旅行3日目にして最終日です。

天気は…、びっくりするぐらいの快晴! 大沼へ行くのを前日からこの日に変えて大正解!

朝7時にホテルを出て朝市を冷やかしたあと、レンタカー屋さんが開くまでの時間、港の方に出てみると雪をまとった函館山が朝の光に輝いていました。

そして振り向けば、今は資料館となっている懐かしの青函連絡船「摩周丸」。現役当時、一度だけ青森から函館まで乗ったことがあります。調べてみたら昭和59年6月、まだ国鉄だったころの話です。

時間になったのでレンタカーを借ります。冬の北海道で車を運転するのは実に30数年ぶり。前日、函館ナンバーの車が谷地頭の坂でお尻を振り振り走っていたのを見て少々ビビッていたのですが、走ってみると道路は乾いているし、天気はいいし、山はきれいだし、で、なかなか快適なドライブでした。

約30分で小沼の南の端に到着。目の前に真っ白な駒ケ岳が見えます。撮影ポイントには既に同業の方が待機中(笑) すぐに上りの特急がやって来ました。

本当に気持ちの良い青空ですが、まだ顔に日が回っていませんね。

少し北のポイントに移動。こちらは下りの特急。

更に北上して、大沼公園駅の更に北側。

ここで思い出して受信機のスイッチを入れたら列車接近警報が使えました。

という訳で、貨物列車も無駄なく撮れます♪

続いてやって来た上りの特急は新色のキハ261系。ただし新色は前の2両ぐらいで、後ろは従来の塗装でした。

小沼と大沼の接続点付近。ここは白鳥の名所で、観光客がひっきりなしに訪れていました。

大沼駅の南側に戻り再び湖畔のポイントで上り貨物。

こちらは下り列車専用の通称「藤城線」を行く貨物列車です。以前は特急列車もこちらを通っていたと思うのですが、今は新函館北斗駅に停まる関係で全て左側の本線を走っています。藤代線の方が撮りやすいのですが…

もういいかな、と再び小沼の南端へ。今度はキハ183系の「北斗6号」。レンズは15mmでさっきよりはゆとりの画角になっています。日も顔にあたっています。

上と同じ場所から望遠で撮影。ずいぶん雰囲気が違います。

できればもう少し粘りたいところですが、帰りの北海道新幹線は、前日に乗った奥津軽いまべつ駅と木古内駅間を除けば初乗り区間となるので、できるだけ明るいうちに乗りたい、となるとやはりこの辺が限界でしょうか。
最後に上りの「北斗8号」を撮って函館に戻ろうと思ったのですが、20分過ぎても来ません。おかしいなと思いつつ待っていると列車接近警報から「下り接近」。この時間帯に下りの旅客列車はないので貨物列車。ということで、藤城線の下り貨物を撮って終了。
函館に戻ってから判ったのですが、北斗8号は室蘭本線で発生した人身事故のため大幅な遅れが出ていたようです。

函館駅でお土産買って、駅構内の「あじさい」で塩ラーメンを食べたら、後は函館ライナーとはやぶさを乗り継いで帰るだけです。

新函館北斗駅でももう少し何かお土産を、と思っていたのですが、「新幹線乗り換えの方はこちらです」という案内どおりに進むとそのまま新幹線乗り換え改札口に。段差なしで乗換えができるような構造になっているのですが(乗る列車によって違うかも…)、おかげで新函館北斗駅をじっくり見ることなく新幹線の席に納まってしまいました。ちなみに今回乗った「はやぶさ30号」もE5系でした。H5系はしばらくお預けになりそうです。

新幹線車窓からの函館山。
北海道新幹線は防音壁が高く思いのほか視界がよくありません。木古内駅の手前でかなり海の近くまで行くのですが、そこで海が見えたのはほんの数秒でした。

青函トンネルをくぐり青森県に入ると、防音壁は通常のサイズとなったのか陸奥湾を遠望できます。ちょうど函館をめざすフェリーが見えました。

新青森駅に到着。これで北海道新幹線完乗! 同時に北陸新幹線の開業で途切れていたJR線完乗も2年ぶりに奪還!! という感慨もないまま、E5系「はやぶさ30号」は南に向けて走り、仙台駅には定時到着でした。乗り継ぐ仙山線は夕方のラッシュの時間帯。そこそこの荷物抱えてそこそこ辛かった(笑)

2日目の朝は、青森駅6時15分発の津軽線の電車でスタートします。津軽線で電車というイメージは今ひとつありませんでしたが、考えてみたらちょっと前までは特急電車がガンガン走ってたんですよね。今は昔ながらのローカル線に戻ったとはいえ、電化している以上、電車が走っていても何の不思議もないわけですね。

津軽線の701系です。これで今日は函館を目指します。

もちろん津軽線ですから、この電車に乗っても函館には行けません。新青森駅も通りません。では、どのようにして行くかといえば、この電車の終点蟹田駅で三厩行きの気動車に乗り換えて、途中の津軽二股駅で隣接する奥津軽いまべつ駅から北海道新幹線で木古内へ。そのあとは元江差線の道南いさりび鉄道で函館へという計画です。

奥羽本線を離れた津軽線は津軽半島の東側、陸奥湾に沿って北上します。左手には雪原が広がりその向こうには北海道新幹線の高架橋、右手には家並みが続き、その隙間から陸奥湾が垣間見え朝日がキラキラと輝いています。

津軽線最初の停車駅となる油川駅でEH800牽引の貨物列車と行き違い。EH800は以前、仙台総合鉄道部の構内で901号を見ただけで、貨物列車の先頭に立つ姿を見るのは初めて。この後、木古内駅で道南いさりび鉄道に乗り継ぐまでの約3時間で上り6本、下り2本を見ました。「津軽線は昔のローカル線に戻った」と書いたばかりですが、こうしてみると貨物の大動脈としての存在感は健在ですね。すみません、認識を改めました。

さて、家々に隠れチラリとしか見ることが出来なかった海ですが、瀬辺地駅を過ぎると次の蟹田駅の手前までは海岸沿いを走り朝日が輝く海の景色を堪能できました。

電車は蟹田駅まで。この先は隣のホームで待っていたキハ40系気動車に乗り換えます。私が高校生の頃に登場した40系気動車ですが、もうずいぶん数が減ってしまいました。もしからしたコレが最後かもと思いながら乗り込みます。

中小国駅を過ぎると右手に分岐する線路があって、左からやってきた北海道新幹線の高架橋と合流していきます。以前、「はつかり」や「スーパー白鳥」に乗ったときはあの線路を走っていたわけです。

