先週末はG7財務相・中央銀行総裁会議がらみで、ドイツとアメリカの要人輸送機を仙台空港で撮ることができましたが、今週はサミットでエアフォースワンとしてVC-25も来たみたいですね。いずれはあれも撮ってみたいものです。

で、オバマ大統領の広島での演説。謝罪が無いとか、ただの理想論だとか、いろいろな意見もあるようですが、やっぱり現職のアメリカ大統領が広島を訪れた、ということに意味があるんでしょうね。ただ、大統領自身が言っているように核廃絶の道はあまりにも遠そうですが…

 
えっと、話を戻します。

今回、古いネガからスキャンしたのは、飛行機つながりということで、
平成2年3月に撮影した羽田空港。
 
ネガの状態は、以前ご紹介した京福電鉄・福井鉄道や長野電鉄と比べるいささか悪いのですが、それなりに懐かしい機体が写っていたので、よろしければご覧くださいませ。
 
当時は国分寺市に住んでいたのですが、車で小湊鉄道を撮りに行く途中、ちょっと回り道をして立ち寄ったという記憶があります。

羽田空港に隣接する京浜島から海越しに撮影したのですが、当時の羽田空港は沖合い展開工事の真っ最中で、空港周辺の海には杭が立ち、敷地内を大型のダンプ等が行きかっていました。その時は、飛行機の写真に極力ダンプが入り込まないように撮ったのですが、今考えれば、一緒に写っていた方がそれっぽい臨場感があって良かったかも知れませんね。

 
ちなみにこの時に撮ったのはわずかに4カットでした。ちゃっちゃと撮って主目的地の小湊鉄道へ急いだものと思われます。
 
▼ロッキードL1011[全日空] H2.3.17

トライスターの愛称を持つ3発機ですが、所謂ロッキード事件で名を上げた?機体でもあります。

▼ボーイング727[全日空] H2.3.17

機体後部にまとめられた3発エンジンとT字型尾翼が特徴のスマートな機体で、当時一番好きな飛行機でしたが、これを撮ってほどなく姿を消してしまいました。これと比べるといかにも平凡に感じたボーイング737が、今なお、バージョンを上げながら作り続けられているんですよね。わからんものです。

 
で、多分この場所が気に入ったのでしょう。その翌週、もう一度訪れています。この時はここが主目的地で、わりとじっくりと撮っています。
 
▼ダグラスDC-10[日本航空] H2.3.24

生まれて初めて乗った飛行機がこれでした。日本航空の尾翼の鶴丸と窓のところの赤と濃紺の帯が、いかにも「日本のナショナルフラッグ」というイメージ!、だったんですけどねぇ。

 
▼エアバスA300(日本エアシステム) H2.3.24

これは2番目に乗った機種。長崎から羽田まで乗りましたが、上がってから降りるまでひたすらガタガタと揺れ続けたという記憶しかないです(笑) あっ、初めて飛行機のトイレを使ったのがこの機体でした。トイレのドアの開け方に戸惑っていたらスチュワーデスさん(今でいうところのCAさん)がさっと開けてくれました(恥)
 
▼ボーイング767[日本航空] H2.3.24
これってB767ですよね? この塗装のB767があったって、全く覚えていませんでした。近年の塗装と比べるとなんか、フォーマルって感じがするのは私だけ?
 
▼ボーイング747[日本航空] H2.3.24

ついに日本の航空会社からは姿を消してしまったジャンボジェットですが、この頃は羽田や伊丹に行って見ると飛行機の大半がこれで、ローカル路線のみ中型、小型機で運行されていたという印象です。その重量感あふれるフォルムとあわせて、まさに日本の空の王者と言う風格でした。

▼ボーイング727[全日空] H2.3.24

移動中に来てしまった本命のB727。変なところで撮っちゃった、という感じでしたが、今見れば、それなりに面白いかも。


ボーイング737[南西航空]
 H2.3.24

現在の日本トランスオーシャン航空です。オレンジ色が印象的ですが、この塗装は昨年の沖縄旅行の際に那覇空港でリバイバル塗装のB737で見ました。
当時の羽田空港は台湾への中華航空を除けば国内線のみの運行でしたが、成田空港で何かトラブルが発生すると、まれに国際線の飛行機が羽田に飛来することがありました。この時も、途中から海外の航空会社が次々と飛来して、一気に華やかになりました。
 
