3つ前の記事関連でひっぱります(笑)

50系や417系の登場時の写真(プリント)と一緒に出てきたボンネット特急電車の写真は、仙台駅に北側から進入する485系のL特急「ひばり号」。しかもよく見ると先頭車はグリーン車のクロ481。次は中間車のグリーン車サロ481。ということで一編成に2両のグリーン車をつないだ、通称「クロサロ編成」です。

最初はいつ撮ったものか判らなかったのですが、50系や417系と同じネガにこの写真も入っていました。ということは昭和53年の7月から8月上旬の間に撮った写真ということになります。

当時「ひばり」は13往復で、そのうち3往復がこの「クロサロ編成」でした。当時の時刻表が手元に無く、代わりに昭和50年11月の時刻表(この直後の昭和53年10月のダイヤ改正まで大きな動きはないはず)で見てみると、13時20分発上野行きのL特急「ひばり8号」のようです。

「クロサロ編成」は13両編成で、他の485系「ひばり」よりも1両分長い編成だったのですが、この年の6月に途中のサハを1両抜いて12両編成に変更されたと、何かで見た記憶があります。ただ、この写真ではその辺がわかりません。欲を言えばきれいな編成写真も撮っていて欲しかったところです。

当時は仙台駅に行けば、普通に「ひばり」がいた時代ですからね。それに油断してどうも真面目に撮っている気配がないのが悲しい。

一応「ひばり8号」の後姿は撮っていました。こちらもボンネットですね。右に停まっているのは13時24分発上野行きの急行「まつしま4号」です。

特急「ひばり」、急行「まつしま」に続いて、13時29分発の417系普通列車が相次いで出発していたんですね。ホントに夢のようです(笑)

改めてネガを見てみると他にも485系「はつかり」や8月3日の仙台駅ペデストリアンデッキの開通式?の写真もありました。こちらも見ていただきたいのは山々なのですが、ネガの状態が甚だ悪く(417系の別角度からの写真もあったのですが、電車の顔がカビでべっとり緑色)とてもUPできるようなものではありませんでした。

そんな中、比較的被害が軽微で、スキャンした後に悪戦苦闘の末ここまで修正できたのがこちらの写真。12系客車の急行「くりこま」青森行きです。臨時の「くりこま51号」かな? 昭和53年10月の時刻表には該当列車はなく、昭和50年11月の時刻表だと「くりこま51号」は気動車で一関行きでした。まぁ、いいんですけどね…

便利な鉄道だったかどうかはおいといて、趣味的にはいい時代でした。この時に今の機材があったら腕と金の無さを補って余りある成果を残せたはずなんですが… 残念です(爆)

かつて仙台駅に出入りする鈍行(普通列車)は、電気機関車が引く旧型客車、あるいはキハ10系などの古い気動車ばかり。直流電化の仙石線を別にすれば電車なんて特急や急行で乗るものでした。

そんな旧態依然とした状況に、突然近代化の風が吹いたのが昭和53年のこと。青や茶色の旧型客車に替わるレッドトレイン50系客車、仙台地区初の近郊型電車417系が登場。同時期に登場したキハ40系と合わせて、国鉄の普通列車用の新鋭車両が勢ぞろいしました。

当時は高校生でしたが、ぶっちゃけ、これは結構うれしかったです。なにしろ全部新車ですからね(笑) 実際に走り出した時には喜び勇んで仙台駅に撮りに出かけたものです。

 

50系が登場したのは7月でした。最初は常磐線に投入され、仙台〜原ノ町間に1往復の設定でした。

 

こちらは50系に切り替わる直前(前日か前週かは忘れましたが…)の旧型客車の編成です。

手動の扉を開けて、走行中にも関わらず乗客が身を乗り出しています。これが当たり前の姿で、私も乗った時は結構こんな感じでした。当然、危険なわけで、実際に私が高校生の頃でしたが、市内の高校に通う生徒が列車から転落して足を切断した、なんてニュースも記憶にあります。

そして、50系の初日。もちろんドアは自動ですから安全性は問題なしです。これだけでも50系にした甲斐があったというものでしょう。

その後は東北本線でもその姿を見れるようになりましたが、機関車が牽引する客車ゆえに短編成列車による頻発運転に対応できず、また、セミクロスシートながらデッキ付きの構造でラッシュ時の使い勝手の悪さもあって、50系の時代は極めて短命に終わってしまいました。

