昨年の7月ごろ「ちょっと前の鉄道写真」ということで津軽地方の旅について3回に分けて書きました。ただ、書いた時には当時のメモが見つからずネガと記憶が頼りの記事だったのですが、ブログにアップして間もなくメモが見つかりました。

 

改めて見てみると、…ん〜、あちこちに結構な記憶違い。このままでは、ちょっとなぁ〜というとで一度削除し、訂正版を載せるつもりだったのですが、そのまま忘れ去られていました。とはいいつつ、せっかくスキャンしたのに少しばかりもったいない。

 

で、3本の記事を一つにまとめて、メモを基にいろいろと検証してみました。まぁ、アホだなぁ〜とみていただければ幸いです(笑)

 

では、ここから本文。まずは1回目の投稿分です。

 

以前読んだ宮脇俊三さんの本の中に、ご夫婦でJR東日本の豪華寝台車「夢空間」に乗ったその日に湾岸戦争が勃発し、「こんな日に戦争を始めなくても…」とこぼされるシーンがあったのですが、私も似たような経験があります。
 
宮脇俊三さんの場合は平成3年1月17日のことでしたが、私はその1ヶ月ちょっと後となる2月14日でした。
 
その日、品川発の夜行バス「ノクターン号」でやって来たのは青森県の弘前駅。そして駅の待合室のテレビから流れてきた2つのニュース。
 
1つ目は東名高速道路(だったかな?)での夜行の高速バスの事故。乗客の中に亡くなった方もいらしたということで、同じ夜行高速バスでやって来た身にはそれも十分に衝撃的でしたが、もう1つのニュースが、湾岸戦争でとうとう地上戦が始まったというものでした。
 
1月17日の湾岸戦争勃発後、多国籍軍の航空機や巡航ミサイルによる一方的な攻撃が続いていましたが、イラクもイスラエルに対するミサイル攻撃を行い、やはり次は地上戦に突入するのか? という状況ではありましたが、いざ本当に始まってみると、このまま長期戦になるのだろうか? これまでのアウトレンジの攻撃とは違い(というか、やられる方はたまったもんじゃありませんが…)、地上戦ともなると多国籍軍側にもそれ相応の戦死者もでて、お互いにいよいよ抜き差しならない事態になるのではないか、さらに場所が場所だけに日本経済にも大きな影響が出るだろうか、とか、それなりにいろいろと考えてしまいます。
 
「こんな日に始めなくたって…」
と、弘前駅の待合室でやはり思ってしまいました。

 
といっても、いつまでも待合室でテレビを見てるわけにもいかないので、いつも持ち歩いているラジオで戦争の実況中継を聴きながら、奥羽本線で川部駅に移動。弘南鉄道の黒石線に乗りにいきます。
 
ここで最初の、かつ重大な間違い。この2つのニュースに接するのはもう少し後のことです。この時点ではまだ発生していません。

というわけで、改めて今回の古い鉄道写真は、平成3年2月の弘南鉄道です。
 
かつては国鉄線だった黒石線は、昭和56年に第1次特定地方交通線に指定されますが、(多分)唯一の既存私鉄へ転換路線として、昭和59年に弘南鉄道に移管されました。
 
弘南鉄道となっても非電化のままだったので、車両はJRから引き継いだキハ22がベージュとエンジの(ちょっと違うかも…)の渋い弘南カラーをまとい走っていました。
 
この色は元々好きでしたが、キハ22にもなかなか似合います。
 
▼前田屋敷付近(と思われます)H3.3.24
2月の津軽ということで周辺は真っ白です。

この場所は晴れていればバックに岩木山が入るのですが、この天気ではどうにもなりません。
 
終点の黒石駅は国鉄だったころは弘南鉄道の黒石駅とはちょっと離れたところにありましたが、黒石線の転換時に弘南鉄道の黒石駅に移転統合されました。その黒石駅で弘南線に乗り継ぎます。
 