▼ボーイング747[中華航空] H2.3.24
これはいつも通り。
 
▼ボーイング747[ユナイテッド航空] H2.3.24
これは前の前の塗装でしょうか? すみません、よくわかりません。
 
▼ボーイング747[アメリカン航空] H2.3.24
アメリカン航空は長らくこの塗装のイメージだったのですが、いつの間にかデザインが変わってましたね。知らんかった。
 
▼ボーイング747[ノースウエスト航空] H2.3.24
今はデルタ航空に経営統合されたノースウエスト航空です。当時の新塗装とその前の旧塗装とそろってやって来ました。赤い垂直尾翼が特徴でした。

▼ダグラスDC-10[フィンエア]
 H2.3.24
もちろんアメリカ以外の航空会社も来ていました。
 
というわけで、汽車Poppoと言っておきながら、どうも最近は飛行機ネタが多すぎるような気もするので、最後に、この時に大井で撮った新幹線300系の試作車です。たぶん、登場したばかりの時です。
▼ H2.3.24

「平成5年の長野電鉄の写真」第3弾です。

 

岩野駅と雨宮駅の間でED5000+営団3000系の回送列車を撮った後は、岩野駅から河東線で信濃川田駅に移動。ここで駅撮りをしています。

 

木造の駅舎は路線が廃止された今も健在で、構内にはかつての特急電車2000系や営団3000系改め3500系が静態保存というか放置されているようですが、この頃はもちろん現役で、日中帯は単行で行き来する1500形がこの駅で交換し、穏やかな天気のもと、何とも“ゆる〜い”雰囲気を醸し出していました。

 

▼信濃川田駅  [H5.5.16]



 

夕方の通学通勤の時間帯になると、さすがに単行では辛いのか2両編成の元東急5000系の「赤ガエル」こと2500系と交代。

 

▼信濃川田駅  [H5.5.16]


 

最後は須坂駅でみた0OSカー。

 

▼須坂駅  [H5.5.16]

地方私鉄らしかぬ近代的なデザインの電車でしたが、この電車も1500形、2500系と一緒に3500系に追われ引退してしまいました。

 

以上、古きよき時代の長野電鉄でした。

 

この後は、素直に長野駅から特急「あさま」で帰ったと思いますが、・・・写真はありませんでした。

前回の続きです。
 
屋代駅でED5001と営団3000系を撮って、その後は須坂への回送列車を撮ろうと河東線で移動。と言っても初めてきた場所で撮る場所もわかりませんので、車窓をみながら適当な駅で降ります。ネガに付いていたメモによると岩野で降りて雨宮方向に歩いたようです。
 
廃止されて久しい河東線ですが、Google地図の航空写真で見ると線路跡がはっきりとわかります。なんと地図には旧駅名も表示されています(なんでだろ?)。
 
結局、撮った場所は完全には確認できませんでしたが、それっぽいところはありました。
 
▼屋代行き  [H5.5.16]
岩野駅から雨宮駅方面に歩き出してすぐぐらいの場所(と思われます)

▼須坂行き  [H5.5.16]
先ほどの電車が戻ってきました。
 
▼ED5001+営団3000系  [H5.5.16]
ネギ畑で撮ってます。光線が微妙です。なんだかヘタっぴです。個人的にはネギは苦手です(^^ゞ 場所は岩野駅と雨宮駅の中間地点付近と推定されます。
 
▼屋代行き  [H5.5.16]
岩野駅に戻る途中のトンネルです。雨宮駅に行かずに岩野駅に行ったのは、たぶんこのトンネルで撮ろうと思ったんでしょうね。ちなみにここはGoogleのストリートビューでも確認できました。
 
当初は乗りつぶし目的だったと思うのですが、思いがけず珍しい回送列車と、この直後に姿を消すことになる1500形の最後の活躍を撮ることができました。この後も少し1500形を撮っていますので、それはこの次にご紹介したいと思います。

週末はそこそこの天気でしたが、体調がイマイチ。お出かけは控えてしまいましたので、また昔の鉄道写真ネタです。

 

前回は平成5年2月の京福電鉄と福井鉄道でしたが、今回はその3ヶ月後、平成5年5月の長野電鉄です。

 