 

一方の417系の登場時期ははっきりとはわからないのですが、たぶん10月のダイヤ改正、いわゆるゴーサントウの時ではないかと思います。当時の時刻表を見てみたら利府〜白石間で2往復の電車の運用があるので、たぶん、これが417系だと思います。

 


2017.11.29追記

417系の登場時期について上のように推測したのですが、なんか違うかも… 実はこの記事を書いた後に該当のネガを見つけたのですが、417系の写真の後に七夕飾りが写っています。しかも「ひばり」のクロサロ編成も同じネガに入っています。クロサロ編成はゴーサントウの改正で姿を消していますので、どうもゴーサントウの前に417系は運用を開始しているようです。う~ん、もうちょっと調べてみますか。



 


2017.12.02追記

417系の登場時期について県立図書館で調べてきました。当時の新聞を見れば載っていると思ったのですが、地元紙である河北新報は縮刷版は発行していないためマイクロフィルムで保存しているとのこと。う~ん、初めてマイクロフィルムにさわりました(笑)

 

結果、運転開始日は昭和53年8月4日からでした。白石駅で始発式が行われたとのことでその時の写真が載っていました。当初は白石駅〜仙台駅間の1往復のみの運転で、10月のダイヤ改正で上記のように利府駅〜白石駅間で1日2往復となったようです。

 

ちなみに50系の運転開始日も調べようとしたのですが、こちらは記事を見つけることが出来ませんでした。単に見つけ損ねたのか、車両が替わっただけなので記事にならなかったのか? 417系の記事は10分ぐらいで見つけたのですが、50系についてはそのあと1時間半ぐらい探してそこであきらめました(泣)


 

仙台駅の5番線ホームにピカピカの417系が入線してきました。

正面のデザインはスカートが少しごついけど415系とほぼ同じ。サイドを見ると2扉なのが特徴です。ボックスシートが多いのはよかったのですが、50系ほどではないにしても乗り降りに時間がかかることで後にはやや使いづらい車両になってしまいました。それと登場時は準備車といいつつも非冷房。これは少し残念なポイントでした。

右奥には40系気動車の姿も見えますね。

417系は国鉄の財政難から増備が行われることなく当初の5編成15両と小世帯のままでしたが、2007年に運用を離れるまでの30年間一貫して仙台圏で活躍を続けました。

50系と比べると恵まれていましたね。う〜ん、人生いろいろです(しみじみ)

たまたま出てきた1枚の写真。

写っているのはキハ55系気動車、仙山線の普通列車、山形行きです。撮った時期ははっきりしませんが、多分、中学生の頃で昭和50年代の前半。当時住んでいた家の近くに北山霊園という市営の墓地があるのですが、そこの敷地内から撮っています。何で撮ったのかは全く不明(笑)

仙山線は今でこそ、「単線で輸送力がどうの」「動物とぶつかってどうの」「枯れ葉がどうのこうの」などと言われつつも、仙台の都市内交通の一翼を担う鉄道となっていますが、当時は、1時間に1本あるかないかのローカル線。沿線に住んではいましたが、とても普段使いできるような代物ではありませんでした。

そもそも北山駅もまだ存在していません(ちなみに上の写真は現在の北山駅からわずかに北仙台駅寄りのポイントです)。仙台駅と愛子駅の間の駅数はわずかに2駅。北仙台駅を出ると次は遥か向こう(失礼!)の陸前落合駅でした。それが今では7駅。実に3.5倍です。

運転本数も仙台駅発の下り列車ベースで、1日12本でした(以下、運転本数は全て仙台駅発の下り列車ベース)。内5本が急行列車でしたから、普通列車はたったの7本。最終の作並行きを除けば全て山形駅まで行く列車(急行は山形行きの他に新潟行き、酒田行きがありました)。そもそも仙台の都市内交通であるという概念もありませんでした。

状況が変わったのが昭和59年2月のダイヤ改正時で、仙台駅と愛子駅間の区間列車が7本設定されました。そして北山駅、国見駅も新規開業。その後は前述のように駅も増え、運転本数も今では1日46本。そこそこ立派な仙台圏の都市内交通機関として成長しました(もっとも、仙台市と山形市を結ぶ都市間交通期間としては高速バスに大苦戦ですけど…)。