そしてこの先は、それこそ昔と変わらぬローカル線の風情ですが、右手から新幹線の高架橋が近づいてくると、その先には周囲の風景にそぐわぬ巨大な奥津軽いまべつ駅の威容が見えてきます。津軽二股駅はその脇にちょこんとある無人駅。ここで下車します。40系気動車の後ろに見える跨線橋のようなものが奥津軽いまべつ駅への連絡橋です。

津軽二股駅の隣には道の駅「アスクル」がありますが、まだ営業時間前。大きな屋根つき駐車場とあとは何もない駅前を見て奥津軽いまべつ駅へ。エレベーターで先ほどの連絡橋まで上がります。津軽線を跨ぐのですが、津軽線の段上にも線路があります。とその線路を貨物列車が駆け抜けていきました。何となく奥津軽いまべつ駅では新幹線のホームの前を貨物列車が通過していくのではないかと内心期待していたのですが、貨物列車は駅の外側を通るんですね。ちょっと残念(笑)

駅自体は切符売り場と待合室とトイレがあるぐらいの何もない駅でした。売店もなかったような気がする… 

改札を抜けてエレベーターてホームに下りると間もなく盛岡駅始発の「はやて93号」が入線してきます。初めて乗る北海道新幹線ですから、JR北海道のH5系を期待したいところですが残念ながら入ってきたのはE5系。H5系の運用は時刻表を見てもわからず運がすべての車両です(調べる方法を知らないだけかもしれませんが)。実は昨日乗った「こまち95号」に併結された「はやぶさ95号」がH5系だったんですけどね(笑)

青函トンネルについてのちょっとした説明アナウンスが車内に流れ、まもなく青函トンネルに突入。車内の案内表示にも「青函トンネルに入りました」的な文字が流れます。そして、トンネルに入ると真っ暗でつまらん(笑) 昔走っていた快速「海峡」に使っていた50系客車にはトンネルのどの辺を走っているか表示が出たのですが、あんなのがあってもよいのでは…と思いました。

トンネル突入から約20分で北海道上陸。「北海道へようこそ」という車内アナウンスが流れます。

木古内駅で下車します。

木古内駅での上り貨物列車。一番海側のホームは使われず雪に埋もれた状態。中央のホームは半分解体した状態で、左側、一番山側のホームだけが使われていました。停まっていたのは道南いさりび鉄道のキハ40系。塗装はJR北海道時代のままです。さっき、津軽線のキハ40系に乗ってこれが最後かも、と思ったばかりですが、こっちが本当の最後かも(笑)

海岸段丘の上を行く元江差線の道南いさりび鉄道も景色のよい路線です。津軽海峡を行く船や海越しの函館山などが楽しめます。ただ、函館山の左側の雪雲が気になるところです。

果たして茂辺地駅あたりから雪が激しくなってきました。対岸はもちろん手前の海岸線すら見えません。

この日の午後は、函館でレンタカー借りて大沼へ行き、駒ケ岳をバックに函館本線の列車を撮るつもりでいたのですが、この雪の降り方を見ると駒ケ岳はちょっと絶望的。予報では翌日の天気は「晴れ」となっていたのでそこに期待を込めてこの日は函館市内で市電を撮ることとします。

函館駅に着いた頃には雪はやんでいました。今の駅舎になってもう10年以上経っていますが、駅舎に入るのは初めてです。コンパクトでこぎれいな駅ですが、昔のごちゃごちゃした駅も懐かしいですね。

駅前に出ると市電が走っていますが、いきなり719号が見えました。かつての仙台市電400型によく似たデザインの電車ですが、函館市電では貴重な「広告電車」ではない電車でもあります。結果的にこの日、走っていた電車で広告電車でなかったのはこの1両だけでした。

このあとは駅前の函館バスの案内所で市電の一日乗車券を買って適当に電車で移動しながら市電を撮影しますが、この間、雪は降ったり止んだりの繰り返し。

で、谷地頭行きの電車で十字街方面へ走っていると、向こう側から雪煙をあげて走ってくる黄色い車両。「おっ、ササラ電車か!」と前方を見ますが、なんか変。よくよく見てみると電車ではなく自動車でした。

まぁ、確かに電車である必要はないのですが…ちょっとがっかり(笑)

ともかく慌てて次の電停で降りたのですが、間に合いませんでした。ササラ自動車?は降りた電車の向こう側を走り去ってしまいました。こちらは電車の中から撮った1枚です。

思わず降りてしまった魚市場通電停付近でバックに函館山を入れて。

十字街電停で谷地頭方面と函館どっく前方面に分かれるのですが、分岐点付近に操車塔が残っていました。

赤レンガ倉庫や自由市場にも行って見ますが、赤レンガ倉庫はおしゃれすぎてまったく馴染めず(笑)、ようやく見つけた自由市場は日曜日で休み(爆)。とりあえず赤レンガ倉庫のそばで見つけた招き猫。こういうのはわりと好きです(笑)
結局、何だかんだで市電を撮るしかなくて、谷地頭の手前、坂のてっぺんにある電停「青柳町」へ。

坂を十字街方面へ少し下りて待っているとやって来たのは広告なしの719号。谷地頭から戻ってきたところを撮ります。ちょうど日も差して、狙っていた雰囲気で撮れました。ハイカラ號を除けば最古参の500形、最新の超低床車9600形と見たかった車両は見れずじまいでしたが、まぁいいか、って感じです。

この後は五稜郭タワーに行きます。五稜郭タワーは昭和57年に行ったきりなので、実に35年ぶりです。その間にタワーは建て替えられ、かつては約60mだったのに今は約100mとずいぶん高くなりました。ただ、着いた時間が少し遅かったみたいです。せっかく日が差してきたのに海の上に広がる雲の向こうに隠れてしまいました。

五稜郭の向こうはまだ少し日が差しています。

こちらは函館山方向。函館山の右側の雲が無ければもう少し日が差してくれたのですが… 

そしてこちらが函館空港。この辺はまだ陰っていません。ちょうど降りてきた飛行機が見えますが、よく見ると垂直尾翼の虎柄が印象的なタイガーエア台湾です。

日が暮れると五稜郭公園のライトアップが始まります。コレが見たくて来たのですが、目で見るより写真の方がキレイに見える…ような気がします(笑)

後は函館駅前に戻り、朝市で開いていた食堂で夕食。これでこの日の作戦は終了です。

翌日はこの日に行けなかった大沼方面を目指します。

数日前にちょっと降りましたが、今年はなんだか雪が少ないです。もともと仙台は雪が多いエリアではありませんが、それでも今シーズンの雪かきの回数はゼロ、自分の車で雪道を走った回数もゼロはちょっと異常です。そんなこんなで無性に「雪が見たいなぁ」などと思ったのが2月上旬のこと。