この時は前日に上田交通に行き、当初はそのまま日帰りのつもりだったのですが、何となく気が変わり上田に宿泊し、翌日信越本線で屋代に来た、ような気がします。前回の福井は行程のメモがありましたが、今回はなし(同じメモ帳に上田交通や長野電鉄の電車の時刻のメモはありましたので、単に記録をとっていなかったようです)。

 

まだ乗っていなかった長野電鉄河東線の屋代〜須坂間の乗りつぶしが目的だったと思われますが、屋島駅に来てみると…

そこには武骨な電気機関車。

そして丸っこいステンレスの電車。

そして、そこそこの数の同業者()

 

本当に偶然だったのですが、営団地下鉄(現在の東京メトロ)から長野電鉄に売却された日比谷線の3000系電車の搬送が行われた日でした。


▼ED5001  [H5.5.16]

向こうから1500形が接近。そしてホームの反対側には営団3000系が待機中。

▼ED5001と並ぶ1502
  [H5.5.16]

1500形は昭和26年生まれ。見た目よりは新しいかも…

▼1502
  [H5.5.16]

上の写真の反対側。窓枠がHゴム化され、ちょっと雰囲気が違っています。この顔もわりと好きです。

▼営団3000系と1502
  [H5.5.16]

1500形は、この後、営団3000系改め長電3500系に追われ、運用から外れることになります。

▼名称不明ですが…
  [H5.5.16]

これで3000系を牽引してた…んでしょうね、たぶん。向こう側の「あさま」色の189系も懐かしい。

▼ED5001+3000系×2
  [H5.5.16]

須坂への回送の編成ができました。

 

ホームから降りて線路で撮影していますが、え〜っとですねぇ、この頃はまだなんなとなくこんな感じで、駅員さんも黙認、って感じでした。え〜っと、すみません、もうしません。ということでご容赦を。

この後、この回送列車を撮っていますが、それは次の機会に… てか、写真の出来がイマイチなんだよなぁ〜

2回ほど空いてしまいましが、平成5年に撮った福井の写真の続きです。
 
京福電鉄の永平寺線と福井鉄道を撮った翌日、どうしたかというと、前日に撮っていなかった京福電鉄の越前本線の轟(どめき)駅で撮っています。なぜ轟駅に行ったかと言えば、…なんでなんでしょう? わかりません。駅名に惹かれたのかな?
 
とりあえずこんな感じ。車両は阪神からやって来た2201形です。 
▼轟駅  [H5.2.27]



2201形は京福初の高性能電車で、かつ冷房車。1両編成で運転されていました。もちろん両運転台ですが、京福に来た時に改造したのかな、と思っていたのですが、改めて調べてみたら最初から両運転台だったんですね。
 
轟駅で撮った後、どうしたのかはネガからは不明。轟駅の次は夜の金沢駅で撮影してます。そのまま金沢に行ったとしたら時間が合わない。で、探してみたら当時のメモが見つかりました。
 
それによると、この時の全行程は以下の通りでした。
 
東京からひかり1号(100系)で名古屋まで行き、こだま495号(0系)に乗り換え米原へ。ここで近江鉄道を1枚撮ってからしらさぎ1号(489系)で福井に入っています。こだまで米原まで行ったのは、名古屋でひかり1号からしらさぎ1号に乗り継げなかったからだと思われます。
 
福井に着いてからは、京福電鉄で永平寺まで往復して、福井口から田原町、福井鉄道で市役所前と、記憶通りの行動でした。
 
デジカメになってからは、乗った列車も出来るだけこまめに撮るようにしていますが、当時はほぼ撮ってないですね。今から考えるともったいないけど、フィルムの時代は1枚撮るといくら、みたいな感覚でしたからね。最初からデジカメの今の人がうらやましい(笑)
 
という年寄りネタはおいといて…
 
轟駅で撮った後はメモによると、越前本線で終点の勝山駅まで乗りつぶし、越前大野駅までバスで行って越美北線のキハ120で福井に戻っています。さらに福井鉄道もこの時に武生新まで乗りつぶしていました。てか、やっぱりもう少し写真を撮っててほしいところです。
 
そういえば、福井鉄道の乗りつぶしをした時に、なかなか年代物の電車に乗って、たまたま隣に乗り合わせた学校の先生をやっているといいうおじさんと何かいろいろと話をさせていただいた、なんて感じで記憶が少しよみがえってきました。ちなみにこの時に乗ったのは200形(202-1)でした。
 
