
  [H5.5.16]

1500形は、この後、営団3000系改め長電3500系に追われ、運用から外れることになります。

▼名称不明ですが…
  [H5.5.16]

これで3000系を牽引してた…んでしょうね、たぶん。向こう側の「あさま」色の189系も懐かしい。

▼ED5001+3000系×2
  [H5.5.16]

須坂への回送の編成ができました。

 

ホームから降りて線路で撮影していますが、え〜っとですねぇ、この頃はまだなんなとなくこんな感じで、駅員さんも黙認、って感じでした。え〜っと、すみません、もうしません。ということでご容赦を。

この後、この回送列車を撮っていますが、それは次の機会に… てか、写真の出来がイマイチなんだよなぁ〜

2回ほど空いてしまいましが、平成5年に撮った福井の写真の続きです。
 
京福電鉄の永平寺線と福井鉄道を撮った翌日、どうしたかというと、前日に撮っていなかった京福電鉄の越前本線の轟(どめき)駅で撮っています。なぜ轟駅に行ったかと言えば、…なんでなんでしょう? わかりません。駅名に惹かれたのかな?
 
とりあえずこんな感じ。車両は阪神からやって来た2201形です。 
▼轟駅  [H5.2.27]



2201形は京福初の高性能電車で、かつ冷房車。1両編成で運転されていました。もちろん両運転台ですが、京福に来た時に改造したのかな、と思っていたのですが、改めて調べてみたら最初から両運転台だったんですね。
 
轟駅で撮った後、どうしたのかはネガからは不明。轟駅の次は夜の金沢駅で撮影してます。そのまま金沢に行ったとしたら時間が合わない。で、探してみたら当時のメモが見つかりました。
 
それによると、この時の全行程は以下の通りでした。
 
東京からひかり1号(100系)で名古屋まで行き、こだま495号(0系)に乗り換え米原へ。ここで近江鉄道を1枚撮ってからしらさぎ1号(489系)で福井に入っています。こだまで米原まで行ったのは、名古屋でひかり1号からしらさぎ1号に乗り継げなかったからだと思われます。
 
福井に着いてからは、京福電鉄で永平寺まで往復して、福井口から田原町、福井鉄道で市役所前と、記憶通りの行動でした。
 
デジカメになってからは、乗った列車も出来るだけこまめに撮るようにしていますが、当時はほぼ撮ってないですね。今から考えるともったいないけど、フィルムの時代は1枚撮るといくら、みたいな感覚でしたからね。最初からデジカメの今の人がうらやましい(笑)
 
という年寄りネタはおいといて…
 
轟駅で撮った後はメモによると、越前本線で終点の勝山駅まで乗りつぶし、越前大野駅までバスで行って越美北線のキハ120で福井に戻っています。さらに福井鉄道もこの時に武生新まで乗りつぶしていました。てか、やっぱりもう少し写真を撮っててほしいところです。
 
そういえば、福井鉄道の乗りつぶしをした時に、なかなか年代物の電車に乗って、たまたま隣に乗り合わせた学校の先生をやっているといいうおじさんと何かいろいろと話をさせていただいた、なんて感じで記憶が少しよみがえってきました。ちなみにこの時に乗ったのは200形(202-1)でした。
 
武生からは雷鳥35号(489系)で金沢まで行って、寝台特急「北陸」で帰京したのでした。往復ともそれなりに豪華なラインナップですが、前年の平成4年から原因不明の体調不良が続いて、ようやく復調の兆しが見えたころの旅行でした。それで、念のため、という感じで新幹線、特急、寝台特急という(夜行バスや普通列車よりは)体に優しそうな列車を選んだのでした。
 
というわけで、最後は金沢駅で撮った雷鳥と北陸です。
▼金沢駅  [H5.2.27]

昨日の続きです。
 
永平寺線で撮った後は福井口駅まで戻り、ここから三国芦原線に乗り換え田原町まで行っています。というわけで、次の目的は福井鉄道。
 
田原町にいたのは、今では絶滅直前(って、まだいましたっけ?)の200形。この頃はごく普通に走ってました。
▼田原町  [H5.2.26]

200形に乗って市役所前まで移動。この周辺で夕方まで撮っています。
 
▼市役所前付近  [H5.2.26]

 
▼こちらは200形の急行  [H5.2.26]


▼140形…でしょうか?
  [H5.2.26]

▼元静岡鉄道の300形  [H5.2.26]

なんか暗くなってきました。
 
▼これは80形…かな?  [H5.2.26]
もうすっかり夜です。
 
この日はこれで終了。駅の裏手にあるビジネスホテルに投宿。部屋の窓からは福井駅が見えまして、ホームに停まっている419系なんかの写真も残っていました(写ってるだけですけど…)。
 
それにしても改めて見てみると、実に味のある車両たちですね。200形、間に合うものならば、もう一度行って乗ってみたくなりました。