ついでに「久しぶりに雪の秋田内陸線に乗りたい!」とか思ってしまいます(何気にちょっと前に書いたの記事の影響もありそうですが…)。

結局、行くことができたのは思い立ってから2週間ほど経った2月末。まぁ、秋田内陸線だけというのもなんなんで、未だ未乗となっていた北海道新幹線も乗ってしまいましょう!
いつものことながら少々古い話になってしまいましたが、よろしければお付き合いください。

というわけで、2月下旬の土曜日、朝一番の「こまち95号」で出発。天気は雲が多いもののそこそこ青空も見え、仙台中心部のビルに朝日が反射して輝いています。
古川付近からだんだん外が白っぽくなってきて、岩手に入ると真っ白。時折吹雪く冬らしい景色となってきました。盛岡付近では積雪が減ったもののその先は奥羽山脈。再び真っ白な世界に入っていきます。と言いつつ、山中でも積雪は40〜50cmぐらいでしょうか? 多いのか少ないのかはよくわかりません。

仙台を出て2時間ちょっとで角館に到着。到着直前の車窓はこんな感じです。

角館で秋田内陸縦貫鉄道の秋田内陸線に乗り換えます。にしても、こんなところにも(と言っては失礼ですが)、何組かの外国人観光客がいらっしゃいます。中年の駅員さんが片言?の英語を駆使して対応している姿に時代を感じます。まぁ、観光で売っていかなければならない鉄道ではあるのですが… なんかスゴイなぁ〜

秋田内陸縦貫鉄道は、国鉄の角館線と阿仁合線を引き継ぐ形で昭和61年に開業した第三セクターの鉄道です。平成元年には未成線だった角館線の松葉と阿仁合線の比立内間が開業、路線名も秋田内陸線と改め田沢湖線の角館と奥羽本線の鷹ノ巣を結んでいます。

山間部を走る鉄道ということで、経営はかなり厳しいようですが、阿仁合行き普通列車は1両編成ながら車内はなかなかの繁盛。角館を発車した時点で全てのボックス席が埋まり(4人座っているという意味ではありませんが…)、ロングシート部分にもそれなりにお客さんがいます。ほとんどの方が観光客のようですが、まずは結構なことです。

車両は、開業後まもなくして導入されたAN8800形。この車両も登場してまもなく30年。少々くたびれてきてはいますが、雪の中を軽快に走っていきます。この列車にはアテンダントさんも乗っていて、車窓や駅周辺の案内はもちろん、行き違う車両の説明、さらに車内販売までこなしていました。天気がよければ雪原の向こうに秋田駒ケ岳が見えるそうですが… 真っ白です(笑)

秋田県で最も高い位置にある戸沢駅を過ぎ、長いトンネルを抜けると阿仁マタギ駅。ここで下車します。実は終点の阿仁合駅まで行って駅のレストラン「こぐま亭」で昼食をとるか、阿仁マタギ駅で下車して温泉に浸かるか、直前まで迷っていたのですが、駅の前後で列車の写真を撮ろうとすれば、阿仁合駅よりは阿仁マタギ駅かな〜、で、結局、阿仁マタギ駅で下車。阿仁合駅に向けて去る列車を撮ります。

近くにある打当温泉は徒歩だと30分ぐらいかかりますが、連絡すると車で送迎してくれます。ケータイで電話をすると5分くらいで迎えに来てくれました。

ゆったりと温泉に浸かり、施設内の食堂で軽い昼食。マタギの里ということで、メニューには熊肉ラーメンも… 肉そばをいただきましたが肉は豚でした(笑) 熊っておいしいのかな?

施設内にはこんなのが居ました。なかなかのインパクトです。

再び車で阿仁マタギ駅まで送ってもらいます。ドライバーの方の話では雪の量は平年並みとのことでした。

阿仁マタギ駅に鷹ノ巣行きの急行「もりよし」号がやって来ました。車両は先ほどと同じAN8800形。急行用としてAN8900形があるのですが、残念ながら定期の運用からは離れているようです。ちなみにAN8800形は登場時にはベージュに赤のラインという塗装でしたが、今は一部を除いてそろぞれ色違いの単色塗装となっています。

それはそれとして、車内には華やかな雛飾りと秋田犬の子犬の写真が…

この急行列車で鷹巣駅を目指すのですが、ここで問題が一つ。既に角館駅で言われていたのですが、秋田内陸線は「小渕駅と阿仁合駅との間で線路肩崩落の危険性」とのことで、阿仁合駅と阿仁前田駅との間はバス代行となるとのこと(3/23現在、まだ復旧していないようです。秋田内陸鉄道さん、頑張ってください!)。鷹巣駅ではJR奥羽本線の弘前行きに乗り継ぐ予定なのですが、乗り換えの時間は9分。一部区間とはいえバス代行となると遅れは必至。その後の予定を考えるとちょっとヤバイです。

そうこう言ってる間に日立内駅に到着。待っていたのはベージュに赤のオリジナル塗装のAN8800形。線路の両側にはそこそこの雪の壁が…

30分弱で阿仁合駅に到着。この列車にも乗っていたアテンダントさんの誘導で代行バスに乗り込みますが、言うことを聞かない観光客は(私もあまり人のことは言えませんが…)あっちで写真、こっちで自撮りで、なかなか先に進みません。幼稚園の先生のごとく優しい声で案内を繰り返すアテンダントさん。お疲れ様です。そして、すみませんでしたm(__)m
代行バスは秋北バスの小型の路線バスタイプ。この車両に急行から乗り継いだお客さんが納まってしまいました。お客さんで席にありつけなかったのはお一人だけ。急行にもそこそこ乗っていたと思っていたのですが、なかなか厳しい現実ではあります。

急行の代行バスなので途中駅には寄らず阿仁前田駅には15分ほどで到着。再びアテンダントさんの活躍で鷹巣駅までの急行列車は7分遅れで発車。鷹ノ巣駅(JRのたかのす駅はノの字が付きます)での接続は微妙なところ。

添乗していた秋田内陸縦貫鉄道の社員らしき人に聞いてみたら、「JRに連絡してみます」。数分後、「JRは待つそうです」との回答があって一安心しましたが、結局は4分遅れで鷹巣駅に到着。跨線橋で直接JR鷹ノ巣駅のホームへ行き、難なく乗り継ぐことが出来ました。相変わらずの雪景色の中を701系で弘前に向かいます。

大鰐温泉駅では、今も現役、弘南鉄道のキ105を目撃。これが動いているところも見てみたかったです。

弘前駅で乗り換えるのは五能線の快速「リゾートしらかみ4号」。

最新のハイブリッド気動車HB-E300系の橅(ぶな)編成。木材を多用した明るい車内は気持ちがよいです。運転席の後ろのフリースペースにはブナの木のオブジェが飾られていました。