武生からは雷鳥35号(489系)で金沢まで行って、寝台特急「北陸」で帰京したのでした。往復ともそれなりに豪華なラインナップですが、前年の平成4年から原因不明の体調不良が続いて、ようやく復調の兆しが見えたころの旅行でした。それで、念のため、という感じで新幹線、特急、寝台特急という(夜行バスや普通列車よりは)体に優しそうな列車を選んだのでした。
 
というわけで、最後は金沢駅で撮った雷鳥と北陸です。
▼金沢駅  [H5.2.27]

昨日の続きです。
 
永平寺線で撮った後は福井口駅まで戻り、ここから三国芦原線に乗り換え田原町まで行っています。というわけで、次の目的は福井鉄道。
 
田原町にいたのは、今では絶滅直前(って、まだいましたっけ?)の200形。この頃はごく普通に走ってました。
▼田原町  [H5.2.26]

200形に乗って市役所前まで移動。この周辺で夕方まで撮っています。
 
▼市役所前付近  [H5.2.26]

 
▼こちらは200形の急行  [H5.2.26]


▼140形…でしょうか?
  [H5.2.26]

▼元静岡鉄道の300形  [H5.2.26]

なんか暗くなってきました。
 
▼これは80形…かな?  [H5.2.26]
もうすっかり夜です。
 
この日はこれで終了。駅の裏手にあるビジネスホテルに投宿。部屋の窓からは福井駅が見えまして、ホームに停まっている419系なんかの写真も残っていました(写ってるだけですけど…)。
 
それにしても改めて見てみると、実に味のある車両たちですね。200形、間に合うものならば、もう一度行って乗ってみたくなりました。

GWですが、カレンダーどおりです。昨日も仕事でした。
 
昨日からクールビスが始まりましたが、肌寒い天気です。

はぁ、気分が乗りませんねぇ〜

最初の三連休も、初日はなんか疲れててダラ〜っとすごして、2日目はちょっと家の仕事をして、3日目は終日雨。

はぁ〜、なんだかなぁ〜(笑)

で、その雨の3日目、しょうがないので3月に買ったフィルムスキャナーで古い写真を少し取り込んでみました。

あんまり古いネガだとカビてる率や変色してる率がかなり高いので、比較的新しめのをということで、平成5年のネガをチェック。23年ほど前ですが、それなりに懐かしい写真が出てきました。

ということで、平成5年2月の京福電鉄の福井本社エリアと福井鉄道の写真です。


早朝の東海道新幹線で米原まで行き(当時は東京に住んでいました)、北陸本線で福井に入り、最初の目的は京福電鉄の永平寺線。

行った当時、永平寺線は越前本線の東古市駅(現在の永平寺口駅)から永平寺駅までの6.2kmの支線でしたが、えちぜん鉄道に引き継がれることなく平成14年10月に廃止されてしまいました。

▼東古市駅  [H5.2.26]


モハ251形の252号が単行で東古市駅と永平寺駅との間を行ったり来たりしていました。どこで撮ったかは全く記憶が無かったのですが、ネガについていたメモによると諏訪間駅で降りて京善駅までの間、歩きながら撮っているようです。

▼諏訪間駅〜京善駅
  [H5.2.26]




252号は、東古市側が貫通扉付き、永平寺側が非貫通と、違う顔を持っていました。


京善駅からはまた電車で永平寺駅まで移動。一応、永平寺で参拝したと記憶しています。

参拝後は、永平寺駅周辺でも撮影。東古市駅から永平寺駅の一つ手前になる市野々駅までの間は比較的平坦ですが、市野々駅を出ると急に山岳路線の趣きとなります。

▼永平寺駅  [H5.2.26]


▼永平寺駅〜市野々駅  [H5.2.26]


前述のように、平成14年に廃止されてしまった永平寺線ですが、改めてGoogleMapの航空写真で見てみると、線路跡がサイクリングロード?になっていて、東古市駅から旧永平寺駅までたどることができます。ちょっとうれしいです(笑)