弘南鉄道は国鉄や首都圏の大手私鉄のお古、さらには元阪和電鉄など、由緒ある?旧型電車がたむろする(趣味的には)実に魅力ある鉄道だったのですが、なかな訪れる機会がなく、初めて来たこの頃は、東急から来たステンレスの7000系の運用も始まっており、既に元阪和のクハ20形など多くの旧型電車が一線を退いた後だったのは残念なことでした。て、いうか、それ以前に一度、行こうとしたのですが、元阪和が3両編成の中間に入ったという記事を何かで見て、「それじゃ行ってもしょうがねぇよなぁ〜」と、止めちゃったんですよね。あ〜、アホだ(泣)
 
それはともかく、この時、動いていた旧型電車は元東急の3600系2編成でしたが、日中帯は3600系と7000系が交互に走っていたように記憶しています。
 
▼弘南黒石駅H3.3.24
渋すぎる側面
 

 

 

▼田舎館駅H3.3.24

隣にステンレスの7000系
 


雪の中での撮影ですが、耳は戦争の中継に集中。といっても戦局に関する直接的な情報は少なく、解説的な話が大半だったように思います。しかも出てくる地名には全くなじみもなく、ただただ緊張感だけを感じていたような気がします。しかも時折り吹雪いてひたすら寒いし…

 

湾岸戦争の地上戦が始まったというニュースはこのあたりで初めて聞いたようです。この頃は普通にラジオをもって歩いていました。
 

 

▼柏農高校前〜津軽尾上H3.3.24

▼柏農高校前〜津軽尾上?H3.3.24
一応、7000系も撮っていました。ネガの前後のコマからみて柏農高校前〜津軽尾上だと思うのですが、Googleの地図で見ても場所が特定できません。
 

▼柏農高校前〜津軽尾上H3.3.24

この後は、弘前駅に3時ぐらいまでに戻り、次の目的地、五所川原へ向かいました。というか、今考えれば、むしろこの時に大鰐線も乗っとくべきだったかなぁ。

 

弘前駅に戻ったのはお昼過ぎでした。思ったよりも早いです。

 

ちなみにラジオから聞こえてくる戦争の方は、よく判らながらも多国籍軍優勢ということで推移しているようでした。というか、結果的には長期戦どころか地上戦の開始からわずか数日で暫定停戦協定が結ばれました。まぁ、その後が長かったし、今なお、あらゆるところでその影響が続いているのですが…

 

この先は2回目の投稿分になります。

 

前回の続きです。

 

遠い中東で戦争が始まった日(正しくは「地上戦が始まった日」)、私は一人、雪の津軽で弘南鉄道を撮っていたわけですが、寒いしお腹は空くしで、午後3時ぐらいには弘前に撤収。

 

くどいようですが、弘前にはお昼過ぎに着いています。お昼は780円のかつ丼セットを食べたことになっていますが、記憶はないです。ただ、メモには予想とは違う味だったと書いてあります。おいしかったのかどうかは定かではないのですが… 

 

朝、湾岸戦争のテレビを見たという記憶は、実際にはこの頃の事だったと思われます。

 

今にして思えば大鰐線に行っておくべきでしたが、中央弘前駅までちょっと遠いのと少し疲れたこともあって、その日の宿泊地の五所川原に移動しました。

 

その時、五所川原駅で何枚か撮っていましたので、こちらもご紹介します。

 

▼下りの「ノスタルジックビュートレイン」

 

ノスタルジックビュートレインは、この前年の平成2年に登場した五能線の観光列車です。50系客車の改造車で、最後部の展望室が特徴でした。

 

▼津軽鉄道のラッセル車

このタイプのラッセル車は、今は弘南鉄道に残るのみですが、この時は津軽鉄道のこの車両もバリバリの現役でした。

 

▼ストーブ列車

津軽鉄道の冬の看板列車です。が、わずか1両の客車はいささか寂しい。そして真っ赤な客車はちょっと…ヤダ(笑)

 

 

 

 

このネガはここでおしまい。で、次のネガの先頭に写っていたのはコレ。

 