窓越しに津軽の名峰、岩木山が見えますが、残念ながら山頂は雲の中。そして右側から雪雲が迫ってきました。

五所川原駅に着いた時にはまたまた吹雪き。五能線のハイライトはこの先にある鰺ヶ沢駅からですが、ここで津軽鉄道に乗り換えます。車両は主力車両である津軽21形です。乗った列車は金木駅でストーブ列車と行き違いとなります。

ですので、金木駅の手前の津軽飯詰駅で降りてストーブ列車を撮り、そのままストーブ列車で五所川原駅に戻るつもりだったのですが、降りてみたら、なんか撮りにくい。以前、この駅で撮った時と何かが違う。と思ったら行き違い設備がなくなっていました。

とりあえず乗ってきた列車を見送ります。

ストーブ列車が来るまで約30分。待合室に入ってみると想定外なことにストーブが点いています。ほわっとした空気がありがたいです。待っている間に雪が上がりましたので、乗るのはあきらめて近くの踏切でストーブ列車を撮ることにします。次の上り列車まで1時間半ぐらい待たなければなりませんが、ストーブがあるので何とかなるでしょう。

やって来たストーブ列車はディーゼル機関車が牽引していました。当たり前の姿ではありますが、事前にネットで見ていたら客車が2両がディーゼルカー津軽21形に挟まれる形で運転されている写真をみつけて、これだったらちょっと悲しいと思っていたので、まずは安心します。ただ、機関車の次位につながれた津軽21形はしょうがないところでしょうか。

ストーブ列車を撮って待合室に戻るとほどなくして一人の男性が入ってきました。実はストーブの脇には「夕方に係りの者が消します」的なことが書いてあったので、「ありゃ、消しに来ちゃったかな」と内心ドキドキします。

で、いろいろとお話をさせていただいたのですが、実際に消しに来られたようです(笑)

とりあえず、私が上り列車に乗った後に改めて消しに来るとのことで、すみません、ありがとうございました。おかげさまで本当に助かりました。

ところでこの駅には津軽だこや地域を紹介する展示物がいろいろと飾られています。ストーブを消しに来られた方もそのお一人だったのですが、飯詰を盛り上げる活動をされているそうです。ストーブもその一環とのことでした。にしても、懐かしい昭和の駅のイメージです。
ちなみに活動内容等はこちらのホームページで紹介されています。ぜひご覧いただければと思います。

ようやく上り列車が来てくれました。

五所川原駅からは再び快速「リゾートしらかみ」に乗ります。別に普通列車でよいのですが、これしか無いんですよね。さっきの橅編成同様にハイブリッド気動車HB-E300系で、橅編成の先輩になる青池編成です。

何はともかく、この列車で青森まで移動しますが、ちょっと疲れたかな〜。と空いているのをよいことにシートを回して足を伸ばしますが、シートピッチが広すぎてかえって疲れる(笑)

この日は青森に宿泊。青森名物「味噌カレー牛乳ラーメン」をカップ麺以外で初めて食べました。なるほど、こんな味でしたか。

 

 

翌日は函館を目指します。

三連休ももう終わりです。結局、遠出はできませんでした。

昨日は、朝早く出て、いわき方面へ出かけるつもりだったのですが、いろいろあって家を出れたのは昼過ぎ。しょうがないので常磐線の山下駅あたりで普通電車をちょろっと撮ってきて終わっちゃいました。

山下駅と坂元駅の間、国道6号線からの俯瞰です。わかりにくいですが線路の向こうは水田で、その向こうが津波被害があったエリア。まだまだ工事中です。そしてその向こうに太平洋です。
国道6号線と新しい山下駅を結ぶ道路から撮影。この辺は開発が進んでおり、新しい公園で遊ぶ子供の姿にも復興の一端が感じられます。
浜吉田駅と山下駅の間です。山下駅周辺は高架橋ですが、浜吉田駅からはしばらく地上を走っており踏切もあります。
なんとなく印象的な雲と光。
だいぶ日が傾いてきました。窓と太陽の位置を合わせたかったのですが、ちょっと惜しかったです。
次の電車の時にはもう沈んでしまいました。

以上で終了ですが、何となく不完全燃焼だなぁ〜 ちなみに車両は、E721系0番台、E721系1000番台、701系で、719系は来ませんでした。てか、もう719系の運用ってもうないのかな? 

るーぷる仙台とは仙台市交通局が運行している市内観光用の路線バスです。レトロなデザインの専用車両が瑞鳳殿、仙台城址、大崎八幡神社などを巡っています。

運行を開始したのは平成11年ですので、もう15年以上経つんですね。このタイプの観光路線バスは以前、神戸市で見ていたのですが、「神戸のような観光都市でもない仙台ではなかなか辛いのではないか、そんなに長続きはしないだろうな」などと考えていました。ところが、そんな私の不埒な考えとは裏腹に、走っているバスを見るといつもたくさんのお客さんで賑わっています。当初3台で始まった「るーぷる仙台」は少しずつ台数を増やし今や7台体制。すっかり仙台観光の顔として定着しました。

そして今月の15日、新車が2台登場。今回は増備というよりは古い車両の置き換え用のようです(1台は廃車、もう一台は予備車)。

「るーぷる仙台」の車両は一台ずつ違うデザインなのですが、今回登場したのは歴代藩主が所用した「山形文様陣羽織」の意匠を取り入れた「政宗号」、そしてもう一台は仙台市電の配色を採用した「市電カラー号」。

仙台市電色となるとちょっと見てみたくなります。

で、今日、地下鉄東西線の国際センター駅の近くを車で走っていたら、青葉山を登っていく市電色ぽいバスが一瞬見えました。ということは、青葉山をぐるっと廻って15分ぐらいでここを通るはず。車を停めてしばし待ちます。

来ました!
確かに仙台市電色です。市電感はもう一つな気もしますが…(笑)

 

とりあえず「市電カラー号」が八幡町を廻っている間に西公園通りに移動。

 

ここは、仙台市電が実際に走っていたルートです。まさに「市電カラー号」が走っているその下にレールが敷かれていました。というか、この辺のレールは撤去したのかな? もう少し南側だとアスファルトが剥げてレールが見える場所がありますが…
西公園のSLと一緒に。以前、市電が廃止される前ですが、このSLの脇に今は市電保存館にいる1号電車が静態保存されていました。
ところで「市電カラー号」ですが、仙台の市章も再現されていますね。塗装ではなくステンレス板を張り付けたタイプで、塗り分けパターンも含めてどうやら400型がプロトタイプということでしょうか? 形は違うけど…

もう1台の新車、「政宗号」も走っていましたので、仙台城の隅櫓付近で撮影しました。フロントガラスの上に飾られた政宗の兜の前立てが印象的です。
宮城県立美術館の前で「市電カラー号」をもう1枚。ドア側のサイドです。
最後に、完成してから撮っていなかったので、西公園のC60広場も載せておきます。ターンテーブルを意識した舗装になっています。

