今朝の仙台駅。改札口を出ると、そこには大きな七夕飾りが揺れていました。和紙の吹流しを、手でかき分けるときの触感がいいんですよね。

それにしても、もうそんな季節なんですね〜。このところジトジトした天気が続いてたこともあって、すっかり忘れてましたが、7月も早最終週。8月に入ると東北各地で夏祭りが始まります。

8/2からの青森ねぶた、秋田竿灯、山形花笠と続き、最後を飾るのが仙台七夕。ねぶたや竿灯のような勇壮さはありませんが、伊達者の誇る豪華な和紙の祭典を楽しんで欲しいなぁ〜、などと思っています。

とか言いつつ、地元にいるとなかなか見に行かないんです。人ごみの中を歩くのが実は嫌いで…(笑)

でも、会社の帰りとかチラッとは見るんですが結構キレイですよ(と、あわててフォロー)。もし、この夏初めて見られる方がいらっしゃったら、ぜひ夜に見られることをおすすめします。なんといっても七夕は星祭ですから。。。

仙台駅中央コンコース

今日は水曜日。原則として残業はありません。

「久しぶりに歩いて帰るかな」
以前は、健康のためということで、約5kmの道のりを週に1・2度は歩いていたのですが、最近はとんとご無沙汰でした。わりと気温も低めでしたので、駅へは向かわず進路を変更。

15分ほど歩るき路地に入ると何時にない人通り。浴衣姿の女の子もチラホラ。頭上には紅白の提灯も並んでいる。そして路上にはたくさんの屋台が… これは、お祭りですね。街の中の小さな…え〜っと、神社、お寺、あれ、どっちだ? ん〜、大日如来って書いてあるから神社じゃないなぁ〜、お寺って夏祭りやるっけかな?

ともかくビルの谷間の小さなお寺のお祭りですが、意外なほどたくさんの人で賑わっています。考えてみたら都心部とはいえ、マンションとかも多いエリアです。周辺住民って多いんですね。小さな子供を連れた家族連れも結構いるし、学校帰りらしい女子高生の姿も…

そんな人ごみに誘われて通りを歩けば、何とも懐かしい雰囲気です。ムシキングやイタリアンスパーボーなんてイマドキ的な屋台もありますが、お好み焼きやカキ氷、リンゴ飴に射的に焼きそば、そして「型抜きしよ〜」なんて言いながら走っていく小学生を見ると、何かうれしくなっちゃいます。子供の頃に行った近所の神社のお祭りを思い出しました。

そしてお面… ん? 知らない人ばっかりだな… ホントにイマドキの仮面ライターは判らんわ。と思ったら平成ライダーに混じって1号ライダーが。ちょっとホッとする(笑)

意外なところで出会った街の中のお祭り、結構いい感じでした。

で、そのまま家まで歩いて帰るはずだったのですが… ポツポツと落ちてきた雨の雫を理由に通りかかったバスに乗ってしまいました(^_^;) 



60年前の今日、1945年7月10日の未明。仙台は米軍による空襲を受けました。この夜、襲来したB−29は123機。焼夷弾912トンが罪なき仙台市民の上に振りまかれました。

私の父もこの空襲を体験しています。父の記憶によると前日の夜半に一度警戒警報が鳴ったものの、間もなく警報は解除。それで眠りについたのですが、空襲警報の音で目を覚ました時には既に中心部は炎に包まれていたそうです。

まだ少年だった父は、母親(私から見ると祖母)と姉(私から見ると伯母)とともに、当時住んでいた錦町の家を出、近くの防空壕に入ったのですが、「ここは危ない」と言われ、宮町の親戚の家へ行ったら、さらに「ここも危ない」ということになり、仙山線を越え高松方面の山に逃れ、ここで燃え盛る仙台の街を改めて見たのですが、上空にはB−29の編隊が悠然と行く中、味方の高射砲の砲弾がその遥か下で炸裂するのを情けない思いで見たと言います。

結局、錦町の父の家はギリギリのところで無事でしたが、この空襲による焼失家屋11,120戸。そして犠牲となった市民は1066名に上りました。

B−29が去り、都心へ行ってみると、そこは一面の焼け野原。亡くなった人の亡骸やで建物の残骸で、見るも無残な有様となり、焼失した仙台駅前からは西公園まで見渡せたそうです。

父の回想はここまでですが、手元に「仙台空襲」という本があります。これは昭和48年に発行された空襲の体験集ですが、久しぶりに書棚から取り出してみました。改めて読んでみると体験した人しか書けない言葉が次々と飛び込んできます。炎の中を逃げまどった人、目の前で近親者を失った人、仙台の親族を探し焼け跡を歩き回った人。さまざまな人間模様が生々しく記述されています。

今の中国や韓国に色々と言われると、つい反発してしまうことも多いのですが、あの戦争に至った経緯を考え直してみる事は必要じゃないかな、改めてそう思います。
仙台空襲

仙台駅は駅弁の宝庫です。と言うのも、元々“伯養軒”と“こばやし”の地元企業2社が競い合っていたところに、いつの間にか“NRE(日本レストランエンタープライズ)”も参戦し、その結果、販売されている駅弁は常時30種類以上。この中から駅弁を選ぶのは旅の楽しみです。最近のお気に入りは「笹巻き えんがわずし」です(^^)


ところが、その中でも最も古い“伯養軒”が、多額の累積債務による経営難から、駅弁をはじめとするフードサービス事業と老舗の仙台ホテルを売却、会社を清算することになりました。

伯養軒は1850年(ペリーが浦賀に来る3年前ですね)に旅籠「大泉屋」として創業。1887(明治20)年の鉄道開通にあわせ、支店を仙台駅前に設置。さらに1890(明治23)年には駅弁事業を開始。鉄道とは深い関わりを持っていました。そして、駅前旅館は1896(同29)年に東北初の洋式ホテルとなる“仙台ホテル”を開業するなど、仙台最古参の企業として、東北全域で事業を展開してきました。

92年12月期には200億円を超える売上高を計上していましたが、その後は景気低迷で販売不振に陥り、04年3月期には100億円強にまで落ち込んでいたそうです。


今後は、ホテル業とフードサービス業とも、それぞれ首都圏の企業に売却された後も、従来どおり営業を続けるということで、仙台駅の駅弁が激減するということはなさそうです(伯養軒のブランド名も残りそうです)が、古くから仙台にある企業が消えていくということはさびしいことです。

仙台都心部の商店街でも、昔からある本屋さんやお茶屋さん等が相次いで店を閉じることになりました。東京の企業はどんどん入ってくるのですが、どうも地元企業の元気が足りないような… ちょっと気になります。てか、かなり…(-_-;)

今日の仙台は暖かです。

昨年の11月から通っている事務所の窓から青葉通りのケヤキ並木が見下ろせます。通いだしてから、ず〜っと冬の装いだった木々にようやく春の兆し。先週の終わりぐらいから、裸の枝の先っぽの方が、ほわほわっと赤みがかった茶色に変わってきました。さっき見てみたらそれがだんだん緑ぽくなってきて… 新緑の季節ももう少しですね。晩翠草堂(土井晩翠の住居)の桜の木もうっすらとピンク色。どうやらつぼみが膨らんできたようです。

何か、世の中見ても身の回りを見てもイイことがちっともありませんが(^_^;)、「春が来る」ってだけでも幸せなのかもしれません。

もう少し、青葉通りの春を楽しみたいのですが、来週からは本来の事務所に戻る予定です。今やってる残務処理が終われば… さぁて、仕事だぁ〜(泣) てか、とっととヤレ!


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