▼キハ100(奥羽本線・横手駅)

当時は最新鋭だったキハ100系です。登場時はこんな感じのブラックフェイスでした。初めて見た時はそこそこの違和感がありましたが、今改めて見るとなかなか締まってよい顔だったように思えます。

 

…なんですが、それはそれとして、224日夕方の五所川原駅から横手駅のキハ100系気動車まで、流れ的にいささか唐突感があります。五所川原から横手まで何も撮らない訳はない。ということでしばし考えてようやく思い出しました。

 

24日は五所川原に宿泊し、翌日は津軽鉄道で金木まで往復。その後は五能線でノスタルジックビュートレインに乗っています。そして、津軽鉄道は少し気合を入れてポジフィルムを使ったのでネガのファイルには入っていない、ということのようです。

 

う〜ん、スライドにして保存してあるはずだけど・・・ どこに行ったかな〜? 週末に探してみよ。

 

記事の通り、弘前から五所川原に移動していますがそのまま宿泊ではなく、その日のうちに五所川原駅から津軽鉄道で金木駅まで行っていました。

 

この先は3回目の投稿分となります。

 

少々時間が経ってしまいましたが、前々回の続き、平成3年の津軽への旅です。
 
この時のスライドは無事に発見しました(笑)
 
まずは朝イチで、五所川原から津軽鉄道で金木まで行き、その周辺で撮影。
 
というわけで、朝イチではなく、弘南鉄道に乗ったその日の午後です。
 
▼金木駅〜嘉瀬駅
弘南鉄道と同様にJRから来たキハ22が雪の中、鉄橋を行きます。

 

元国鉄の除雪車キ100もやってきました。このタイプの黒いラッセル車が動いているのを見たのはこれが最初で最後。できればもう少しよい角度で見たかったところです。
 
この日の写真はここで終わり。この後、五所川原に戻り駅近くのビジネスホテルに宿泊しています。ちなみに夕食はモスバーガー。なんでここまで来てモスなんだと、メモの中で愚痴っています(笑)
 
▼撮影場所不明
ストーブ列車です。前日見たのとは違い2両編成で、落ち着いた津鉄色がうれしいところ。にしてもここはどこでしょう? 雰囲気的に金木駅ではなさそうです。後ろに見えるスノーシェッドらしき物がヒントかも… ということで、Googleの航空写真でみてみたら津軽飯詰駅に似たのがありますね。ここかな?
 
この写真は翌日の午前中。それこそ朝イチで出かけて下りのストーブ列車を撮るつもりだったのに寝坊して思ったところで撮れなかったようです。この写真はやはり津軽飯詰駅で撮った上りのストーブ列車でした。この列車に乗って五所川原駅に戻っています。
 
ちなみに高速バスの事故があったのはこの日の朝でした。朝の五所川原駅のテレビで見ていました。
 
▼五所川原駅
凍てついたキハ22
 
五所川原に戻り、続いてノスタルジックビュートレインで東能代へ向かいます。前回もちょっと書きましたが、平成2年に登場した50系の改造車両を使用した観光列車で、今のリゾートしらかみの前身にあたる列車です。当時は1日2往復運転されていました。
 
列車は専用のDE10牽引の3両編成で、うち2両は自由席で外観は展望車と共通の塗装に塗り直されていましたが車内は従来と同じだったように記憶しています。一方の展望車は最後尾の展望室の他、側窓も拡大されるなど気合いの入った改造が行われ、車内もそこそこ豪華な造りとなっていました。
 
乗ったのは午後の便の展望車でしたが、残念ながら車内は空いていました。それでも車内販売の方がいて、丸ごとのりんごが付いたお弁当を買い、冬の日本海を堪能しながら、おいしくいただいた記憶があります。
 
この弁当の名前は「まいたけ風味ネハァー弁当」。鶏の炊き込みご飯とフキ、舞茸、厚焼き玉子、胡瓜の味噌漬け、さらに別の小箱に鮭の和風マリネ?、そしてリンゴとなかなか詳しくメモっています。本当においしかったようです。ちなみにお値段は1000円でした。当時の感覚だと少し高めかな?
 