昨年の7月ごろ「ちょっと前の鉄道写真」ということで津軽地方の旅について3回に分けて書きました。ただ、書いた時には当時のメモが見つからずネガと記憶が頼りの記事だったのですが、ブログにアップして間もなくメモが見つかりました。

 

改めて見てみると、…ん〜、あちこちに結構な記憶違い。このままでは、ちょっとなぁ〜というとで一度削除し、訂正版を載せるつもりだったのですが、そのまま忘れ去られていました。とはいいつつ、せっかくスキャンしたのに少しばかりもったいない。

 

で、3本の記事を一つにまとめて、メモを基にいろいろと検証してみました。まぁ、アホだなぁ〜とみていただければ幸いです(笑)

 

では、ここから本文。まずは1回目の投稿分です。

 

以前読んだ宮脇俊三さんの本の中に、ご夫婦でJR東日本の豪華寝台車「夢空間」に乗ったその日に湾岸戦争が勃発し、「こんな日に戦争を始めなくても…」とこぼされるシーンがあったのですが、私も似たような経験があります。
 
宮脇俊三さんの場合は平成3年1月17日のことでしたが、私はその1ヶ月ちょっと後となる2月14日でした。
 
その日、品川発の夜行バス「ノクターン号」でやって来たのは青森県の弘前駅。そして駅の待合室のテレビから流れてきた2つのニュース。
 
1つ目は東名高速道路(だったかな?)での夜行の高速バスの事故。乗客の中に亡くなった方もいらしたということで、同じ夜行高速バスでやって来た身にはそれも十分に衝撃的でしたが、もう1つのニュースが、湾岸戦争でとうとう地上戦が始まったというものでした。
 
1月17日の湾岸戦争勃発後、多国籍軍の航空機や巡航ミサイルによる一方的な攻撃が続いていましたが、イラクもイスラエルに対するミサイル攻撃を行い、やはり次は地上戦に突入するのか? という状況ではありましたが、いざ本当に始まってみると、このまま長期戦になるのだろうか? これまでのアウトレンジの攻撃とは違い(というか、やられる方はたまったもんじゃありませんが…)、地上戦ともなると多国籍軍側にもそれ相応の戦死者もでて、お互いにいよいよ抜き差しならない事態になるのではないか、さらに場所が場所だけに日本経済にも大きな影響が出るだろうか、とか、それなりにいろいろと考えてしまいます。
 
「こんな日に始めなくたって…」
と、弘前駅の待合室でやはり思ってしまいました。

 
といっても、いつまでも待合室でテレビを見てるわけにもいかないので、いつも持ち歩いているラジオで戦争の実況中継を聴きながら、奥羽本線で川部駅に移動。弘南鉄道の黒石線に乗りにいきます。
 
ここで最初の、かつ重大な間違い。この2つのニュースに接するのはもう少し後のことです。この時点ではまだ発生していません。

というわけで、改めて今回の古い鉄道写真は、平成3年2月の弘南鉄道です。
 
かつては国鉄線だった黒石線は、昭和56年に第1次特定地方交通線に指定されますが、(多分)唯一の既存私鉄へ転換路線として、昭和59年に弘南鉄道に移管されました。
 
弘南鉄道となっても非電化のままだったので、車両はJRから引き継いだキハ22がベージュとエンジの(ちょっと違うかも…)の渋い弘南カラーをまとい走っていました。
 
この色は元々好きでしたが、キハ22にもなかなか似合います。
 
▼前田屋敷付近(と思われます)H3.3.24
2月の津軽ということで周辺は真っ白です。

この場所は晴れていればバックに岩木山が入るのですが、この天気ではどうにもなりません。
 
終点の黒石駅は国鉄だったころは弘南鉄道の黒石駅とはちょっと離れたところにありましたが、黒石線の転換時に弘南鉄道の黒石駅に移転統合されました。その黒石駅で弘南線に乗り継ぎます。
 
弘南鉄道は国鉄や首都圏の大手私鉄のお古、さらには元阪和電鉄など、由緒ある?旧型電車がたむろする(趣味的には)実に魅力ある鉄道だったのですが、なかな訪れる機会がなく、初めて来たこの頃は、東急から来たステンレスの7000系の運用も始まっており、既に元阪和のクハ20形など多くの旧型電車が一線を退いた後だったのは残念なことでした。て、いうか、それ以前に一度、行こうとしたのですが、元阪和が3両編成の中間に入ったという記事を何かで見て、「それじゃ行ってもしょうがねぇよなぁ〜」と、止めちゃったんですよね。あ〜、アホだ(泣)
 
それはともかく、この時、動いていた旧型電車は元東急の3600系2編成でしたが、日中帯は3600系と7000系が交互に走っていたように記憶しています。
 
▼弘南黒石駅H3.3.24
渋すぎる側面
 

 

 

▼田舎館駅H3.3.24

隣にステンレスの7000系
 


雪の中での撮影ですが、耳は戦争の中継に集中。といっても戦局に関する直接的な情報は少なく、解説的な話が大半だったように思います。しかも出てくる地名には全くなじみもなく、ただただ緊張感だけを感じていたような気がします。しかも時折り吹雪いてひたすら寒いし…

 

湾岸戦争の地上戦が始まったというニュースはこのあたりで初めて聞いたようです。この頃は普通にラジオをもって歩いていました。
 

 

▼柏農高校前〜津軽尾上H3.3.24

▼柏農高校前〜津軽尾上?H3.3.24
一応、7000系も撮っていました。ネガの前後のコマからみて柏農高校前〜津軽尾上だと思うのですが、Googleの地図で見ても場所が特定できません。
 

▼柏農高校前〜津軽尾上H3.3.24

この後は、弘前駅に3時ぐらいまでに戻り、次の目的地、五所川原へ向かいました。というか、今考えれば、むしろこの時に大鰐線も乗っとくべきだったかなぁ。

 

弘前駅に戻ったのはお昼過ぎでした。思ったよりも早いです。

 

ちなみにラジオから聞こえてくる戦争の方は、よく判らながらも多国籍軍優勢ということで推移しているようでした。というか、結果的には長期戦どころか地上戦の開始からわずか数日で暫定停戦協定が結ばれました。まぁ、その後が長かったし、今なお、あらゆるところでその影響が続いているのですが…

 

この先は2回目の投稿分になります。

 

前回の続きです。

 

遠い中東で戦争が始まった日(正しくは「地上戦が始まった日」)、私は一人、雪の津軽で弘南鉄道を撮っていたわけですが、寒いしお腹は空くしで、午後3時ぐらいには弘前に撤収。

 