この後は、福井市内に戻り福井鉄道を撮っていますが、そちらは次にご紹介したいと思います。

前回UPした、昭和53年に仙台駅の東西自由通路が開通した時の写真の話です。

その現場を見に行ったのは確かで、写真も撮ったはずなのですが、古いプリントを探してみたものの見つからず、それではネガをと探したら、それっぽいのが出てきました。撮影日もちゃんとメモしてあって、これでUPできるかな、と思っていたのですが・・・

元々持っていたフラットベッドタイプのスキャナーはフィルムからも読み取ることが出来たのですが、その後に買ったプリンターにスキャン機能が付いていて、このスキャナーはここ数年使っていない状態。今回久しぶりに引っ張り出してみたら・・・ 動かない。

いじっているうちに何とか動いたと思ったら、なんか真っ黒な画像が出てきました。てか、普通に意味不明なエラーメッセージが出てるし・・・

やっぱり機械は動かさないとダメですね(泣)

買わないとダメかなぁ〜、ということで量販店に行って聞いてみると・・・ 以前は高級機と廉価版の2極化していたのですが、今は高級機は撤退しちゃって廉価版ばかりとのこと。今回壊れたフラットベッドタイプもまだあるようですが、結局、勧められた廉価版のをダメ元で買ってみることにしました。手元にあるネガフィルムの状態が状態なので、高い奴を買ってもしょうがないですし。

買ったのはCompactFilmScan14M兇箸いΕ織ぅ廚妊瓠璽ーはキャビン。他にもケンコーやナカバヤシなどスキャナーのイメージはあまりないけど、写真関連で聞いたことのあるメーカーが出しているようです。

35mmフィルム専用で、1枚ずつ読み込んでSDカードに保存するタイプで、読み込んでいるコマを本体のモニターで確認することが出来ます。パソコンに依存することなく操作できるので、パソコンのOSに左右されることもなく、まずまず使いやすいかな、と思います。

お値段は、SDカードと一緒に買って1万円少々でした。

▼外観はこんな感じ


ホルダーにネガフィルムを挟んで本体に差し込むと、上部のモニターに画像が表示されます。ここである程度、明るさや色の微調整ができます。ちなみにホルダーは一方通行。右から左にしか動かせません。1コマ前に戻りたくても、一度左に抜き取って再度右から入れ直しが必要で、これは少し面倒。

読み込んだ画像はSDカードに保存されますが、保存されたデータはUSBケーブル経由でパソコンに送ることも出来ます。

▼上の写真でモニターに映っていた画像を実際にスキャンしたもの


新宿駅の小田急3000系SSEです。全体的にホワ〜んとした感じ。まぁ、元々の写真がダメだっていうのもありますが・・・ 緑色のシミはたぶんカビです。ネガの保存状態で写真としての出来は全く違ってしまいます。カビだけでなく変色しているものも多数ありました。

▼昭和50年代後半、近鉄大阪線の(たぶん)西青山付近で撮った荷物電車。


全体的に黄色くなっています。

▼上の写真を頑張って補正してみます。


う〜ん、これが精一杯。

まぁ、精度を求めずお手軽に使うにはいい感じかも、です。

唐突ですが、なかなか本を捨てることができません。特に文庫本。現在、本棚には約1100冊の文庫本が並んでいて、その中から適当に引っ張り出して読み直したりするわけですが、読み進めるうちに時々妙なものが挟まっていることがあります。

今回はコレ。折りたたまれたメモが、しおり代わりに挟まっていました。


「神戸らんぷ亭」。国分寺市に住んでた頃、国分寺駅南口に有りました。利用したのは随分前のことですが、今も有るのかな? それはそれとして、この手書きの地図。

では問題です! ここはどこでしょう?(笑)

両端に駅、まん中に鉄橋があって、小さな赤い丸は撮影ポイント? どこだ、ココ? 自分でも思い出すのにそこそこ時間がかかりました(笑)



答えは…、東北本線の有名撮影地の一つ、黒川橋梁でした。上の駅が白坂駅、下の駅が豊原駅です。いろいろ調べてみたら、平成7年の11月に撮りに行っていました。なぜこの時期にここに行ったのか目的がイマイチはっきりしませんが、そろそろ終焉の時期が近づきつつあった715系…だったのかな? ネガは見つかりませんでしたが、写真はありました。なんか色味がヘンですけど・・・(泣) 
 