▼深浦駅でノスタルジックビュートレイン同士が行き違い
後方の展望室は入ることができましたが、寒さ避けに張られたビニール?が凍りついて何も見えませんでした。って、これでも十分に寒いし…
 
ちなみに展望車は必ず編成の後ろに付けるため、終着駅に着くたびにターンテーブルで廻していたように記憶しているのですが… どうでしたっけ?
 
▼冬の日本海
寒々とした絶景です。
この後は東能代駅から奥羽本線で鷹巣駅へ行き、秋田内陸鉄道の急行「もりよし」号で角館駅へという予定だったのですが、写真を見ているうちに思い出しました。
 
ノスタルジックビュートレインは東能代駅の手前、能代駅で大雪のため足止め。全く動かなくなってしまいました。このままでは「もりよし」号に間に合わない。
 
ノスタルジックビュートレインについてはだいたい合っていましたが、ここは間違い。東能代駅までは行きましたが、この先、奥羽本線のダイヤが乱れまくって東能代駅で足止めでした。乗り換えるはずだった奥羽本線の下り普通列車は秋田駅から出れない状態。ただ特急は来るというので待っていたけど一向に来ず、ついには東能代駅で運転打ち切りと、どうにもならない状況でした。
 
で、気づいたのが駅前のバス停。時刻表を見たら間もなく鷹巣駅前を通るバスが来るという絶妙なタイミング。列車に荷物を取りに戻り、あわててバス停へ。
 
バスについては駅員に聞いたみたいで、その後、バス会社に電話して状況を聞くもののかなり混乱したやりとりがそのままメモに残っていました。
 
ちょうどやって来たバスは雪道を快調に走り、鷹巣駅前バス停に到着。ギリ間に合ったかと下車したら、そのバスは鷹巣駅へ直行。降りなきゃ鷹巣駅にそのまま行けたじゃん、ぼやきつつ雪道を走りました、というしょうもない思い出です(笑)
 
ここも微妙に違う。快調に走っていたのは二ツ井駅付近までで、この後は旧道に入り集落ごとにこまめに停まり結構イライラしていたみたいです。さらに鷹ノ巣駅前付近はだいぶ違っていて、駅近くの松葉というバス停を過ぎ次ぐらいかと思ったら駅前の通りを逆に曲がり、駅とは逆の方向へ。次の鷹巣営業所前で下車し駅まで走ったと書いてありました。結局、「走った」というところは同じですが…(笑)
 
▼秋田内陸鉄道 急行「もりよし」号 鷹巣駅
乗務員さんが車両の雪を落としてます。女性の姿も見えますが、秋田内陸鉄道は女性車掌、そして女性運転手のハシリの鉄道でした。
 
▼AN8800型とのすれ違い

かくして予定通り、角館に到着。この日は横手まで行って駅前のビジネスホテルに宿泊。翌日はキハ100系で北上線で北上に抜け、仙台の実家に寄ってから東京に戻ったはずですが、北上駅でお目当ての駅弁を買い損ねたのが記憶に残っています。けど、何の駅弁だったかな〜?
 
秋田内陸線は途中、レールも見えない状況で走っていたようですが、角館には定刻に到着しています。が、ここからまたいろいろと間違いがありました。まず、泊まったのは横手ではなく大曲。そして仙台の実家に寄ってから東京に戻ったのは合ってましたが、経由地は北上ではなく新庄でした。大曲から普通列車2本(40系気動車と50系客車)を乗り継ぎ新庄へ行き、そこから仙山線へ直通する快速仙山5号で仙台へ向かっていました。現在では直通不可能なルートで、なかなか貴重な体験でした(全く覚えてなかったけど…)
 
北上駅の駅弁については、別の記憶とごっちゃになってるんでしょうね。
 
以上、四半世紀前のこととはいえ、記憶なんていい加減なものです、というお話でした(爆) 

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