くどいようですが、弘前にはお昼過ぎに着いています。お昼は780円のかつ丼セットを食べたことになっていますが、記憶はないです。ただ、メモには予想とは違う味だったと書いてあります。おいしかったのかどうかは定かではないのですが… 

 

朝、湾岸戦争のテレビを見たという記憶は、実際にはこの頃の事だったと思われます。

 

今にして思えば大鰐線に行っておくべきでしたが、中央弘前駅までちょっと遠いのと少し疲れたこともあって、その日の宿泊地の五所川原に移動しました。

 

その時、五所川原駅で何枚か撮っていましたので、こちらもご紹介します。

 

▼下りの「ノスタルジックビュートレイン」

 

ノスタルジックビュートレインは、この前年の平成2年に登場した五能線の観光列車です。50系客車の改造車で、最後部の展望室が特徴でした。

 

▼津軽鉄道のラッセル車

このタイプのラッセル車は、今は弘南鉄道に残るのみですが、この時は津軽鉄道のこの車両もバリバリの現役でした。

 

▼ストーブ列車

津軽鉄道の冬の看板列車です。が、わずか1両の客車はいささか寂しい。そして真っ赤な客車はちょっと…ヤダ(笑)

 

 

 

 

このネガはここでおしまい。で、次のネガの先頭に写っていたのはコレ。

 

▼キハ100(奥羽本線・横手駅)

当時は最新鋭だったキハ100系です。登場時はこんな感じのブラックフェイスでした。初めて見た時はそこそこの違和感がありましたが、今改めて見るとなかなか締まってよい顔だったように思えます。

 

…なんですが、それはそれとして、224日夕方の五所川原駅から横手駅のキハ100系気動車まで、流れ的にいささか唐突感があります。五所川原から横手まで何も撮らない訳はない。ということでしばし考えてようやく思い出しました。

 

24日は五所川原に宿泊し、翌日は津軽鉄道で金木まで往復。その後は五能線でノスタルジックビュートレインに乗っています。そして、津軽鉄道は少し気合を入れてポジフィルムを使ったのでネガのファイルには入っていない、ということのようです。

 

う〜ん、スライドにして保存してあるはずだけど・・・ どこに行ったかな〜? 週末に探してみよ。

 

記事の通り、弘前から五所川原に移動していますがそのまま宿泊ではなく、その日のうちに五所川原駅から津軽鉄道で金木駅まで行っていました。

 

この先は3回目の投稿分となります。

 

少々時間が経ってしまいましたが、前々回の続き、平成3年の津軽への旅です。
 
この時のスライドは無事に発見しました(笑)
 
まずは朝イチで、五所川原から津軽鉄道で金木まで行き、その周辺で撮影。
 
というわけで、朝イチではなく、弘南鉄道に乗ったその日の午後です。
 
▼金木駅〜嘉瀬駅
弘南鉄道と同様にJRから来たキハ22が雪の中、鉄橋を行きます。

 

元国鉄の除雪車キ100もやってきました。このタイプの黒いラッセル車が動いているのを見たのはこれが最初で最後。できればもう少しよい角度で見たかったところです。
 
この日の写真はここで終わり。この後、五所川原に戻り駅近くのビジネスホテルに宿泊しています。ちなみに夕食はモスバーガー。なんでここまで来てモスなんだと、メモの中で愚痴っています(笑)
 
▼撮影場所不明
ストーブ列車です。前日見たのとは違い2両編成で、落ち着いた津鉄色がうれしいところ。にしてもここはどこでしょう? 雰囲気的に金木駅ではなさそうです。後ろに見えるスノーシェッドらしき物がヒントかも… ということで、Googleの航空写真でみてみたら津軽飯詰駅に似たのがありますね。ここかな?
 
この写真は翌日の午前中。それこそ朝イチで出かけて下りのストーブ列車を撮るつもりだったのに寝坊して思ったところで撮れなかったようです。この写真はやはり津軽飯詰駅で撮った上りのストーブ列車でした。この列車に乗って五所川原駅に戻っています。
 
ちなみに高速バスの事故があったのはこの日の朝でした。朝の五所川原駅のテレビで見ていました。
 
▼五所川原駅
凍てついたキハ22
 
五所川原に戻り、続いてノスタルジックビュートレインで東能代へ向かいます。前回もちょっと書きましたが、平成2年に登場した50系の改造車両を使用した観光列車で、今のリゾートしらかみの前身にあたる列車です。当時は1日2往復運転されていました。
 
列車は専用のDE10牽引の3両編成で、うち2両は自由席で外観は展望車と共通の塗装に塗り直されていましたが車内は従来と同じだったように記憶しています。一方の展望車は最後尾の展望室の他、側窓も拡大されるなど気合いの入った改造が行われ、車内もそこそこ豪華な造りとなっていました。
 
乗ったのは午後の便の展望車でしたが、残念ながら車内は空いていました。それでも車内販売の方がいて、丸ごとのりんごが付いたお弁当を買い、冬の日本海を堪能しながら、おいしくいただいた記憶があります。
 
この弁当の名前は「まいたけ風味ネハァー弁当」。鶏の炊き込みご飯とフキ、舞茸、厚焼き玉子、胡瓜の味噌漬け、さらに別の小箱に鮭の和風マリネ?、そしてリンゴとなかなか詳しくメモっています。本当においしかったようです。ちなみにお値段は1000円でした。当時の感覚だと少し高めかな?
 
▼深浦駅でノスタルジックビュートレイン同士が行き違い
後方の展望室は入ることができましたが、寒さ避けに張られたビニール?が凍りついて何も見えませんでした。って、これでも十分に寒いし…
 
ちなみに展望車は必ず編成の後ろに付けるため、終着駅に着くたびにターンテーブルで廻していたように記憶しているのですが… どうでしたっけ?
 
▼冬の日本海
寒々とした絶景です。
この後は東能代駅から奥羽本線で鷹巣駅へ行き、秋田内陸鉄道の急行「もりよし」号で角館駅へという予定だったのですが、写真を見ているうちに思い出しました。
 
ノスタルジックビュートレインは東能代駅の手前、能代駅で大雪のため足止め。全く動かなくなってしまいました。このままでは「もりよし」号に間に合わない。
 
ノスタルジックビュートレインについてはだいたい合っていましたが、ここは間違い。東能代駅までは行きましたが、この先、奥羽本線のダイヤが乱れまくって東能代駅で足止めでした。乗り換えるはずだった奥羽本線の下り普通列車は秋田駅から出れない状態。ただ特急は来るというので待っていたけど一向に来ず、ついには東能代駅で運転打ち切りと、どうにもならない状況でした。
 