でもなぁ〜、あの頃走っていたのは実にバリエーション豊かでした。この気動車だけでなく、急行列車は455系電車、キハ58系気動車。普通列車はED78牽引の旧型客車(あの頃は“雑客”なんて呼んでましたが、客車自体が多種多様でした)、さらに貨物列車と、E721系電車だけの今と違い、趣味的には面白かったですよね。と言いつつ、身近すぎてほとんど撮ってないというパターン。上の写真が数少ない1枚です(泣)

あれから約40年後、ほぼ同じ場所からの風景です。
残念、ちょっと角度が違ってました。もう少し線路より寄りに行ければよかったかな。

何はともあれ、車両は最新のE721系1000番台。周辺は住宅地ということは変わりませんが、見渡したところ確認できた同じ建物は荒巻小学校の鉄筋校舎だけですね。

昭和は遠くになりにけり…  そりゃまぁ、歳もとるわな(爆)

いつの間にやら8月に入りました。ようやく梅雨も明けたと思ったら、長寿台風がやってきて相変わらずグスグズの天気です。気温もさして上がらず夏っぽさはイマイチ。

ということで、どこにも出かけていませんでしたので、久方ぶりに昔の鉄道写真を引っ張り出してきました。今回はかつて新潟市と燕市を結んでいた新潟交通です。

当時のメモ帳は見つからず詳しい行程は判りませんでしたが、ネガのケースには撮った日付と場所がメモってありました。それによると、撮ったのは1991年12月21日。新潟交通はこの時が2回目でかつ最後の訪問となりました。

新潟駅までは、恐らくですが165系にグリーン車のシートを並べた専用車両を使った夜行快速「ムーンライト」で行ったような気がします。新潟交通の新潟市側の起点となる白山前駅に着いたのは午前8時ごろ。ムーンライトで行ったにしては少し遅いかな? 新潟駅で休んでいたものと思われますが、もう少し真面目にやれ、と言う感じです(笑)

まずは白山前駅から少し西側で撮影。狭い道路から顔を出したのはモハ19形。日車の標準車体ですが、普通の電車が道路を走ってくる姿はなかなか楽しいものがあります。白山前駅から2kmぐらいが軌道、いわゆる路面電車でした。

振り返ると後ろは古風なクハ45形。その向こうに白山前駅が見えます。

歩道橋の上から見た白山前駅。交差点の真ん中(正確には3本の道路に挟まれた場所)にあります。タイル張りの駅舎はなかなか風格のあるデザイン。停まっているのは元小田急のモハ2200形です。

駅の中です。ここだけみると普通に昭和の田舎の私鉄駅という感じです。残念ながら記憶にはないのですが、ウィキペディアによると中には喫茶店や立ち食いそばなどもあったそうです。

ホームでモハ2200形。場所が場所だけにちょっと狭いホームです。

この電車で新大野駅まで乗り、ここから隣の木場駅まで歩きながら何枚か撮影しています。

木場駅で行き違うモハ10形。

ついでにミラーに写った電車。

木場駅から新飯田駅まで移動。再びここから隣の小中川駅まで歩きながら撮影ですが、期待したほど撮りやすくはなかったようです。とりあえずバックに弥彦山と上越新幹線の高架橋が見えます。

小中川駅から終点の燕駅へ。

こちらは燕駅に入ってくる弥彦線の115系。向こう側には新潟交通の古い車両が見えます。

さてと、この後ですが、どうしたんだろう? ネガの写真は白山前駅の夜景が写っていますが、新潟交通で素直に戻ったのかなぁ? 何となく越後線で新潟に戻った気がします。と思ったら次のカットはこの写真。駅のサイズからみて吉田駅のようです。ということは越後線経由で正解みたいです。

と言うわけで、再び白山前駅。

多重露光を試みています。が、三脚は無く、歩道の欄干にカメラを乗っけての撮影。う〜ん、微妙にズレちゃってます(泣)