まずは、地図の左側の赤丸ポイント。別荘地として造成されたエリアなのかもしれませんが、建物はなかったように記憶しています。


▲上りの北斗星がやってきました


▲今回の主役?の715系電車。東京から仙台への帰省で何度も利用しました。ゲテモノ系でしたが、わりと好きでした(笑)


▲尾久の12系お座敷客車。上野→仙台のJR旅立ち号で1回だけ乗ったことがあります。その頃とは塗装が違いますが・・・


▲次のポイントに移動中に踏切が鳴って、やって来たのはスーパーエキスプレスレインボー。 もう少しマシな場所で撮りたかった・・・

続いて鉄橋の下へ。


▲715系の特急顔は上りが先頭になります


▲下り列車をサイドから こちらは切妻が先頭です。東北の715系は、九州のとは違って両側切妻の編成はありませんでした。

最後に地図の右側の赤丸、鉄橋の北側のたもとへ移動したと思われます。


▲たぶん鉄橋の北側の袂から更に北の方だと思います。


▲これも思い出の車両。455系のアコモ改善車。


▲絶滅危惧種のED75ですが(貨物は既に絶滅してますけど)、この頃はまだまだ独壇場でした。


▲はるか彼方を行く東北新幹線200系をチラリと(笑) なんですが、左奥に見える那須の山から噴煙が上がっているように見えます。この頃も火山活動が活発だったんでしょうか?

この辺で撤収したようですが、ここから豊原駅まで約3km、歩くとけっこうな距離です。しかも1本逃すと次の列車は約1時間後ですので、かなり一生懸命歩いた記憶があります。目指す列車にはギリギリ間に合いましたが、この季節なのに汗だくでした。JR化後、仙台電車区の電車には飲みものの自販機を載せた車両がそこそこあったのですが、もうこの頃は無くなっていたのかなぁ〜 乗った車両にも載ってなくてがっかりしたのもついでに思い出しました(笑)

世界初の高速鉄道として東海道新幹線が開業してから昨日で50年。建設している当時は「世界三大馬鹿」などと揶揄されることもあったようですが、半世紀に渡って日本の大動脈として日本経済を支えてきました。しかもその間、乗客の死亡事故ゼロは立派ですよね。

私が生まれたときにはまだ新幹線は開通していませんでしたが、物心がついたときには既に走っていました。とはいえ、東北に住む子供には遥か遠い存在で、あるのは絵や写真で見る「夢の超特急」のイメージだけでした。

初めて乗ることができたのは小学4年生ぐらいの時。家族旅行の帰路、熱海から東京までの「こだま」でした。もちろん0系です。が、期待が大きすぎたのか、正直あまり速いという印象はありませんでした。「ひかり」ではなく、「こだま」でしたし、しかも、駅構内だったかもしれませんが、黒い電気機関車(EH10?)が牽く貨物列車に抜かれたというのも結構な“がっかりポイント”でした(笑)

念願の「ひかり」に乗ったのは翌年か翌々年の伊勢旅行のこれも帰り道(往きは寝台急行の「紀伊」で、これはこれでうれしかった)。名古屋から東京まで乗りました。楽しみにしていた富士山は見れませんでしたが、なぜか車内販売のお姉さんと仲良くなって、これまたなぜかコーヒー用の粉ミルクを大量にもらったという訳のわからない思い出があります。

▼その時に初めて撮った新幹線(昭和50年)

名古屋駅で撮った写真です。後姿ですので乗った列車ではなく先行する列車と思われます。

新幹線とは関係ありませんが、伊勢旅行中にこんな写真も撮っていました。近鉄の修学旅行用の二階建て電車「あおぞら」号です。まだ「鉄」に目覚める前のことですが、それなりに“資質”はあったんでしょうね(笑)


それはさておき、0系の写真を探してみたのですが、その後はあまり撮ってません。新幹線は今ひとつ趣味の対象になりにくかったんですよね。とりあえず、こんな感じで…

▼東京駅に並ぶ0系(昭和55年)

初めての九州旅行の途中です。

▼有楽町駅のホームから(昭和63年)

既にJR移行後の姿です。

▼東京駅で200系と並ぶ0系(平成3年)

どちらも思い出の車両となってしまいました。東北新幹線は東京開業直前の訓練運転です。

来年は北陸新幹線、再来年は北海道新幹線とますますネットワークは広がっていきますが、これからも変わらず安全であり続けていただきたいものです。


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