で、気づいたのが駅前のバス停。時刻表を見たら間もなく鷹巣駅前を通るバスが来るという絶妙なタイミング。列車に荷物を取りに戻り、あわててバス停へ。
 
バスについては駅員に聞いたみたいで、その後、バス会社に電話して状況を聞くもののかなり混乱したやりとりがそのままメモに残っていました。
 
ちょうどやって来たバスは雪道を快調に走り、鷹巣駅前バス停に到着。ギリ間に合ったかと下車したら、そのバスは鷹巣駅へ直行。降りなきゃ鷹巣駅にそのまま行けたじゃん、ぼやきつつ雪道を走りました、というしょうもない思い出です(笑)
 
ここも微妙に違う。快調に走っていたのは二ツ井駅付近までで、この後は旧道に入り集落ごとにこまめに停まり結構イライラしていたみたいです。さらに鷹ノ巣駅前付近はだいぶ違っていて、駅近くの松葉というバス停を過ぎ次ぐらいかと思ったら駅前の通りを逆に曲がり、駅とは逆の方向へ。次の鷹巣営業所前で下車し駅まで走ったと書いてありました。結局、「走った」というところは同じですが…(笑)
 
▼秋田内陸鉄道 急行「もりよし」号 鷹巣駅
乗務員さんが車両の雪を落としてます。女性の姿も見えますが、秋田内陸鉄道は女性車掌、そして女性運転手のハシリの鉄道でした。
 
▼AN8800型とのすれ違い

かくして予定通り、角館に到着。この日は横手まで行って駅前のビジネスホテルに宿泊。翌日はキハ100系で北上線で北上に抜け、仙台の実家に寄ってから東京に戻ったはずですが、北上駅でお目当ての駅弁を買い損ねたのが記憶に残っています。けど、何の駅弁だったかな〜?
 
秋田内陸線は途中、レールも見えない状況で走っていたようですが、角館には定刻に到着しています。が、ここからまたいろいろと間違いがありました。まず、泊まったのは横手ではなく大曲。そして仙台の実家に寄ってから東京に戻ったのは合ってましたが、経由地は北上ではなく新庄でした。大曲から普通列車2本(40系気動車と50系客車)を乗り継ぎ新庄へ行き、そこから仙山線へ直通する快速仙山5号で仙台へ向かっていました。現在では直通不可能なルートで、なかなか貴重な体験でした(全く覚えてなかったけど…)
 
北上駅の駅弁については、別の記憶とごっちゃになってるんでしょうね。
 
以上、四半世紀前のこととはいえ、記憶なんていい加減なものです、というお話でした(爆) 

前回はちょっと前のことを書きましたが、今回はさらにそこそこ前の出来事になります。

あまり気乗りしなかったのですが、東京の多摩の方に行く用事ができてしまいまして、日帰りでちょっと行ってきました。用事自体は気乗りしないのですが、この辺は就職してから長らく住んでいましたので馴染みのエリアでもあります。しばらく行っていなかったので懐かしいっちゃ懐かしい。

せっかく行くのなら時間かけて歩きたいところですが、何分にも時間がない。次の日は絶対に外せない用事もあって会社は休めないし… ということでほんのちょっとの“プチ鉄”です。

一眼レフを持っていくほどでもないかな、ということでいつも持ち歩いているコンデジで少しだけ撮ってきました。

当日、朝の東北新幹線に乗り大宮駅で下車。

ホームの北端でE4系を撮影。以前は仙台でも普通に見ることが出来た車両ですが、今は上越新幹線だけ。「MAXとき」仕様の朱鷺色のラインがよいですね。左側には北へ上るE2系。そしてよく見ると右側、架線柱の影にニューシャトルの2020系がチラリと…

埼京線で武蔵浦和駅へ。ここから武蔵野線に乗り換えます。以前はそこそこの頻度で乗っていた路線でしたが、もしかしたら20年ぶりに乗るかも… そのころ乗っていたのは101系1000番台。長いトンネルに入ると、とんでもなくうるさい車内でした。

 

武蔵浦和駅の南浦和寄りから205系。武蔵野線に初めて入った205系は京葉線仕様と色違いでしたが、これはノーマルな顔ですね。今回はこのタイプしか見なかったです。

 


武蔵野線でそのまま西国分寺駅まで行けばよいのですが、少し時間に余裕があったので新秋津駅で降りてしまいます。

東京を離れてからも大手私鉄に乗る機会は無いでもないのですが、考えてみたら西武は全く乗っていません。これも20年ぶりということで、新秋津駅から西武の秋津駅へ徒歩移動。この道はたぶん25年ぶりぐらいかも(笑)

池袋方向からやって来たのはスマイルトレイン30000系。当然ながら初めて見ます。

この電車で所沢駅へ。

まさか所沢駅で普通に東急の電車が見れる時代が来るとは… このあたりに住んでいた頃は想像もしていませんでした。
西武と言えば黄色い電車。ただ、馴染みの薄い“青”もなかなかの勢力になっていますね。

適当に西武の電車も見たし、そろそろ行かなきゃと思った時に飯能側から入ってきたのは… 10000系レッドアロークラッシック。見れるものなら見たいとは思っていましたが、まず無理だろうと半ばあきらめていたのに、これはちょっとうれしい。ただ、ホームの端にいたかった(笑)
一応、通常色の10000系も撮っておきます。
で、完全に時間切れ。さっさと用事を済ませに行きます。
 ・
 ・
無事終了(笑)

帰りは素直に西国分寺駅から武蔵野線に乗り換えますが、西国分寺駅で一応少し撮ります(笑)
 
20年前には影も形もなかったE233系。かつては101系や103系を追い落とす201系の姿を見ていましたが、その201系も東日本から姿を消してしまいました。栄枯盛衰ですなぁ〜
国分寺側からE351系「スーパーあずさ」。乗ったのは一度だけでした。これもE353系に追われる運命にあります。てか、上りのE233系がちょっと被ってしまいました。危ない危ない…
最後に武蔵野線ホームからEF641000番台。懐かしの国鉄型機関車を撮って、プチ乗り鉄&撮り鉄は終了。
あとは素直に新幹線で帰りますが、なかなか懐かしいひと時でした。駅も車両もずいぶん変わってはいましたが…

にしても、やっぱりコンデジで鉄道は撮り難い。少し重くても一眼レフを持っていたほうがよかったかな?