去り行く電車を見送って終了ですが、このわずか3ヶ月後には白山前駅から東関屋駅間が廃止となり、その後、段階的に廃止され、1999年には全廃となってしまいました。

道路の真ん中を堂々と走る大型の電車。こんな姿を見れる鉄道もすっかり減ってしまいました。福井も時間の問題でしょうね。残るのは江ノ電と京津線ぐらいかな〜。

5月ももう半ばだというのに何故か雪の日の写真です。

ちょっと前に「1984年に函館に行った時の写真をスキャンしました」という記事を書きましたが、その時のネガが入ったファイルが出しっぱなしになっていまして、さすがに仕舞わなきゃと思ったのですが、その前に一番手前に入っていたネガからのスキャンです(笑)

時に1984年の2月ですが、日にちは不明。東京では珍しい本格的な雪景色です。

当時は中央線沿線の国分寺市に住んでいたのですが、写真は西国分寺駅を中心にその周辺での駅撮りです。

まずは西国分寺駅で撮った上りの165系。種別の表示が「急行」に見えます。この頃はまだ普通に急行列車が走っていました。

またまた165系です。種別はよくわかりません。「急行」の表示ではないような… ただ、なんか房総急行タイプのヘッドマークが付いているようにも見えます。

既に中央線の主力となっていた201系。種別表示器が付く前の姿です。

こちらは日野駅。たぶん私が中央線で撮った最後の101系の写真ですが、後姿なのが残念なところ。高尾行きなのだから、待てばいずれ戻ってくるはずなのに撮ってないんだよなぁ(泣)

ここはどこでしょう? たぶん武蔵小金井駅だと思うのですが… 

最後は三鷹駅。向こうに見える総武線も201系ですね。

いずれ大した写真ではないですが、ちょっと懐かしい(笑) にしても、101系や103系を追い落とした201系も既に今はなく… 時の流れは速いものです。

今月の8日、最後の583系電車が最後の営業運転を終えました。

その時に583系の思い出話を書きましたが、今回は過去に撮った583系の写真です。と言ってもただの汚くて古い写真ですが…(笑)

まずは臨時特急「ふるさと」。東北新幹線の大宮暫定開業から上野開業までの間、多客時に新幹線の補完列車として上野〜青森間で運転されました。前の記事でも書きましたが、私が乗ったときはいつもガラガラでした。やっぱり一度新幹線に乗っちゃうと在来線特急では物足りなくなっちゃうんでしょうね。撮影時期は今ひとつ判らないのですが、昭和57年から59年の間だと思われます。

仙台駅で下り列車。

藤田駅〜貝田駅(だと思うのですが…)

東北新幹線開業前、上野駅にはたくさんの特急列車が行きかっていました。485系「白鳥」と並ぶ583系「みちのく」です。というのは冗談で、上野駅に着いた485系がヘッドマークの幕を回して「白鳥」が出た瞬間です。

上野駅を後に青森を目指す「はつかり」。

次は583系「ひばり」。485系のイメージが強い「ひばり」ですがゴーサントウ(昭和53年10月ダイヤ改正)前までは、583系の運用が1本だけありました。絵入りのヘッドマークはゴーサントウからですが、実際にはその少し前から使われ始めていました。と言うことで、この時期にだけ見れた583系「ひばり」の絵入りヘッドマークです。

上の写真の少し前の時期。赤い「ひばり」と青い「ひばり」。と言いつつ“色”が悪い(悲)

撮影時期は不明ですが、たぶん昭和52年ぐらいと思われます。仙台駅を後にする上りの「みちのく」です。現在、線路右手にある新幹線高架橋はまだその全容を見せていません。

最後は昭和51年の船岡駅〜大河原駅の一目千本桜を行く583系「ひばり」です。

古ぼけた写真で少しずつ遡ってみましたが、写真の出来はおいといて…その存在感、やっぱり名車でしたよね。

函館から青函連絡船の夜行便で青森駅に着いたのは午前4時00分。東北本線の上りの始発普通列車が6時27分発で、その間、何をやっていたのかは全く記憶にありませんが、50系客車のボックスシートで向かいの席に座ったおばさんと世間話をしてミカンをもらった記憶はあります(笑)

やってきたのは野辺地駅。南部縦貫鉄道のレールバスに乗ることが、この日の最初の目的です。

ところが、野辺地駅の端っこにある南部縦貫鉄道のホームに入ってきたのはキハ104。キハ101、102はレールバスですが、このキハ104は元国鉄のキハ10形。乗りたかったのはコレじゃな〜い。

という訳で、当初は終点の七戸駅まで行くつもりでしたが、ついつい最初の駅、西千曳駅で降りてしました。

西千曳駅です。風情がありすぎるこの駅は元東北本線の千曳駅。東北本線の移設とともに野辺地駅からの線路とともに南部縦貫鉄道に引き継がれました。
衝動的に降りてしまったものの次の上り列車がやってくるのは約3時間後。ものの見事に何もない西千曳駅で待つのはいささか辛い。ということで、たまたま通りかかった中学生に野辺地行きのバスの乗り場を聞いて、バスで野辺地に戻りましたが、相変わらずの計画性のなさです。それでも野辺地駅の跨線橋から上りの貨物と下り普通列車が撮れました。ED75の重連も50系客車も今となってはもう見ることはできません。

うだうだしている間に南部縦貫鉄道の列車が来る時間になったので、「どうせキハ104だろ」などと思いながらホームに入ってみると… レールバスだし(泣) 思うに朝イチのラッシュ時間帯のみ大型のキハ104を使って、後はレールバスだったんでしょうね。キハ10系とレールバス、両方乗れるチャンスだったのに… あ〜、失敗した。

思わず、このままこのレールバスに乗っちゃおうかと思ったのですが、それをやると野辺地駅に戻ってこられるのは13時36分。この後は下北半島に行く予定で、さすがにちよっと無理でした。

その後、このレールバスとはなかなかご縁がなく、次に訪れたのが平成3年9月28日でしたが、台風のため全線運休で乗れず。結局、乗ることが出来たのは南部縦貫鉄道休止、というか事実上の廃止の約2週間前、平成9年4月20日のことでした。

レールバスをあきらめて乗った大湊線はキハ22とキハユニ26の2両編成。キハユニの方に乗っていますが、合造車って好きなんですよね。なのに写真を撮ってない。なんでだ(泣) そんなこんなで反省点の多い旅行3日目です(笑)
とりあえず、大湊駅で撮った気動車。柱の陰がキハユニなんですが…
こっちは普通にキハ22です。

大湊駅まで行った列車はそのまま折り返し、一駅目の下北駅からそのまま大畑線に乗り入れていたようです。で、大畑駅まで行っているのですが、完全に記憶から消えていました。大畑線はこの次の年にバス会社だった下北交通(当時は下北バス)に転換されているのですが、その下北交通になってから乗ったのが最初だと思っていました。それはそれとして、駅舎の向こう側にいるのはキハユニ26です(笑)

この後は少し迷走していて、乗ってきた列車で大湊駅に戻っていますが、再び大畑線に乗り田名部駅へ。ここから国鉄バスで大湊駅前を通り、宇田というバス停まで乗っています。この宇田バス停ですが、今は存在していないようです。地名からすると現在の海上自衛隊前というバス停がそれっぽい気がします。

なぜ、このバス停で降りたかというと、この日の宿が当時の防衛庁の保養所でした。前々日の青森の宿を調べていたときに見つけたのですが、一般人も泊まれるということで、ついつい予約してしまいました。高台の宿で部屋の窓からは自衛隊の港が見えたような…気がします(笑)

翌日は宇田バス停から大湊駅とは逆方向、むつ脇野沢まで国鉄バスに乗っています。どうやら青森十和田ミニ周遊券の有効利用のようです。すなおに大湊駅から野辺地駅に行っていれば、前日乗り損ねたレールバスにも乗れたろうに、とも思いますが…

1時間ほどかけて着いた脇野沢は鄙びた漁村のたたずまい。沖には鯛島という名前どおりにタイの形をした島が浮かんでいました。

これで、全作戦終了。乗ってきたバスで大湊駅に戻り、大湊線で野辺地駅へ。そのまま特急「はつかり」で盛岡駅へ行き、東北新幹線に乗り換えて帰路についたのでした。

で、最後に、大湊駅を出た直後に撮った写真。小雨ではなはだ見づらいのですが、たぶん原子力船「むつ」だと思います。

函館駅からキハ40で大沼駅までやって来ました。駅から南方向へ移動して小沼の湖畔で撮ります。「北海道に梅雨は無し」ということで、せっかく晴れてくれたのにネガの調子はなかなか厳しい状況。プリントが残っていた写真からのスキャンもあわせてご覧いただければ… 

 