ちょっと日が過ぎてしまいましたが、先週の水曜日から日曜日まで、長町駅の東側「あすと長町」でプロジェクションマッピングのイベントが行なわれていました。会場は駅前に建設される28階建てのマンション建設予定地で、このマンション関連のイベントのようですね。必然的に今年1回限りのイベントだと思います。

で、土曜日の夕方、たまたま東北本線で仙台駅に戻る途中、それを思い出して途中下車。ちょっとのぞいてみました。

人ごみを掻き分けて…ってほどではないけれど、家族連れなどたくさんの人でにぎわっています。上映は午後5時から30分間隔で6回行なわれます。1回の上映時間は10分程度です。

スクリーンは仮設のもので、形はマンションの建物を模しているようです。幅は10m、高さ5mぐらいでしょうか? あくまでも目測であまり当てにはなりませんが… 

プロジェクションマッピングというと、以前、東京駅の丸の内駅舎の復元が完了したときに、駅舎に映像を映していたのをテレビで見て「スゲーな〜」と思ったのですが、あれとは少し違うかも…

ともかく時間になり、上映開始。

テーマは仙台・長町の歴史だそうです。

最初は少し後方から見ていたのですが、せっかくなので最前列でもう一度見ます。

最後はマンションの宣伝って感じでしたが、そこそこ楽しませていただきました。

ちなみにマンションの名前は「パークタワーあすと長町」だそうです。ただで見せていただきましたので、一応、書いておきます(笑) 

平成31年度の入居予定で、JRの長町駅からは徒歩2分!

駅前の高層マンションって憧れはありますが、まっ、ちょっと無理。てかぜんぜん無理(笑)

前回の続きです。

紀州鉄道に乗った翌日は有田鉄道に乗ってきました。

有田鉄道は、先日、石油工場での大規模な火災が発生した有田市の南隣、有田川町の紀勢本線藤並駅から東へ5.6km、金屋口駅まで伸びる小さな私鉄でした。といっても前日に訪れた紀州鉄道の倍はありますけど…(笑)

ただ、紀州鉄道は未だに生き残っていますが、有田鉄道は訪れた5年後の2002年に廃止されてしまいました。

廃止直前には1日の運転本数がわずか2往復という状態でしたが、行った時は午前中に4往復、午後に1往復で合計5往復。2往復という数字を見た後は「意外と多い」という気もしますが、学校が休みとなる日はバスに振り替えだったようで、実質、高校生の輸送のためだけに延命していたという感じなのでしょう。

訪れた日は月曜日でしたが、恐らくこの旅行のスケジュールのキモは、この有田鉄道だったと思われます。

乗ったのは、藤並駅からの2番列車となる8時8分発(1番に乗ろうとしたのに御坊で寝坊した気がする…イヤ、洒落じゃなくて…)。車両は数年前に樽見鉄道から来たレールバス「ハイモ180」でした。当時のメモを見ると、通学時間帯で、かつ小さなレールバスということもあるのでしょうが、車内は高校生でなかなかの盛況だったようです。

もっとも2駅目の下津野駅で全員降りてしまい、その後は終点の金屋口駅まで空っぽのレールバスで行きました。下津野駅のそばには有田中央高校がありますのでここの生徒たちだったのでしょう。

金屋口駅に到着後、当初予定では次の1往復をどこか近くで撮るつもりだったのですが、当日は前日から続くあいにくの雨。それもそこそこの雨脚で、走っているのもレールバス。これで富士急から来た両運転台のキハ58003が動いていたら多少無理をしても撮ったと思うのですが…

結局、駅に停まっているレールバスを撮って次の藤並行きで戻ることにしました。
キハ58003は車庫の中にいました。この写真だと両運転台かどうかはわかりませんが…
殺風景な金屋口駅ですが、構内には手書きの運賃表といっしょにレポート用紙に手書きされた沿線案内が貼られていました。更にポエムらしきものも… 残念ながら余命いくばくもない小さな鉄道でしたが、大切に思っている人が確実にいたのだなぁ、と今更のように思います。

前々回、紀州鉄道キハ603の鉄コレについて書きましたが、今回は実物に乗った時のことを書きます。

乗ったのは平成9年6月。そんな昔のことだとは思ってなかったのですが、もう20年も前になるんですね。

当時は盛岡に住んでいて、東北新幹線と上越新幹線を乗り継ぎ、越後湯沢から北越急行の特急「はくたか」に乗り直江津、信越本線で長野へ行き、翌日、「しなの」「南紀」「オーシャンアロー」と3本の特急を乗り継いで紀勢本線の御坊駅にやって来ました。

こんななかなかのルートで来たので御坊に着いたのは既に15時過ぎ。まぁ、日の長い時期ですし、なにしろ路線が短いので、あっという間に乗りつぶしができて、そこそこ楽しむことができます。

延長2.7劼竜州鉄道は当時、日本一短い鉄道でした。現在は千葉県の芝山鉄道(2.2)ですが、芝山は全列車が京成電鉄へと直通しているため、実質的には今でも紀州鉄道が日本最短の鉄道かもしれませんね。

ともかくオーシャンアローを降りると紀州鉄道に乗り換え。すぐの発車だったように思います。御坊駅を出るとしばらくは農地も目立ちますが、学門駅ぐらいからは古い住宅街という感じで、どうということのない車窓が続くなか、御坊駅を出てからわずかに8分で終点の西御坊駅に到着しちゃいます。

結局どこで撮ったらよいかもわからず、時間もないし天気もいまいちだし(梅雨時ですからしょうがないですが)、西御坊駅界隈で軽く撮ります。

▼西御坊駅から御坊駅方面を望む。
西御坊駅からはさらに日高川駅まで0.7劼寮路が伸びていましたが、乗りに行った8年ほど前に廃止になってしまいました。西御坊駅から先へとまだレールが伸びていました(今もあるようです)。

▼手前が旧日高川駅方面になります。

▼キハ603の御坊駅側 車両番号のペンキが垂れてます。

このあと紀伊御坊駅に移動。ここはなかなか立派な駅舎があります。

▼駅の端にキハ605がいました。

岡山臨海鉄道から来たこの車両は紀州鉄道では一度も営業運転されたことがなかったそうです。廃車後は有田鉄道の金屋口駅跡にある有田川町鉄道公園に保管されていましたが、今は伏木ヤードというところで復元作業をされているとのこと… 状況がよくわかりません。きれいになった姿を見てみたいものですが… と、いろいろネットで見ていたらジェイアール貨物・北陸ロジスティクスという会社からきれいな姿で販売されていました。販売価格は「お問い合わせください」とのことです(笑)

何はともあれ、雨は強くなるし暗くなるしで御坊駅に引き上げます。

▼走行中の車内。白熱灯の明かりがいい感じ。

▼御坊駅に着きました。バス窓越しに阪和色の113系。

▼御坊駅の0番ホーム。1番線に到着したのは元急行用の165系。

紀州鉄道の写真はこれでおしまい。この日は御坊に泊まって、翌日、有田鉄道に乗って、そのあと南海や大阪の地下鉄の未乗区間をいくつかやっつけて、伊丹空港から飛行機で引き上げたのでした。てか、有田鉄道ぐらいまではそれなりにメモが残っていたのですが、その先がいい加減で詳細がわからない… 困ったもんだ。


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