小沼は見えません。駒ケ岳は木々の上にチラリと(笑) キハ80系の特急「北斗2号」。

山線経由で札幌へ行く特急「北海3号」。

後追いで… プリントからのスキャン版。色はこっちがキレイです。

DD51牽引の貨物列車。

新鋭(と言っても登場から5年ぐらいは過ぎてますが…)キハ183系の上り特急「北斗4号」。

14系の上り急行「ニセコ」なんですが、貨物列車とかぶって後追いだけ…

この後、大沼公園駅の北側のポイントまで3.5劼曚錨綿皸榮亜

今年の2月に行ったときに白鳥と一緒に撮ったポイントですが、ここもネガはあきらめてプリント版です。

 

特急「北斗5号」

 


急行「ニセコ」

下り普通列車はキハ22です。
この頃はまだ客車の普通列車も運転されていたのですが、残念ながら撮ってもいなければ見た記憶も無し。まだ旧型客車だったのか既に51形になっていたのか、今更言ってもなんですが、なんか気になります(笑)

大沼公園駅まで戻る途中、下りの貨物列車と行き会いました。

函館駅に着いたのは18時過ぎ。この駅舎、懐かしいです。

最後はお約束の函館山の夜景です。

この後は青函連絡船の夜行便で青森に戻ります。船は貨物船からの改造船「石狩丸」でした。津軽丸型のように美しい船ではありませんでしたが“バランス感の悪さ”がなんか好きな船でした。

ということで、ここまで来たので翌日に続きます(笑)

前回の続きです。

三厩駅から青森駅に戻ってきましたが、青森駅着は16時36分。青森港で青函連絡船を撮っていますが、時刻表を見ると撮れるのは18時55分着の1本だけ。この季節じゃないと撮れませんね。なんにしても国鉄の青函連絡船を港でちゃんと撮ったのはこの時だけです。

ただ、ネガの状態は前回の20系なんかと比べてもずいぶん悪いです。

青森港に入ってきたのは、函館で記念館として保存されている「摩周丸」です。

左手からタグボート「たっぴ丸」が近づいてきます。

大きな連絡船をタグボートが岸壁に押し付けていきます。小さいけどちゃんと国鉄のJNRマーク付きです。

この日はこれで終了、駅近くのビジネスホテルに投宿です。

翌日は早起きして5時25分発の函館行きの青函連絡船に乗ります。船は前日撮影した「摩周丸」でしたが、船内はガラガラ。乗船率は10%程度で、連絡船の凋落を実感せざるを得ない状況でした。

とはいえ、船旅もいいもんです。

途中、まだ陸奥湾の中ですが、青森行きの連絡線とすれ違いました。光の中を行く上りの連絡船。とりあえず早起きをした甲斐がありましたが、この写真だと朝日というよりはなんだか月の光のようにも見えますね。

津軽海峡では2度ほどイルカの群れと出会いました。

函館山が近づいてきました。

函館でも小さなタグボートが連絡船の接岸をサポート。

青森から3時間50分で函館に到着。隣の桟橋ではコンテナ車の積み込み作業中。大きな船体に次々と飲み込まれていきます。

次はいよいよ大沼駅まで行って函館本線の特急列車を狙いますが、次の下り列車の発車時刻まで約30分。その間に駅前で市電をちょっと撮影しました。

500形が普通に走っていますが、両方とも行先は「環状線」。現在の路線では環状はもちろん無理ですが、この頃は東雲線(宝来町〜松風町)やガス会社前を通る路線(路線名はわかりませんが…)もありましたので、ここをぐるっと走っていたみたいです(起点・終点は駒場車庫前?)。
この写真はプリントが残っていたのでこちらをスキャンしました。ネガよりはマシな状態です。

この後は函館本線の普通列車で大沼駅へ向かいます。

2月に函館に近い大沼駅・大沼公園駅付近で小沼や駒ケ岳をバックに函館本線の列車を撮ってきたのですが、今を遡ること30年以上前にもほぼ同じ場所で撮ったことがありました。

ちょっと懐かしくなって昔のネガを引っ張り出してみたのですが… ネガの状態はかなり悪いです。なんか真ん中あたりが緑がかって変色しているもの多数。一本のネガの中でも比較的よいコマととてつもなく悪いコマがあったりしてよくわかりませんが、だましだましスキャンしてレタッチしてみました。まぁ、とりあえず「懐かしい」以外の意味はありませんが、UPしてみます。
 
行ったのは昭和59年6月。例によって素直には行っていません。というか、当時のメモによると函館に渡ったこと自体が予定外だったようで、当初は青森県を主目的地とした3泊4日の旅だったようです。切符も青森十和田ミニ周遊券を使っています。

最初は、昭和59年に大沼あたりで撮った写真メインの記事のつもりだったのですが、旅行のメモや当時の時刻表なんかを見ていたらいよいよ懐かしくなってしまいました。

ということで、まずは旅行1日目の青森までを書きます。
 
上野駅から秋田駅までは夜行急行「おが」(その頃は東京に住んでいました)。車両は既に第一線を退き、主に急行列車で使用されていた20系客車。とはいっても寝台車には乗れず座席車の自由席です。自由席車は5両で、1〜3号車はナロネ21から改造されたナハ21、4・5号車は寝台車のナハネ20が座席車の代用として使用されていました。夜行でのるならゆったり過ごせそうなナハネ20に乗りたいところですが、考えることは皆同じで気づいた時には既に満席でした。止む無くナハ21の座席を確保。

20系客車は何回か乗っていますが、20系の座席車に乗ったのはこの時だけです。できれば車内の写真も撮っていて欲しかったところ。で、乗り心地ですが、ボックスシートのシートピッチが広すぎて前の席に足を乗せるとかえって疲れてよく眠れなかったとメモにあります。

上野駅を出たときはそこそこの乗車率でしたが、福島駅あたりから空きだし横手駅からはガラガラになったので、ゆったり足が伸ばせるナハネ20に移ろうと行ってみると、確かに車内は空いてはいたのですが、寝台には前のお客さんの湿気がこもってちょっと耐えられない状況。とっととナハ21に戻りました。

というのが、かろうじて残っている急行「おが」の思い出です(笑)

下車した秋田駅での撮影。電源車のテールサインは「急行」とシンプル。

秋田で機関車を付け替えこの後は男鹿線の男鹿駅まで行きます。向こう側に停まっているのは24系を使った特急「出羽」ですが、なぜ20系のこちら側のドアも開いているのかは不明です。

ディーゼル機関車が来るまで切妻のナハネフ23の顔が見えます。ヘルメットに座り込んだおニイさんが待機中です。

DD51を連結。

男鹿駅を目指し走り去っていきました。老いたりとはいえ、さすがの風格です。というか、男鹿線で寒風山をバックに走る20系も撮りたかったなぁ〜、と今更ながら思います。

20系急行「おが」を見送った後は、後続でやってきた14系の急行「津軽」で青森に向かいます。秋田駅ではかなり混んでいたようですが大館駅あたりからガラガラになったとメモにあります。なんも覚えてないですけど…(笑)

とりあえず青森駅で急行「津軽」も撮っておきます。寝台車もつないでいたはずですが見えませんね。

青森駅からは津軽線で三厩駅まで行きました。キハ22の3連ですがこの頃はもうタラコ一色ですね。

この日の予定は青森駅に戻り東北本線で野辺地駅まで行って、大湊線で終点の大湊駅まで行き、むつ市内の下北YHに泊まるつもりで三厩駅前から予約の電話を入れたようなのですが、なんと閉鎖されていました。

だからちゃんと調べてからにしなさいといつも言ってるでしょ、と言いたいところですが、この頃は事前に宿の予約をとるなんて皆無。基本、出たとこ勝負の旅ばかりでした(笑)

で、この時も函館に渡ることを決めたのはこの時点だったようです。とりあえず駅前の本屋さんで宿を探して青森駅近くのビジネスホテルを予約したことになっていますが、三厩駅前に本屋さんなんてあったんでしょうか? ストリートビューで見る限りそんな雰囲気はないですね。ちょっと謎です。

結局、三厩駅周辺で何を見るでもなく青森行きのキハ22に乗り込みます。

途中見かけた工事現場。「津軽海峡線第1二股高架橋他工事」となっています。もしかしたら津軽二俣駅付近でしょうか? ということはこの構造物は今の北海道新幹線「奥津軽いまべつ駅」かも… まぁ、わかりませんけど…

青森駅に戻ってきました。583系「はつかり」と奥の方に青函連絡船、煙突の色からして「羊蹄丸」だと思われます。

という訳で、次回は青函連絡船です。


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